ハノーファー会議
ハノーファー会議(ハノーファーかいぎ)は、1926年1月24日にドイツのハノーファーで行われた、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)のグレゴール・シュトラッサーらを中心とする党内左派幹部が主宰した会議である。この会議では、旧諸侯の財産没収案、親ソ外交路線、党の綱領の明確化等が論議され、社会主義的な政策案を草案にまとめ、アドルフ・ヒトラーとナチ党中央に訴えた。しかし、ヒトラーやミュンヘン党本部のドイツ南部を中心とするナチス主流派からは草案を拒否され、同年2月14日に開かれたバンベルク会議の場で草案を正式にヒトラーから否定され、議論の末、ナチス左派幹部は敗北した。
概要[編集]
1926年1月24日、ハノーファー管区指導者で高等学校の教員をしていたベルンハルト・ルストの家で、ナチス左派の指導者達が集まった。ヒトラーの名代として派遣されたゴットフリート・フェーダーの出席は彼らの怒りを買ったが、かろうじて出席を認められた。
出席者は、
- グレゴール・シュトラッサー
- オットー・シュトラッサー
- ヨーゼフ・ゲッベルス
- ベルンハルト・ルスト
の他、
- シュレースヴィヒ=ホルシュタイン管区指導者のヒンリヒ・ローゼ
- ブランデンブルク管区指導者のカール・ホルツ
- ベルリン管区指導者エルンスト・シュランゲ
- ポムメルン管区指導者ヴァーレン教授
- ブラウンシュヴァイク管区指導者クラゲス
- シュレージェン管区指導者ロージーカート
- ラインラント管区指導者カール・カウフマン
- ラインラント南管区指導者ロベルト・ライ
- ルール管区指導者エーリヒ・コッホ
- メクレンブルク管区指導者ヒルデブラント
ら、24名だった。
フェーダーとライを除く全員は、かねがねシュトラッサー兄弟の草案に賛成し、ミュンヘン・ナチの牛耳る「エーア出版社」から独立した出版社を起こすことに同意した。
この会議で特に座を興奮させたのは、当時の政界の問題のひとつだった旧諸侯財産補償の問題だった。当初、旧諸侯の財産は一時凍結されていたが、私有権をうたったヴァイマル憲法第53条の関係で没収されず、その解決処置は個々の州政府や自治体とそれぞれの諸侯との話し合いにまかせられていた。旧諸侯財問題に完全な形で決着をつけるには、26億マルクを必要とするものであり、KPDやSPDは財産没収の国民投票を要求していたが、ヒトラーを含むブルジョワ諸政党はこれに反対していた。しかしナチス左派は、ミュンヘン・ナチとは違い財産の無償没収を主張していた。
会議の結果、無償財産没収の件はライを除く出席者全員の賛同を得るようになり、ハノーファー会議は決議された。
参考文献[編集]
- 八田恭昌『ヴァイマルの反逆者たち』世界思想社、1981年 ISBN 978-4790701972
- 水木しげる『劇画ヒットラー』(ちくま文庫、1990年7月、ISBN 4-480-02449-2)