下寺町 (大阪市)

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下寺町(したでらまち)は、大阪府大阪市天王寺区町名松屋町筋の東側に面し、南北に細長い地域である。

本稿では、松屋町筋の西側に面する浪速区下寺(しもでら)についても記述する。

概要[編集]

松屋町筋・学園坂交差点から南方向を撮影。画像左が下寺町・右が下寺。

天王寺区下寺町は、松屋町筋と千日前通が交わる「下寺町交差点」付近を北限に、松屋町筋の東側に面する東西100m未満、南北約1.3kmの地域で、北から1・2丁目がある。学園坂交差点が1丁目と2丁目の境界となる。

浪速区下寺は、松屋町筋となんさん通りの延長道路にあたる御蔵跡通りが交わる「下寺町1南交差点」付近を北限に、松屋町筋の西側に面する東西約100 - 150m、南北約950mの地域で、北から1 - 3丁目がある。西端は高津入堀川跡の阪神高速1号環状線

現在においても、上本町から下寺町にかけては大阪市内で有数の仏教寺院集積地域となっており、下寺町のうち愛染坂以北はほとんどが寺院となっている。

上町台地の西麓に位置するため、地域一帯には坂道が多く、天王寺七坂のうち逢坂を除く6つの坂は下寺町に存在する。

下寺町2丁目南半・下寺3丁目は松屋町筋の東西にオートバイの販売店が多数並ぶ地域となっており、「バイク通り」とも呼ばれている。

2年に1回4月の第一日曜日に、下寺町の寺々ではなにわ人形芝居フェスティバルが開催される。

歴史[編集]

大坂の陣後、松平忠明が大坂城下の整理再編を行った際、大坂城の弱点といわれる南側に防御線として寺院を集中させた。城下に点在していた浄土真宗以外の仏教寺院を郊外に移転させ、そのうち最も南西に形成されたのが下寺町で、上町台地の西麓に位置することから西寺町とも呼ばれた。25ヶ寺から成る下寺町の全ての寺院は、現在の松屋町筋の東側に立地していた。なお、松屋町筋の西側にも数ヶ寺が立地していたが、下寺町の寺院には数えらていない。

源聖寺坂以北が西成郡西高津村、同以南が東成郡天王寺村に属していたが、1897年(明治30年)の大阪市第1次市域拡張の際に西高津村側が東区、天王寺村側が南区へ編入され、1900年(明治33年)に東区下寺町1丁目、南区下寺町2 - 4丁目が成立した。

1925年(大正14年)にどちらも新設の天王寺区へ編入され、天王寺区下寺町1 - 4丁目となった。しかし、1943年(昭和18年)に松屋町筋以西を浪速区へ移譲し、天王寺区下寺町1 - 4丁目、浪速区下寺町2 - 4丁目に分かれた。1980年(昭和55年)に浪速区側が下寺に改称の上、1 - 3丁目に再編、翌1981年(昭和56年)には天王寺区側が1・2丁目に再編され現在に至る。

江戸時代においては大坂城下の庶民が郊外散策に出かける場所として大いに賑わったとされる。明治時代になると、廃仏毀釈により多数の仏教寺院が廃寺となったり移転したりして数を減らし、さらに市街地の拡大に伴い周辺は住宅地や商業地となり、かつての賑わいは過去のものとなった。

外部リンク[編集]