ルー・グラム

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ルー・グラム
Lou Gramm
Lou Gramm 1979 8x10.jpg
フォリナーとライヴパフォーマンスするルー・グラム、1979年10月23日、メイン州ポートランドのカンバーランド郡市民センターにて
基本情報
出生名 ルイス・アンドリュー・グラマティコ
ジャンル ロッククリスチャン・ロック
職業 シンガーソングライター、ミュージシャン
担当楽器 ヴォーカル、ドラム、パーカッション
活動期間 1967 – 現在
レーベル アトランティック・レコード
スペクトラ・レコード
共同作業者 フォリナーシャドウ・キング、ブラック・シープ
公式サイト www.lou-gramm.com

ルー・グラム (Lou Gramm, 本名: Louis Andrew Grammatico; 1950年5月2日 - ) は、アメリカ人のロックヴォーカリストで、ロックバンド、フォリナーの多くの曲を共作し、リードヴォーカルをとったことで知られている。また、ソロ活動でも成功している。ルーは、「つめたいお前」、「ガール・ライク・ユー」、「アイ・ウォナ・ノウ」、「ウィズアウト・ユー」やソロのヒット曲「ミッドナイト・ブルー」など、多くのトップ40入りした楽曲のヴォーカリストである。2009年には、ルー・グラム・バンドがクリスチャン・ロックの同名アルバムをリリースした。

来歴[編集]

フォリナー結成前[編集]

ルーは、ニューヨーク州ロチェスターで、歌手のニッキ(マセッタ)と、バンドのリーダーでありトランペット奏者のベニー・グラマティコの息子として生まれた[1][2][3]。彼はロチェスターのゲーツ・チリ・ハイスクールを1968年に卒業、その後ロチェスターのモンロー・コミュニティ・カレッジも修了している。

ルーは、10代半ばから音楽活動を始め、セント・ジェームズ・インファーマリー(後にザ・インファーマリーに改名)やPHFFTなど、ロチェスターの地元のバンドでプレイした。後に、地元バンド、プーア・ハートでハーモニーヴォーカルを歌っている。ルーは、ヴォーカルやドラムの演奏を続け、最終的にはバンド、ブラック・シープのフロントマンとなる。ブラック・シープは、クリサリス・レコードと契約した最初のアメリカのバンドであり、1973年に最初のシングル「スティック・アラウンド」をリリースしている。ブラック・シープは、もともとナイアガラ・ストリートやヘーテル・アベニューのマックヴァンなど、ニューヨーク州ロチェスターやバッファローのナイトクラブで演奏していた。これはすぐに小さな成功を得、ブラック・シープは、キャピトル・レコードと契約して、『ブラック・シープ』 (1974年) と『インコーラギング・ワーズ』 (1975年) の2枚のアルバムをリリースし、これも成功した。彼らは、1975年のクリスマスイブにキッスの前座を行うが、ショウの終了後、ニューヨーク州高速道路で機材を積んだトラックが氷によって倒れる事故が起こり、バンドは機材車だけでなく機材の85%を失い、ツアーを中止する[4]。そして、ライヴでアルバムの費用を得ることができず、ブラック・シープは解散に至った。 トラック事故からほどない1976年初頭、スプーキー・トゥースとしてロチェスターで公演していたミック・ジョーンズに会う機会を得たルーは、ブラック・シープのファーストアルバムをミックにプレゼント。新しいバンドのリードヴォーカリストを探していたジョーンズはルーに注目し、オーディションを経て彼を招き入れた。

フォリナーと全盛期[編集]

オーディションのためニューヨークへ向かったルー・グラマティコは、ルー・グラムと改名。また、バンド名も「トリガー (Trigger)」からフォリナーに変更、ルーは1970年代後半から1980年代に最も成功したロックヴォーカリストの1人となった。サーカス誌は、1978年の「ホット・ブラッディッド」のリリースに際し、ルーの声はロバート・プラントが妬むかもしれないとコメント。彼のユニークなヴォーカルは、フォリナーをビルボードの史上最も偉大なアーティスト100に押し上げた。

ルーは、「衝撃のファースト・タイム」、「つめたいお前」、「ロング、ロング・ウェイ・フロム・ホーム」、「ホット・ブラッディッド」、「ダブル・ヴィジョン」、「蒼い朝」、「ヘッド・ゲームス」、「ダーティ・ホワイト・ボーイ」、「アージェント」、「ジューク・ボックス・ヒーロー」、「ブレーク・イット・アップ」、「セイ・ユー・ウィル」など、フォリナーのヒット曲の全てでリードヴォーカルをとっている。また、バンドの多くの曲を共作しており、バラードで大ヒットした「ガール・ライク・ユー」(アメリカで1981年-82年に10週間連続2位)、「アイ・ウォナ・ノウ」(1985年にイギリス、アメリカなどで1位)の2曲もこれに含まれる。彼らの最初の8つのシングルは、ビルボードの20位入りし、この記録を成し遂げたのは、ビートルズ以来である。

ルーとミックはチャートで多くのヒットを飛ばしたが、音楽性の理由等で衝突することも度々あった。成功を収めたセカンドアルバム『ダブル・ヴィジョン』以降、バンドはメンバーチェンジを繰り返すことになる。3作目のアルバム『ヘッド・ゲームス』発表後には、メンバーは6人から4人となる。ルーがフォリナーと彼の仕事の最高点にあると評した4作目のアルバム『4』は、ドラムとギターによる純粋なロック要素を残した内容となった。これに対しミックは1980年代当時の売れ筋であったシンセサイザー・バラードのスタイルに拘る等、ふたりの音楽の方向性に開きが生じた。このため次のアルバム『プロヴォカトゥール』では、調整役としてトレヴァー・ホーンやアレックス・サドキンといった共同プロデューサーを迎え入れた。

1980年代後半 - 1990年代[編集]

1987年まで、フォリナーの内部衝突が続いた。この状態にピリオドを打ったのが、ルーの最初のソロアルバム『レディ・オア・ ノット』のリリースであり、批評家から高評価を受け[5]、「ミッドナイト・ブルー」は5位のヒットシングルとなった。彼は、1987年のホラー映画『ロストボーイ』のためのサウンドトラック「ロスト・イン・ザ・シャドウズ」も寄付した。この後、1987年後半にフォリナーのアルバム『インサイド・インフォメーション』をリリースし、ビルボードのアルバムチャートでは15位となった。収録曲の「セイ・ユー・ウィル」は、この年の終わりにリリースされ、1988年の最初に6位に達し、続く「ウィズアウト・ユー」も5位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは春に1位となった。3番目のシングル「ハート・ターンズ・トゥ・ストーン」は、夏に56位に達した。セカンドソロアルバム『ロング・ハード・ルック』には、10位入りした「ユー・アンド・ミー」や40位に達した「トゥルー・ブルー・ラヴ」が収録されている。

ソロの成功によって自信をつけ、ミック率いるフォリナーの方向性とますます溝が深まったことにより、ルーは、『ロング・ハード・ルック』のツアーのため、1990年5月にグループを離脱し、スティーヴ・ミラー・バンドのオープニングを務めたり、友人や元ブラック・シープのベーシスト、ブルース・ターゴンと共に1990年代後半にシャドウ・キングを結成したりした[6]。この新しいグループの同名アルバムは、1991年にアトランティック・レコードからリリースされた。ポジティブなレビューにも関わらず、グループはまとまりに欠けていた。また、新しいプロジェクトを維持するのに必要なマーケティングやプロモーションがなかった。そのため、シャドウ・キングはしばらくして解散することになった。同年、フォリナーはアルバム『アンユージュアル・ヒート』をリリースし、ヴォーカリストにジョニー・エドワーズを立てたが、前作と比較して失敗に終わった。

エドワーズは、フォリナーファンに広くは認められず、ミック・ジョーンズのコンタクトによって、ルーが1992年4月にグループへ復帰することに同意し、コンピレーション『アンド・ビヨンド (ベスト・オブ)』のために3曲の新曲が録音された。ルーは、ブルース・ターゴンもフォリナーのラインナップに加えている。

1992年、前年度の終わりにリハビリによる制限を完了した際に、ルーはボーン・アゲイン・クリスチャンと呼ばれる新生キリスト教徒となった。「ロックンロールの生活に疲れ、とても充実していると感じなくなった。僕は、悪い様々な習慣の餌食になっていた。自分自身の自制心と精神力が十分でなかったと明らかになったので、カトリック教徒になってやり直したい。僕は長年、答えはもっと深い何かということを知っていた」[7]

1994年、フォリナーはアルバム『Mr.ムーンライト』をアリスタ・レコードからリリースし、1995年にはアメリカ盤もリズム・サファリ・レーベルからリリースされた。これは、ヨーロッパでは成功を収めたが、世界的な売り上げやアメリカでの人気は得られなかった。「アンティル・ジ・エンド・オブ・タイム」は、アダルト・コンテンポラリー・ラジオへ入った。

1996年、ミックはルーに、オーストラリアの歌手、ティナ・アリーナがカバーする『アイ・ウォナ・ノウ』のコーラスに加わるように求めた。この曲は、ヨーロッパ全体で、再び大きなヒットとなった。

1997年4月、クリスチャン・ロックバンド、ペトラの『神聖紀』にヴォーカルを提供した2ヶ月後、バンドが日本ツアーを終える予定だった前夜、ルーは頭蓋咽頭腫と呼ばれる脳腫瘍の一種と診断された。腫瘍は良性だったが、この手術によって、彼は脳下垂体を痛めた。さらに、リハビリは彼に負担を与え、体力や声に影響することとなった[8]。彼は病気の間も、1998年までミックと仕事を続けており、サマーフェスティバルや小さな会場でフォリナーのツアーに復帰した。

2000年代 - 現在[編集]

徐々にルーの健康や体力は回復した。ルーは、2003年に再びフォリナーを脱退し[9]、ルーと、兄弟のベン・グラム(ドラム)、リチャード・グラム(ベース)、友人のドン・マンキューソ(ギター)、アンディ・ノル(キーボード)で、フォリナー時代のルーの曲を演奏し、さらにソロ活動や、2004年1月からはアメリカ、カナダ、メキシコのツアーを遂行した。

ルー・グラム・バンドのクリスチャン・ロック・アルバムは、2009年6月7日に、スペクトラ・レコードを通じて、アメリカでリリースされた[10][11]。クリスチャン・ロック・アルバムは、あまり受け入れられず、ルーは宣伝の少なさを指摘した。

2012年には、バンド名を「ルー・グラム・ザ・ヴォイス・オブ・フォリナー」に変更し、フォリナーのヒット曲を多く演奏し続けたが、オリジナルメンバーのうち2人は脱退した(リチャード・グラムはベースとしてADジンマーへ、ドン・マンキューソはリードギターとしてマイケル・スティアトウへと移った)。現在もこのラインナップで活動している[12][13]

ミックとルーは、2013年6月13日にソングライターの殿堂入りした。

ディスコグラフィー[編集]

ソロアルバム[編集]

タイトル 詳細 最高
順位
US
[14]
CAN
[15]
レディ・オア・ノット
Ready Or Not
27 24
ロング・ハード・ルック
Long Hard Look
  • リリース: 1989年10月13日
  • レーベル: アトランティック・レコード
  • フォーマット: CD、カセット
85 44
ルー・グラム・バンド
Lou Gramm Band
"—" チャート未達成

ソロシングル[編集]

US Hot 100 US MSR US A.C. UK アルバム
1987 ミッドナイト・ブルー 5 1 - 82 レディ・オア・ノット
1987 レディ・オア・ノット 54 7 - - レディ・オア・ノット
1989 ユー・アンド・ミー 6 4 4 - ロング・ハード・ルック
1989 トゥルー・ブルー・ラヴ 40 23 - - ロング・ハード・ルック

プーア・ハート[編集]

  • 1988: Foreigner In A Strange Land
  • 1993: The Best Of The Early Years

(備考: リリースされたのは、レコーディングされてからかなりの年月が経っている)

ブラック・シープ[編集]

  • 1974: 『ブラック・シープ』 - Black Sheep
  • 1975: 『インコーラギング・ワーズ』 - Encouraging Words

フォリナー[編集]

シャドウ・キング[編集]

  • 1991: 『シャドウ・キング』 - Shadow King

リバティ・アンド・ジャスティス[編集]

  • 2001: Welcome To The Revolution

ドン・マンキューソ[編集]

  • 2005: D: Drive

ルー・グラム・バンド[編集]

  • 2009: 『バプタイズド・バイ・ファイア』 - Baptized By Fire

出典[編集]

  1. ^ Jamaica Gleaner News - Family connections at Jazz and Blues - Entertainment - Wednesday | January 28, 2009”. Jamaica-gleaner.com (2009年1月28日). 2009年3月3日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年11月3日閲覧。
  2. ^ アーカイブされたコピー”. 2013年1月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年12月18日閲覧。
  3. ^ Hall of Fame”. Rochester Music Coalition (2009年1月29日). 2013年11月3日閲覧。
  4. ^ CRR Interview - Lou Gramm: From a Black Sheep to a Juke Box Hero - 2014年2月2日閲覧
  5. ^ Allmusic: Review of Ready Or Not by Bret Adams”. Allmusic. 2014年2月2日閲覧。
  6. ^ Lou Gramm: Foreigner's lead singer talks about becoming a Christian - Lou Gramm”. Crossrhythms.co.uk (1996年8月1日). 2013年11月3日閲覧。
  7. ^ Reconnecting With…Lou Gramm - Andy Argyrakis”. Christianity.com. 2013年11月3日閲覧。
  8. ^ Barton, Geoff (2009年5月13日). “Gramm: Why My Foreigner Affair Turned Sour”. Classic Rock. オリジナル2009年5月17日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090517041325/http://www.classicrockmagazine.com/news/lou-gramm-why-my-foreigner-affair-turned-sour/ 2009年6月18日閲覧。 
  9. ^ Foreigner Get a Makeover | Music News”. Rolling Stone (2005年5月19日). 2013年11月3日閲覧。
  10. ^ Myspace”. Blogs.myspace.com. 2013年11月3日閲覧。
  11. ^ VVN Music”. Winkscollectibles.blogspot.com (2013年10月22日). 2013年11月3日閲覧。
  12. ^ Lou Gramm at German House Rochester, NY”. YouTube (2012年4月21日). 2013年11月3日閲覧。
  13. ^ Lou Gramm - High Point, NC - April 22, 2012 - Cold As Ice - 2 of 6”. YouTube (2012年4月25日). 2013年11月3日閲覧。
  14. ^ Lou Gramm Album & Song Chart History - Billboard 200”. Billboard. Prometheus Global Media. 2011年4月30日閲覧。
  15. ^ Results - RPM - Library and Archives Canada - Top Albums/CDs”. RPM. 2011年4月30日閲覧。

外部リンク[編集]