中華民国の国章
中華民国の国章 | |
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詳細 | |
使用者 |
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採用 | 1928年12月17日( 96年 + 92日) |
盾 | 青天白日 |
中華民国の国章は、1893年に陸皓東が作成した青天白日旗を元にしており、1928年(民国17年)に国民政府が施行した中華民国国徽国旗法によって制定された。
構成
[編集]意匠
[編集]青は「明るくまっすぐで気高く偉大な中華民族の性格と志」、白は「正直さ・公正さ・潔白さ」を意味する。太陽の12条の光芒は十二時辰や十二支を表現しており、永遠を象徴するとともに、国民の進取の精神を表している[1][2]。
様式
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中華民国国徽国旗法では、国章について以下のように規定されている[3]。
- 第2条
中華民国の国章は青天白日である。その様式は以下の通り。
- 円形で青・白色。
- 12条の光芒を有する白日が中央にある。
- 白日と光芒が青色の円で囲まれている。
- 第3条
前条各項の位置及び尺度は以下の通り。
- 白日本体の中心は青地の円形の中心と一致する。
- 白日本体の半径と青地の円形の半径の比率は1対3である。
- 白日本体の中心から光芒の頂点までの長さと白日本体の半径は2対1である。
- 白日本体と12条の光芒の間の青地の幅は、白日の直径の15分の1に等しい。
- 各光芒の頂角はそれぞれ30度で、12条分を合計すると360度となる。
- 光芒の上下左右の方向は北南西東の方向に揃えられ、それ以外は等間隔に配される。
白日の比率
[編集]中国国民党の党章は青天白日の意匠を用いており、国章と非常に類似している。党章は白日の光芒が外縁に接しているのに対し、国章の白日はそれよりも小さく、外縁には接しておらず、光芒の先端から外縁までの間には国章の半径の3分の1の距離がある[4][5]。この差異の理由は、国章が「無限に広がる青空、そして先人たちが国のために払った犠牲」を表現しているのに対し、党章は「太陽のように強烈で消えることのない、先人たちの革命精神」を表現しているためである[6][7]。
1980年代以前の党国体制時代には、国章と党章はあまり厳密に区別されておらず、軍などの政府機関でもしばしば誤った比率の紋章が使用されていた[8]。
- 国籍マークの変遷
中華(チャイニーズタイペイ)オリンピック委員会の会章および会旗は1981年(民国70年)に制定されたが、そこで使用されている青天白日章の規格は国章・党章のいずれとも異なるものとなっている[9][10][11]。また、旧空軍旗(1937年から1948年にかけて使用)や中国青年救国団団旗(1952年制定)についても同様のことが言える。
-
空軍国籍マーク
(1927 - 1991) -
空軍国籍マーク
(1991 - ) -
中華オリンピック委員会会章
(1981 - ) -
旧空軍旗(1937 - 1948)
-
中国青年救国団団旗(1952 - )
汪兆銘政権
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日中戦争中に存在した南京国民政府(汪兆銘政権)は、重慶国民政府(蔣介石政権)と区別するため、中国国民党の党章の縁を赤い円で囲ったものを国章として使用していた[12]。
歴史
[編集]北洋政府
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1913年(民国2年)から1928年(民国17年)にかけて、北京の北洋政府は十二章国章を国章として使用していた。これは皇帝の礼服である袞衣に使用される12の模様「十二章」を西洋の紋章に落とし込んだものである。
1912年8月、臨時大総統の袁世凱は教育部の周樹人・銭稲孫・許寿裳に共同で国章を制作するよう命じた。銭稲孫が図案のデザインを担当し、周樹人が十二章のそれぞれの解説を記した[13]。国章は8月28日に完成し、翌1913年2月に正式に国章として定められた。
国民政府
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1924年(民国13年)、黄埔軍官学校(陸軍軍官学校)の総教官である何応欽は、赤地の中央に青天白日の意匠を描いた円を配した校旗をデザインし、校長の蔣介石によって正式に採用された[14]。
1928年、北伐を終えた国民政府は10月23日に中華民国国徽国旗法を公布し、国旗と国章を正式に制定した[4][5][6]。この時、陸軍軍官学校校旗の中央に描かれている青天白日の意匠がそのまま国章として採用された[14]。
使用
[編集]国章が使用されているシンボル
[編集]軍事
[編集]-
統帥旗
(1986 - ) -
国民政府軍事委員会委員長旗
(1934 - 1946) -
副総統旗
(1947 - 1985) -
陸軍軍章
(? - ) -
海軍軍章
(? - ) -
海軍陸戦隊隊旗
(1960 - ) -
空軍軍旗
(1981 - ) -
憲兵旗
(1986 - ) -
国防部部旗
(1958 - ) -
全民防衛動員署後備指揮部部旗
(2002 - ) -
海洋委員会海巡署署旗
(2000 - ) -
台湾警備総司令部部旗
(1960 - 1992) -
警察旗
(2000 - ) -
消防旗
(1996 - ) -
国防大学学旗
(2000 - ) -
三軍大学学旗
(1968 - 2000) -
陸軍軍官学校校旗
(1924 - ) -
海軍軍官学校校旗
(1958 - ) -
空軍軍官学校校旗
(2006 - )
競技
[編集]-
中華オリンピック委員会会旗
(1981 - ) -
中華パラリンピック委員会会旗
(2004 - ) -
中華民国聴障者体育運動協会会旗
(2019 - ) -
FIRST Robotics Competitionチャイニーズタイペイ代表旗
-
国際技能競技大会チャイニーズタイペイ代表旗
政治団体
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宗教
[編集]脚注
[編集]- ^ “中華民國” (中国語). 旗海圖幟. 2024年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月18日閲覧。
- ^ “國旗、國歌、國花” (中国語). 行政院. 2022年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月18日閲覧。
- ^ “中華民國國徽國旗法” (中国語). 全國法規資料庫. 法務部. 2024年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月4日閲覧。
- ^ a b 蕭子新, 李汪勝 (2004年11月22日). “國徽、黨徽哪裡不一樣? 超級比一比” (中国語). TVBS. オリジナルの2025年3月18日時点におけるアーカイブ。 2025年3月18日閲覧。
- ^ a b 李琦瑋 (2021年3月1日). “國徽、黨徽相似 該不該改?” (中国語). 臺灣讀報教育資源網 (國語日報社). オリジナルの2025年3月18日時点におけるアーカイブ。 2025年3月18日閲覧。
- ^ a b “新護照保留「國民黨黨徽」?帶你辨別黨徽與國徽的差別” (中国語). 今日新聞. (2020年9月2日). オリジナルの2025年3月18日時点におけるアーカイブ。 2025年3月18日閲覧。
- ^ “回歸現實 拒絕多餘動作” (中国語). 中國青年黨. (2020年9月3日). オリジナルの2025年3月18日時点におけるアーカイブ。 2025年3月18日閲覧。
- ^ “國徽vs.黨徽16年前就吵過” (中国語) (2004年11月23日). 2017年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月18日閲覧。
- ^ “奧會會旗的故事” (中国語). 中華奧林匹克委員會. 2024年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月18日閲覧。
- ^ “中華奧會會旗有黨徽?設計者挺身澄清旗” (中国語). 聯合新聞網 (2016年8月15日). 2016年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月18日閲覧。
- ^ “陳婉真說故事》眼花撩亂的奧運會旗” (中国語). 天空傳媒 (2023年10月4日). 2024年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月18日閲覧。
- ^ “中華民國二十九年國民政府軍事委員會聘書”. 2014年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月18日閲覧。
- ^ 魯迅. “1912年8月28日條” (中国語). 魯迅日記
- ^ a b “陸軍軍官學校” (中国語). 旗海圖幟. 2025年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月18日閲覧。