ミラージュ4000 (戦闘機)

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ミラージュ4000

ミラージュ4000

ミラージュ4000

ミラージュ4000(Mirage 4000)は、ダッソー社が開発した試作戦闘機シュペルミラージュ4000(Super Mirage 4000)と呼称されることもある。

概要[編集]

NATO4ヶ国共通戦闘機においてミラージュF1アメリカF-16に敗れた事で、小型戦闘機市場で後手に回ってしまったダッソーは、同じ小型戦闘機として開発していたミラージュ2000を大型化した『マキシ・ミラージュ(通称マミ)』と呼ばれる機体を自費で開発し、大型戦闘機市場に参入しようとした。F-15F-14がセールス上のライバルと目された開発当初から、高性能だが高価になる機体とされていたという。完成した機体はミラージュ4000(Mirage 4000)と命名された。

ミラージュ2000を基本にエンジンが双発になり、バブルキャノピーカナード翼を採用していた。あるいは1970年代に開発されながら結局は中断された双発可変翼戦闘機であるミラージュGを、カナードつきデルタ翼形式に改めた機体ともいえる。機体規模はミラージュ2000との比較で空虚重量にして74%大きくなり、ハードポイントは11ヶ所に増えた。最大のライバルとされた空軍機F-15との比較では、機体重量は同程度だがエンジン出力では下回っている。一方で海軍機のF-14との比較では、エンジン出力で同程度ながら、可変翼機ゆえに重量過大ぎみであったF-14の2/3程度の機体重量に収まった。なお、旧F/A-18トーネード IDSなどといった中型戦闘機クラスとの比較では、明らかに本機が上回っている。

試作機は1979年3月9日に初飛行し、航続距離や搭載能力においてアメリカのF-15には一歩譲るものの、それでもなお当時の西側戦闘機ではトップクラスの高性能な機体に仕上がった。しかしフランス空軍は大型・双発の戦闘機は過大な戦力であるとして、当機には最初から興味を示さなかった。

したがって、本機はあくまで輸出市場が目的であり、当初からサウジアラビアへの輸出を念頭に置いていたともされる。また、初飛行前からイランイラクが関心を持ち、特にイラクはイランが保有するF-14への対抗上、開発資金も提供していた。しかし本国での採用計画がないうえにコストがあまりにも大きいため、カタログスペック上では優秀であっても実績のない高額な機体を採用する国は現れなかった。イラン・イラク戦争の勃発によりイラクも開発計画から手を引き、サウジアラビアも結局はF-15を採用(ダッソー社のスポークスマンによれば、アメリカから取引を中断するよう圧力を受けていたという)している。そもそも当時は、F-14もアメリカ以外に1ヶ国(イラン)、F-15は3ヶ国(サウジアラビア、イスラエル日本)しか輸出実績はなく、このように高性能だが高コストな大型機の市場規模自体が、産油国や先進国などといった富裕国においても限られたものであったといえる。

こうした理由から試作のみに終わった。その後はラファールの開発支援用途に用いられて1988年1月8日まで飛行し、得られたデータが大いに貢献した。1995年にはパリ郊外のル・ブルジェ航空宇宙博物館に保存されることとなり、2002年から同博物館にて展示されている。

要目[編集]

Dassault Mirage 4000 and Mirage 2000B top-view silhouette comparison.png

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

GoogleMapに写っている、ル・ブルジェ航空宇宙博物館の屋外展示場で展示中のミラージュ4000