ミハイル・グレーヴィチ

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ミハイール・ヨーシフォヴィチ・グレーヴィチMikhail Iosifovich Gurevichロシア語表記:Михаил Иосифович Гуревич1893年1月12日1976年11月12日)はソビエト連邦の航空機設計者である。アルチョーム・イヴァーナヴィチ・ミカイァーンとともにミグ設計局で、ソビエトの戦闘機の設計を行った。

クルスク地域の町に醸造技術者の家に生まれた。ハリコフ大学の数学科に学ぶが、1年後革命活動により大学を追放され、フランスのモンペリエ大学に移り、フランスの国立航空宇宙大学院大学(École Nationale Supérieure de l'Aéronautique et de l'Espace)で航空工学の専門家となった。第一次世界大戦が始まった1914年夏に、故郷にもどった。内戦が終了した後、1925年にハリコフ工科大学を卒業し、州のエネルギー企業で働いた。

1929年、航空エンジニアの職を求めたモスクワに出て、1937年にポリカールポフ設計局のメンバーに加わり、1939年にミグ設計局の副設計主任となり、1957年に主任設計者となった。

5回のスターリン賞レーニン賞(1962年)、ソ連邦英雄(1957年)を受勲した。