ノーラン・ブッシュネル

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ノーラン・ブッシュネル

ノーラン・ブッシュネル(Nolan Bushnell, 1943年2月5日 - )は、アメリカ合衆国の元ゲームデザイナー実業家で、アタリ社の創業者。娯楽産業史上「ビデオゲームの父」と呼ばれる。以前の日本語表記はローマ字読みで「ノラン」だったが、現在は発音に忠実な「ノーラン」が使われている。

軌跡[編集]

ビデオゲームに触れるまで[編集]

ユタ州ソルトレイクシティに近いクリアフィールド町に、4人兄弟の第2子(長男)として生まれる。子供の頃からSF・パズル・数学・電気工作が好きで、10歳でアマチュア無線を始め、コールサインはW7DUK。セメント業者でモルモン教徒の父は、ブッシュネルが15歳の時に亡くなったが、生命保険に入っていたので、生活は苦しくなかった。

ブッシュネルは、「自立性と感性を養う」「父の死」「教科書を買う金をポーカーで負けてすってしまう」等の理由から、小遣いを貰えなかったので、アルバイトをする必要が生じた。得意の電気工作を活かし、電気製品の格安修理を個人で行なったりしたが、一番大きな体験は、大学時代における近所の老舗遊園地「ラグーン遊園地」でのアルバイトだった。これはゲームコーナーでの客引き・射的や輪投げのプレゼント渡し・電気工作によるエレメカの修理などで、通常は週末のみだったが、夏休みは毎日働き、実績を得ると、経理などの事務業務も任された。ブッシュネルはこれで「アーケードゲームで儲ける」「電気工作で儲ける」という感覚を身につけ、これが後のゲームビジネスに役立ったと語っている。

『スペースウォー!』からアタリ時代[編集]

※各記事の詳細はいずれもそのリンク先の項目を参照。

1961年ユタ州立大学に入学。その後、ユタ州立大学からユタ大学工学部に転入したブッシュネルは、『スペースウォー!』の魅力を知った。ブッシュネルの専攻は電気工学だったが、後からプログラムの授業を履修する等して、『スペースウォー!』に近づく事に成功した。この他にブッシュネル自身でも簡単な追っかけゲーム『キツネとガチョウ』を作っている。

1968年にユタ大学を卒業し、卒業後はアミューズメントの仕事に就こうと、ディズニー関係の会社に就職するがうまく行かず、世界初のテープレコーダー会社であるアンペックス社に転職、デジタルレコーダーシステムの業務に関わったが、このアンペックス社には、後にアタリで共に仕事をする仲間が多数在籍していた。この時、既に先妻ポーラと結婚、娘を2人儲けているが、娘達は後述の『コンピュータースペース』の時に、とばっちりを受ける事になる。

1970年に電子部品の値段が安くなったのを見るや、『スペースウォー!』のアーケードゲーム版『コンピュータースペース』を製作・発売したが、操作が難しく、人気が出なかった。

これで諦めなかったブッシュネルは、1972年アタリを創業する。社名は囲碁用語のアタリに由来する。ゲーム史上初のヒット作『ポン』を発売、一気にコンピューターゲームを世に浸透させ、続いて『ホーム・ポン』(1974年)、『ブレイクアウト』(ブロックくずし1976年)等の大ヒットゲームを生み出し、わずか数年で大企業に成長させた。

その後は家庭用ゲーム機Atari 2600」等を開発しようとしたが、資金難に陥る。そこで1976年にアタリの全株をワーナー・コミュニケーションズに2800万ドルで売却、これまでにも『ポン』『ブレイクアウト』で儲けていたのが、この売却でさらに1300万ドルを得、億万長者となった。だがワーナーとはその後、経営方針の違いで大きく衝突、1978年に解任、アタリから退いた。

アタリ退社後[編集]

ワーナーとの契約時、「退社後5年間はアタリと競合する業務をしてはいけない」と言う条件があった為、5年間はゲーム以外の仕事を行なっていた。5年経った1983年からはアーケードゲームにも復帰し、主な事業は以下の通り。

ピザタイムシアター PTT(1977年開店、解任後すぐ店舗拡張開始)
ピザ屋とゲームセンターの融合店。アタリ退社後に一番成功した事業はこれで、再度注目の人となった。後に経営悪化、キーナンにトップの座を任せたが、競合他社に吸収合併された。
アクスロン(1980年
コンピューター周辺機器メーカー。
センテ・アーケード・コンピューターシステム SAC(1983年
老舗アーケードメーカー、バリー社の協力を得た、アーケードゲーム用基板のレンタル業。この社名も囲碁用語(先手)で、アタリ創業時の社名候補だった。だがレンタルというシステムが市場に受け入れられず、カートリッジ式基板も既にデータイーストデコ・カセットシステムが先を行っており、ヒットしたゲームは『ハットトリック』だけだった。
カタリスト・テクノロジーズ(1981年
ベンチャー企業の共同体で、新技術・新製品の援助を運営者と参加者同士で行なう。ちなみに「コンピュータースペース」開発時にとばっちりを受けた長女アリサも、父の血を受け継ぎベンチャー企業を経営、父と長女で同じビルに事務所を構えた事もある。
ユーウィンク(2000年
タッチパネルインターネット端末を使ったゲームシステム。
(名称不明)
映画の様に複雑化したゲーム界を見直し、誰でも遊べる簡単なゲームを併設した飲食店。

だがこれらも、最後まで成功せず挫折する事業が多く、1985年には破産した。現在は各種団体のメンバーや講演会などを仕事とする、「忙しい失業者」である。自家用ジェット機を2機も持ち、下院議員に立候補の話も出た事がある。

2005年にはアメリカの大型レジャー施設「メトレオン」に、「ゲームの歩みを記した人物」(Walk of Game)として、ブッシュネルと宮本茂の名が、星印の中に刻まれた。

2008年パラマウント映画が、レオナルド・ディカプリオ主演でブッシュネルの半生を描いた映画『Atari』を製作発表。プロデューサーもレオナルド・ディカプリオが務めた。

外部リンク[編集]

参考文献[編集]