ブラッド・ソーン

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ブラッド・ソーン(2011年)

ブラッド・ソーンBradley Carnegie Thorn 1975年2月3日 - )は、ニュージーランド出身のラグビー選手。ポジションはロック。リーグ時代のポジションはセカンドロー、プロップ。

人物[編集]

1975年2月3日、ニュージーランド南島ダニーデン郊外のモズギールで生まれる。身長196cm、体重116kg。

キャリア[編集]

ラグビーリーグ[編集]

8歳のときにニュージーランドからオーストラリアへ移住。1994年クイーンズランド州ラグビーリーグのクラブ、ブリスベン・ブロンコスのジュニアチームに入り、さらにリーグのオーストラリア代表ジュニアチーム、ジュニアカンガルーズに選ばれる。

同年、ブロンコストップチームに昇格、ウィンフィールドカップ(1994 Winfield Cup、現在のNRL)の第12週、カンタベリー・バンクスタウン・ブルドッグス戦でデビュー。Club's rookie of the year awardを受賞。

1996年、ステイト・オブ・オリジン(ラグビーリーグニューサウスウェールズ州選抜とクイーンズランド州選抜による3試合シリーズマッチ)に初選出、3試合すべてに出場する。翌1997年、オーストラリアスーパーリーグ(NRLに名前が変更する前の名称)とスーパーリーグ・トライシリーズ(ニューサウスウェールズ、クイーンズランド、ニュージーランド選抜対抗戦)に出場。ブロンコスはオーストラリアスーパーリーグ1997シーズン優勝、同年、ワールドクラブチャンピオンシップ(欧州とオーストラリアのクラブが出場する大会)でも優勝。

その後、1998年2000年のNRLシーズン優勝、1998~2000年、ステイト・オブ・オリジンに出場、さらに1997,98年とラグビーリーグオーストラリア代表に選出、2000年、 Australian Sports Medal受賞という輝かしい実績を残し、ユニオンに転向、ニュージーランドへ戻る。

ユニオン転向[編集]

2001年、スーパー12(現スーパーラグビー)のクルセイダーズと、ニュージーランド州代表選手権(現ITM CUP)のカンタベリー州代表チームに入る。同年、オールブラックスから招集の声がかかるも辞退。2003年、晴れて代表デビュー、同年オーストラリアで開催された第5回ラグビーワールドカップに出場。ソーンはこの大会で、ニュージーランド人のビル・ハードキャッスル(Bill_Hardcastle 1874-1944)以来の、リーグとユニオンの異なる国でのナショナルチームで出場した世界で2人目の選手となる。同年、トライネイションズに出場。

2004年、州代表選手権でカンタベリー優勝に貢献し、ふたたびリーグでプレーするためにオーストラリアへ戻る。

リーグ復帰[編集]

2005年、ブリスベンに戻ったソーンは、古巣ブロンコスで3年間プレーすることになる。2005年のステイト・オブ・オリジンにクイーンズランド州選抜として3試合出場、翌2006年、ブロンコスはNRLの2006シーズンで優勝。

2007年のNRLシーズン終了後、ソーンはふたたびユニオンでプレーするためにニュージーランドへ戻る。

ユニオン復帰[編集]

2007年、タズマン州代表チームに入り、2008年、クルセイダーズに復帰する。この年クルセイダーズは決勝でワラタスを下し優勝、ソーンはスーパーラグビーとNRLのタイトルを獲得した2人目の選手となる。
※ピーター・ライアンがブロンコスで1998年、ブランビーズで2001年にタイトル獲得

2008年、オールブラックスに選出され、アイルランド戦に出場、同年、2010年のトライネイションズにも出場。

2011年、ワールドカップ終了後、ジャパンラグビートップリーグ福岡サニックスブルースに加入することが発表された。

2013年ハイランダーズに加入した。[1]

脚注[編集]

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