ミシェル・ペトルチアーニ
ミシェル・ペトルチアーニ | |
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生誕 | 1962年12月28日 |
出身地 |
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死没 | 1999年1月6日(36歳没) |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1975年~1999年 |
レーベル | Owl, Blue Note, Dreyfus |
ミシェル・ペトルチアーニ(Michel Petrucciani, 1962年12月28日 - 1999年1月6日)は、フランス出身のジャズ・ピアニスト。先天性疾患による障害を克服し、フランス最高のジャズ・ピアニストと評価されるほどの成功を収めた。
その独自性の強いスタイルはビル・エヴァンスらの影響を受けており、また一部ではキース・ジャレットとも比較される。
目次
生涯[編集]
ペトルチアーニはフランスのオランジュでイタリア系フランス人の家庭に生まれた。遺伝的原因から、生まれつき骨形成不全症という障害を背負っていた。この障害のため、彼の身長は成長期になっても1メートルほどにしか伸びず、骨はもろく、またしばしば肺疾患に苦しめられた。同年代の少年が熱中するようなスポーツに加わることはできず、ペトルチアーニの関心はもっぱら音楽に向けられるようになった。ペトルチアーニは特にデューク・エリントンの音楽を好み、ピアニストになりたいと願うようになった。そこでクラシック・ピアノを習い始め、何年も練習を続けたが、その一方でジャズから心が離れることはなかった。
ペトルチアーニは13歳で最初のコンサートを迎え、18歳の時に初めてトリオを組んだ。彼の骨は非常にもろかったので、演奏席までは他人に運んでもらわねばならなかった。またペダルに足が届かないためペダル踏み機を使わねばならなかったが、腕は標準的なサイズであったことで、鍵盤を弾くことができたのである。その天才的な演奏ぶりは広く注目を集めた。
1982年、ペトルチアーニはアメリカへ渡った。アメリカで彼はチャールズ・ロイドのバンドに参加するなど、いっそう積極的に演奏に取り組み、1980年代~1990年代を代表するジャズ・ピアニストの一人となった。1986年にはウェイン・ショーターとアルバムで共演、また晩年のディジー・ガレスピーとも共演している。
ペトルチアーニはフランス人としては最初に、名門ジャズレーベルのブルーノート・レコードと契約したピアニストである。1994年、レジョン・ドヌール勲章を受章、2002年6月にはパリ18区の広場が「ミシェル・ペトルチアーニ広場」と命名された。
ペトルチアーニは3人の女性と関係を持った。 最初の結婚はインディアン・ナバホ族出身のエルリンダ・モンターニョ。2度目の結婚はイタリア人のピアニスト、ジルダ・ブッタ(Gilda Buttà)。ペトルチアーニは2人の息子の父親となったが、アレクサンドル(Alexandre)は父親と同じ障害を持って生まれた。
ペトルチアーニはイタリア語をとても流暢に話すことができたため、イタリアでのコンサートではアナウンスを自らイタリア語で行った。
ペトルチアーニは、若い頃から体質上「寿命は20歳程度まで」と言われていた身だった。実際にはそれよりはるかに寿命を長らえて活躍したが、ツアー先のニューヨークで急性肺炎を起こして死去した時は、36歳の誕生日から10日足らずであった。彼の遺体はパリのペール・ラシェーズ墓地内、フレデリック・ショパンの墓からほど近い場所に葬られた。
2011年、マイケル・ラドフォード監督によるドキュメンタリー映画『情熱のピアニズム』が製作される(日本公開:2012年10月13日)。幼少時から死の直前までの演奏風景や日常を撮り溜めた貴重な映像を中心に、家族や音楽仲間らの証言によって構成されている。第37回セザール賞ドキュメンタリー部門にノミネートされるなど高い評価を受けた。
年譜[編集]
- 1962年12月28日 - トニー・ペトルチアーニの三男としてフランスのオランジュに生まれる
- 1966年 (4歳) - テレビでデューク・エリントンを見てクラシック・ピアノを習い始める
- 1968年 (5 又は6歳) - オランジュ古代劇場にてカウント・ベイシーを聴く
- 1968年 (6歳) - モンテリマールへ引っ越す
- 1970年代初め - ダンスホールで初めて演奏する。ギャラはオレンジ一つ。
- 1975年 - ドローム県、クリウスクラ・ジャズ・フェスティバルに出演、プロデビュー。スペシャル・ゲストとして参加したクラーク・テリーに認められる
- 1977年 - モンテリマール劇場で行われたケニー・クラーク、ダニエル・ユメール、シャルル・ソードレーのツアーに一部で参加する。このときダニエル・ユメールからアルバムを作ろうと誘われるが、父親がまだ早いと断る。
- 1980年7月 - グランド・モット・フェスティバルに参加する。ビル・エバンスに会う。
- 1980年 - パリで最初のアルバム『フラッシュ』を録音、レコード・デビューする
- 1981年 - カリフォルニアに旅立ち、 友人トロックス・ドロハートの紹介でビック・サーにあるエサレン研究所にて住み込みで働く。ここでチャールズ・ロイドの妻ドロシー・ダールに出会い、ロイドとの演奏活動が始まる。
- 1981年 - チャールズ・ロイドとサンタバーバラのロベロ劇場にてコンサートを行う。マスコミにロイドをカムバックさせたフランスのピアニストとして取り上げられる。
- 1981年(18歳) - インディアン・ナバホ族出身のエルリンダ・モンターニョと結婚する
- 1981年-1982年 - リー・コニッツ(アルト・サックス)と欧州公演を行う
- 1982年7月 - チャールズ・ロイド・カルテットにてモントルー・ジャズ・フェスティバルに参加する
- 1982年 - チャールズ・ロイドとパリ・ジャズ・フェスティバルに参加する
- 1983年 - ニューヨークの「クー・ジャズ・フェスティバル」にソロ・ピアノで出演する
- 1983年 - フランク・カッセンティ監督の映画「ミシェル・ペトルチアーニへの手紙」がカンヌ映画祭に出品される
- 1985年 - チャールズ・ロイド・カルテットから脱退する
- 1985年 - エルリンダ・モンターニョと離婚する
- 1985年 - ニューヨークに移る
- 1985年 - フランス人として初めてブルーノート・レコードと専属契約し『ピアニズム』を録音
- 1993年 - イタリア人ピアニスト、ジルダ・ブッタと結婚するが、3ヶ月で離婚する
- 1994年 - フランスに戻る
- 1994年 - フランス政府からレジオンドヌール勲章を贈られる
- 1997年11月 - 南青山「ブルーノート東京」において来日公演
- 1998年2月 - インターネットでオンライン・インタビューを行う
- 1999年1月6日 - ニューヨークにて肺感染症に冒され、マンハッタンのベス・イスラエル・メディカルセンターに入院、他界する。36歳
- 1999年1月15日 - パリのサン・ロック教会で葬儀が行われる
関連作品[編集]
ディスコグラフィ[編集]
リーダー作品[編集]
- 1980年代
- フラッシュ - Flash (Bingow) 1980年
- ミシェル・ペトルチアーニ - Michel Petruciani(1981年4月録音)(Owl) 1981年
- デイト・ウィズ・タイム - Date With Time (Celluloid/Rhino/Wea) 1981年
- エスターテ - Estate(1982年4月、5月録音)(IRD/Sound Hills) 1982年
- ダーン・ザット・ドリーム - Darn That Dream (Celluloid/Rsd) 1982年
- リー・コニッツと共同名義, トゥート・スウィート - Toot Sweet(1982年5月録音)(Owl) 1982年
- オーラクルズ・デスティニー - Oracle's Destiny(1982年10月録音)(Owl) 1983年
- 100ハーツ - 100 Hearts(1983年6月録音)(Concord/George Wein Collection) 1984年。のち再発 (Blue Note)。
- ライブ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード - Live At The Village Vanguard(1984年3月録音)(Concord) 1985年。のち再発 (Blue Note)。(ニューヨーク「ヴィレッジ・ヴァンガード」におけるライヴ)
- ノート・アンド・ノーツ - Note'n Notes(1984年10月録音)(Owl) 1984年
- ロン・カーターと共同名義, コールド・ブルース - Cold Blues(1985年1月録音)(Owl) 1985年
- ピアニズム - Pianism(1985年12月録音)(Blue Note) 1986年
- パワー・オブ・スリー - Power Of Three(1986年7月録音)(Blue Note) 1987年(モントルー・ジャズ・フェスティバルにおけるライヴ。ジム・ホールおよびウェイン・ショーターと共演。)
- ミシェル・プレイズ・ペトルチアーニ - Michel Plays Petrucciani(1987年9月、12月録音)(Blue Note) 1988年
- ミュージック - Music (Blue Note) 1989年
- ボブ・マラックと共同名義, カンヴァセーション・ウィズ・ミシェル - Conversations With Michel(1988年、1989年録音)(Go Jazz) 2000年(没後作品)
- 1990年代
- プレイグラウンド - Playground (Blue Note) 1991年
- ライヴ - Live (Blue Note) 1991年(フランスのメス「アルセナル (Arsenal de Metz) 」におけるライヴ)
- プロムナード・ウィズ・デューク - Promenade With Duke (Blue Note) 1992年
- トニー・ペトルチアーニと共同名義, カンヴァセーション - Conversation(1992年11月録音)(Dreyfus) 2001年(没後作品)
- マーヴェラス - Marvellous(1993年12月録音)(Dreyfus) 1994年(スタジオ「パレ・デ・コングレ・ド・パリ」において録音。トニー・ウィリアムスが参加。)
- ニールス・ペデルセンと共同名義, Michel Petrucciani & NHOP(1994年4月録音)(Dreyfus) 2009年(コペンハーゲンにおけるライヴ。没後作品。CD 2枚組。)
- エディ・ルイスと共同名義, デュオ・イン・パリ - Conference De Presse(1994年6月録音)(Dreyfus) 1994年
- マーカス・ミラーと共同名義, ドレフュス・ナイト - Dreyfus Night In Paris(1994年7月録音)(Dreyfus) 2003年(ライヴ。没後作品。)
- シャンゼリゼ劇場のミシェル・ペトルチアーニ - Au Théâtre Des Champs-Elysées(1994年11月録音)(Dreyfus) 1995年(「シャンゼリゼ劇場」におけるソロ・ライヴ。CD 2枚組。)
- ステファン・グラッペリと共同名義, フラミンゴ - Flamingo(1995年6月録音)(Dreyfus) 1996年
- ミシェル・ペトルチアーニ - Michel Petrucciani (Musica Jazz/Dreyfus) 1996年
- ボース・ワールズ - Both Worlds (Dreyfus) 1997年
- ソロ・ライヴ - Solo Live in Germany(1997年2月録音)(Dreyfus) 1998年。のち2CD完全版 2007年。(フランクフルト「旧オペラ座」におけるライヴ)
- ライヴ・アット・ブルーノート東京 - Trio In Tokyo(1997年11月録音)(Dreyfus) 1999年(南青山「ブルーノート東京」におけるライヴ。没後作品。)
コンピレーション[編集]
- Both Worlds Live North Sea Jazz Festival (Dreyfus) 1997年(マーヴェラスとフラミンゴのカップリング。CD 2枚組。)
- アウル・イヤーズ 1981-1985 - Days And Wine And Roses (1981-85) (Owl) 2000年(CD 2枚組)
- The Blue Note Years(1985年~1992年在籍)(Blue Note) 1993年
- 未発表ボックス - Concerts Inedits(1993年、1994年録音)(Dreyfus) 1999年(CD 3枚組)
- ソー・ホワット - So What: Best of Michel Petrucciani (Dreyfus) 2004年
- ザ・コンプリート・ドレフュス・ジャズ・レコーディングス - The Complete Dreyfus Jazz Recordings (Dreyfus) 2008年(10CD、2DVD)
客演[編集]
- ミシェル・グレイエ, ドリーム・ドロップス - Dream Drops 1981年
- チャールズ・ロイド, ナイト・ブルーミング・ジャスミン - Night Blooming Jasmine 1981年
- チャールズ・ロイド, モントルー '82 - Montreux '82(1982年録音)(Elektra/Musician) 1983年
- チャールズ・ロイド, ナイト・イン・コペンハーゲン - A Night In Copenhagen(1983年録音)(Blue Note) 1985年
- ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート Vol.4 - One Night With Blue Note Volume 4 (Blue Note) 1985年
- マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル・86年・ウィズ・ブルーノート Vol.2 - Mt.Fuji Jazz Festival'86 With Blue Note Vol.2 (Blue Note) 1986年
- ラシェル・フェレル, ファースト・インストルメント - First Instrument 1989年
- マンハッタン・プロジェクト - The Manhattan Project (Blue Note) 1989年
- ルイ・ペトルチアーニ, ライブラリアン - The Librarian (Anaïs) 1990年
- ジョー・ロヴァーノ, フロム・ザ・ソウル - From The Soul (Blue Note) 1991年
- フィリップ・ペトルチアーニ, ファースト - The First 1991年
- セルジュ・フォルテ, ヴァイナ - Vaina 1992年
- リアン・フォリ, リュミエール - Lumieres ! 1994年
- シャルル・アズナヴール, ジャズナヴール - Jazznavour (EMI) 1998年
- スティーヴ・グロスマン, カルテット - Quartet(1998年1月録音)(Dreyfus) 1999年
- パトリック・ロンダット, オン・ザ・エッジ - On The Edge 1998年
フィルモグラフィ[編集]
- ミシェル・ペトルチアーニへの手紙 - Lettre A Michel Petrucciani (1983年)
- ライブ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード Vol.2 - Live At The Village Vanguard Volume 2 (1984年)
- ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート - One Night With Blue Note (1985年)
- 富士山・ジャズ・フェスティバル・86年・ウィズ・ブルーノート Vol.2 - Mt.Fuji Jazz Festival'86 With Blue Note Vol.2 (1986年)
- パワー・オブ・スリー - Power Of Three (1986年)
- レジェンド・オブ・ジャズ・ギター Vol.3 - Legends of Jazz Guitar Volume 3 (1986年)
- マンハッタン・プロジェクト - The Manhattan Project (1989年)
- ノン・ストップ - ミシェル・ペトルチアーニの旅 - NON STOP - Eine Reise mit Michel Petrucciani (1996年)
- ライブ・イン・コンサート - Live In Concert (1998年)
- ミシェル・ペトルチアーニ・イン・メモリアム - Michel Petrucciani: In Memorien (1998年)
- 情熱のピアニズム - Michel Petrucciani: Body & Soul (2011年) ドキュメンタリー映画
楽譜[編集]
- Petrucciani Original Transcription Piano (1992)
- Michel Petrucciani Note For Note (1993)
- Michel Petrucciani Songbook (2000)
書籍[編集]
- Michel Par Petrucciani/Frederic Goaty (2000年, フランス語)