ミハイル・グレーヴィチ

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ミハイル・グレーヴィチ
Михаил Гуревич
生誕1893年1月12日ユリウス暦 1892年12月31日)
ロシア帝国の旗 ロシア帝国クルスク県英語版スージャ郡ロシア語版ルバンシチナロシア語版
死没1976年11月12日(1976-11-12)(83歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦レニングラード
国籍ソビエト人
業績
専門分野 航空宇宙工学
雇用者 MiG設計局
設計 MiG-1
MiG-3
MiG-15
MiG-17
MiG-19
MiG-21
MiG-23
MiG-25
受賞歴 社会主義労働英雄

ミハイル・ヨーシフォヴィチ・グレーヴィチロシア語: Михаил Иосифович Гуревич1893年1月12日1976年11月12日)はソビエト連邦の航空機設計者である。アルチョム・ミコヤンとともにミグ設計局で、ソビエトの戦闘機の設計を行った。

クルスク地域の町の醸造技術者の家に生まれた。ハリコフ大学の数学科に学ぶが、1年後革命活動により大学を追放された為フランスモンペリエ大学に移り、フランス国立航空学校を出て航空工学の専門家となった。第一次世界大戦が始まった1914年夏に、故郷にもどった。内戦が終了した後、1925年にハリコフ工科大学を卒業し、州のエネルギー企業で働いた。

1929年、航空エンジニアの職を求めてモスクワに出て、1937年ポリカルポフ設計局のメンバーに加わり、1939年にミグ設計局の副設計主任となり、1957年に主任設計者となった。

5回のスターリン賞レーニン賞(1962年)、ソ連邦英雄(1957年)を受勲した。