マリー・フォン・ザクセン=アルテンブルク (1818-1907)
| マリー Marie | |
|---|---|
| ハノーファー王妃 | |
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| 在位 | 1851年 - 1866年 |
| 別称号 | カンバーランド=テヴィオットデイル公爵夫人 |
| 全名 |
一覧参照
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| 出生 |
1818年4月14日 |
| 死去 |
1907年1月9日(88歳没) |
| 埋葬 |
1907年1月19日 |
| 結婚 | 1843年2月18日 ハノーファー |
| 配偶者 | ゲオルク5世 |
| 子女 | |
| 家名 | ザクセン=アルテンブルク家 |
| 父親 | ザクセン=アルテンブルク公ヨーゼフ |
| 母親 | アマーリエ・フォン・ヴュルテンベルク |
| 宗教 | キリスト教ルーテル教会 |
マリー・フォン・ザクセン=アルテンブルク(ドイツ語: Marie von Sachsen-Altenburg, 1818年4月14日 - 1907年1月9日)は、ハノーファー王妃。
生涯
[編集]1818年4月14日、ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公世子ヨーゼフとヴュルテンベルク公女アマーリエ(ルートヴィヒ公の次女)の長女として、ヒルトブルクハウゼンで生まれた[1]。妹にオルデンブルク大公ペーター2世妃エリーザベト、ロシア大公コンスタンチン・ニコラエヴィチ妃アレクサンドラがいる。
- 長女マリー(シュティーラー画・1850年頃)
- 四女エリーザベト(シュティーラー画・1846年頃)
- 五女アレクサンドラ(シュティーラー画・1850年頃)
1826年、ヨーゼフはヴェッティン家エルンスト系の親族間での領地再編によってザクセン=アルテンブルク公となったため、一家はアルテンブルクに転居した。この時からマリーの称号もザクセン=アルテンブルク公女(Prinzessin von Sachsen-Altenburg)となった。
1843年2月18日、ハノーファーにおいてハノーファー王太子ゲオルク(後のゲオルク5世)と結婚し、間に1男2女を儲けた[2]。
1851年11月18日、夫は父王エルンスト・アウグストの死去に伴いハノーファー国王ゲオルク5世として即位し、マリーも王妃となった。

1858年から1867年にかけて、ゲオルク5世は妻への誕生日プレゼントとして彼女の名に因むマリエンブルク城を建設させた。しかし、ゲオルク5世は普墺戦争勃発時にオーストリア支持に回ったことでオーストリア敗北後に国外追放された。1866年9月20日、ハノーファー王国はプロイセン王国に併合された。しかしその状況下においても、ゲオルク5世は決して退位せずウィーンに向かい、マリーと子どもたちはヘレンハウゼン王宮に留まった。1867年9月、まだ建設中のマリエンブルクに引っ越し、そこから自身がウィーンに逃げる前にハノーファー王冠や貴重な品々を密かに国外に持ち出すことに成功した。オーストリア入国後のハノーファー家はザルツブルク近郊のグムンデン(現在のオーバーエスターライヒ州グムンデン郡)のヴィラを借り、のちに買い取って亡命先の居館とした。
1872年9月18日、マリーはイギリス女王ヴィクトリアの孫のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク公女マリー・ルイーズの代母となった。マリー・ルイーズはヴィクトリア女王とアルバート公の第三王女ヘレナの娘である。
1878年、ゲオルク5世はハノーファー王国復興を目指すためのヴェルフェン軍団(Welfenlegion)再建のために滞在していたパリで客死し、イギリスのウィンザー城聖ジョージ礼拝堂に葬られた。
王妃マリーは夫の死から28年後の1907年1月9日にグムンデンのクーニギン・ヴィラ(Königinvilla, 王妃のヴィラ)で亡くなった。のちに長男エルンスト・アウグストが建てたクンバーラント城の霊廟に葬られた。
子女
[編集]- エルンスト・アウグスト・ヴィルヘルム・アドルフ・ゲオルク・フリードリヒ(1845年 - 1923年)- ハノーファー王太子、デンマーク王女テューラと結婚
- フリーデリケ・ゾフィー・マリー・ヘンリエッテ・アメーリエ・テレーゼ(1848年 - 1926年)- アルフォンス・フォン・パーヴェル=ラッミンゲン男爵と結婚
- マリー・エルネスティーネ・ヨゼフィーネ・アドルフィーネ・ヘンリエッテ・テレーゼ・エリーザベト・アレクサンドリーネ(1849年 - 1904年)
- ハノーファー王太子妃マリーと長男エルンスト・アウグスト(カール・エスターレー画・1846年)
- マリー王妃と次女マリー(ヴィルヘルム・フォン・カウルバッハ画・1866年頃)
脚注
[編集]- ↑ “Carl Ferdinand Sohn (1806-67) - Marie Alexandrina of Saxe-Altenburg, Queen of Hanover (1818-1907)”. www.rct.uk. 2026年8月15日閲覧。
- ↑ Burke, Bernard (1899). A Genealogical and Heraldic Dictionary of the Peerage and Baronetage Together with Memoirs of the Privy Councillors and Knights. p. ci
関連項目
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ウィキメディア・コモンズには、マリー・フォン・ザクセン=アルテンブルクに関するカテゴリがあります。
| ハノーファー君主の配偶者 | ||
|---|---|---|
| 先代 フリーデリケ・ツー・メクレンブルク |
ハノーファー王妃 1851年 - 1866年 |
次代 プロイセン王国に併合 |