ノート:ヨーロッパにおける政教分離の歴史/過去ログ7

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記事改名の無断差し戻しについて[編集]

  • 記事改名につき無断で差し戻しされておりますので問題提起致します。正式な改名提案の過程を経て編集参加者の了解のもとで行われた改名をこのようならんぼうな手段で改変されたことにたいへんな憤りをかんじております。このような荒らし行為をもってwikipedia編集に参加頂かないようお願い申し上げます。記事の改名についてはWikipedia:ページの改名がございます。なお無断差し戻しをおこなったアカウントについては荒しとしてすでに投稿ブロックの依頼がなされておりますのでご報告いたします。--大和屋敷会話2017年6月9日 (金) 08:35 (UTC)
大和屋敷氏の「正式な改名提案の過程を経て編集参加者の了解のもとで行われた改名」という主張には明らかな虚偽があります。
  1. Wikipedia:記事名の付け方においては改名に際して「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」 という5原則が提示されています。「キリスト教国家論の歴史」という記事名はこのうち「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「首尾一貫している」の4点に明白に反します。そもそも「キリスト教国家論」とはどういうものかという点について明確にされていないだけでなく、政教分離の歴史において決定的な国家論の論者であるパドヴァのマルシリウスやマキャヴェリなど明らかに国家に宗教的要素を入れておらず、これをキリスト教国家論者とするのはあまりに無理があるし、定説とも異なります。あるいは政教分離に決定的な一歩を踏み出したホッブズが「キリスト教国家」を論じているからそれをキリスト教国家論であると主張する向きもあるでしょうが、本記事内でも示したようにベッケンフェルデはそれをキリスト教国家論とはいえない(「国家の根拠をキリスト教に求めているわけではない」)と論じており、この点についての邦文の体系的研究である梅田百合香『ホッブズ 政治と宗教』においてもそれは変わらないのです。その一方で何度も繰り返しますが、近世においてキリスト教国家論と呼ばれるべきものがあったことは確かです。それは記事中にも言及されるゼッケンドルフの、そのものずばり『キリスト教国家論』という論考に代表される近世の国家論の一類型で、その内容は国家の利害とキリスト教倫理の調和を説き、キリスト教国家理性とは何かを追求したものです。南充彦はこうしたキリスト教国家理性という考え方は対抗宗教改革以降に顕在化したと論じています。こうした思想史的な研究の定説から見ても「キリスト教国家論」という記事名が本記事内容を正確に捉えておらず、せいぜいその一部分にようやく重なるに過ぎず、記事内容のほとんどとは著しく乖離していることは明白です。もし本記事を「キリスト教国家論の歴史」だと思ったとすれば、それは大変な勉強不足であるように思われます。そして、記事内容はそもそも国制史的な国家概念や国家構造を中心に展開されており、思想史的な国家論が中心になっているわけではありませんから、この記事はそもそも国家論の歴史ですらありません。この点で「キリスト教国家論の歴史」という記事名はまず記事内容に合っておらず、首尾一貫したものでもなく、見つけやすいものでもなく、定義は曖昧ではっきりせず、大和屋敷氏がその内容をよく理解できない程度には認知度は高くないと思われます。
  2. Wikipedia:ページの改名は「明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」にただちに改名することが出来ると規定しています。この方針に則れば、前述のように記事名の付け方のガイドラインを明らかに満たしていない記事名を差し戻すことは方針文書に則った正規の行動として認められているものです・
  3. 「編集参加者の了解」については私が明白に反対しており、そもそも了解は取られていません。私がたとえ今編集に関わらないと宣言したとしても、私が過去においてこの記事の加筆を行ったことは事実であり、明確な編集参加者です。そもそもウィキペディアにおいてブロックなどの編集制限を受けていない限り基本的にすべての利用者は編集参加者として認められています。それは個人的であれ公にであれウィキブレイク宣言をしていても変わりません。利用者はいつでも即座に、宣言なしに自由意志で編集行為に参加できるのが「自由」なウィキペディアの基本原則ですが、それを失念しているようです。
以上のように、今回の改名は不適切であり、私の差し戻し行為は手続き上正当な方針文書の規定に忠実に基づいて行ったものであることを宣言致します。--硯箱会話2017年6月9日 (金) 13:04 (UTC)
  • 賛成 大和屋敷さんに賛成。硯箱さんの行為は手続き上不当な差し戻しであることは明らか。大和屋敷さんのご提案に基づく合意が形成されたことを支持します。--ぽてから会話2017年6月9日 (金) 15:31 (UTC)
  • コメント 票を付けろと言われると反対ですが。まず、改名の発端である#提案者本人撤回のため再度タイトル案を募集しますにおいて、大和屋敷さんは硯箱さんの意見について意見を全く取り合わなかったことがそもそもの問題です。あくまで編集を自粛するというのは利用者の意思によるものであって、利用者‐会話:硯箱#ノート:政教分離の歴史における議論について(これはこのセクションが設けられる「前」に投稿されている)を見る限りは「標準名前空間の編集を止めると言っていて、ノートで意見を述べるのを止めるとは言ってない」と述べています。大和屋敷さんの主張する「編集に関わらない」と言っている差分での投稿ではどちらとでも受け取れる文章です。いずれせによ、意固地になって出典を求めたものに対して拒否するということが積み重なったもので、そこに合意があったとはいえないのではないでしょうか。どのような形であれ、改名に対して異論はあったわけです。LTAや荒らしの議論妨害とかならともかく、出典を示してという意見については一定の理解ができる話で、これを拒絶したことに正当性はあるでしょうか。少なくとも、改名という動きがあってそれが差し戻された後ではありますが、硯箱さん以外にSusukaさんと私が出典を求めていることについて、一度話をしている(これがUTCで6月9日のこと)が、返事すら今のところない(以降、全く編集がないわけではなく、10日にもこのノートに投稿しているから見ているはずです)わけで、こんな状況下で果たして「合意を形成できていた」といえるでしょうか。私はそうはみえません。--アルトクール会話2017年6月11日 (日) 06:44 (UTC)

アカウント名硯箱の荒らし行為について[編集]

  • ①アカウント名硯箱は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[1]とおっしゃっておられますので、あとは他の編集参加者に任せて頂けませんか。なぜこのような明確な不参加宣言をしたあとで、なお継続的に編集検討に参加されようとするのでしょうか。発言の趣旨がおかしいでしょう。あなたの投稿された文字列の何を信頼すればよいのですか?編集に参加なさらないとおっしゃるのでしたら参加なさらないでください。お答えください。②編集に参加しないと明確に述べられたのにも関わらず、なぜ無断で議論なくリバートなさったのですか。これは編集行為ではありませんか。弁明をお願いします。③わたくしたちwikipedia編集者はwikipedia編集ルールの合意にもとづき、自分たちの発言と行為に責任をもち行動しており、その態度をもって信頼できる編集者と理解しています。アカウント名硯箱を利用する投稿者は、自分で提案したタイトル案[2]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[3]ので採用すべきではない、なる主旨の論述をなしており、そればかりではなく「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[4]とおっしゃっておられるのですから、その言説を誠実にお守りください。あまつさえWikipedia:ページの改名に則り適切に改名された記事名を無断で差し戻すとはどういうことですか。あなたは自分の改名提案をみずから取り下げたではありませんか。しかもその取り下げた理由が「自分で提案したタイトル案[5]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[6]ので採用すべきではない」なる主旨です。あなたがみずから提案したタイトル案が適切かどうかを説明するのはあなたの仕事です。以上の趣旨によりアカウント名硯箱は誠実な編集検討参加者とはみなさない。まずはあなたがおこなった荒らし行為であるところの【改名の無断差し戻し】をもとに戻しなさい。編集検討への参加などその後の話しである。--大和屋敷会話2017年6月9日 (金) 16:37 (UTC)
一般的に記事内容についての議論をすべき個別記事のノートページで、一利用者の行動をあれこれ論じることは目的外の利用であり、議論妨害・印象操作の可能性もあり、基本的にマナーに反する行為と見なされるというのがウィキペディアの一般常識であったように思われます。多少であれば問題ないとも思いますが、アカウント名を明記して節を設けてまでとなると、これは明白に印象操作しようとしているとしか思えません。--硯箱会話2017年6月9日 (金) 22:14 (UTC)

「政教分離の歴史」の名前のデメリット[編集]

政教分離の歴史」は、「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではないし、また「政教分離」は2001IP氏が主張するような意味に限定される使い方をされていません。[7]」というデメリットが指摘されてございます。硯箱氏は、それを覆すだけの反論を一度もされてございません。さまざまな批判を繰り返されたとしても、政教分離の歴史が、Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではない、また、「政教分離」という単語が、硯箱氏が主張するような意味に限定される使い方をされていない、という2点のデメリットを覆すだけの反論がない限りは、説得することは非常に困難でございましょう。100点ではない記事名案については、いかようにも批判することは可能ですから瑣末な批判はいったん控えていただき、上記2点の大きなデメリットを覆すだけのご主張をお願い申し上げます。--雅ハルカ会話2017年6月10日 (土) 02:09 (UTC)

キリスト教国家論の歴史」の名前のデメリットについて
歴史学において「政教分離の歴史」がどのように捉えられているかについては本文記事にもここでの議論でも十分に参考文献が出され、三次資料による立証も済んでおり、「硯箱氏が主張するような意味に限定される使い方をされていない」というのは明白に議論に反しています。「[8]」の文献調査につきましては以前申し上げましたように、膨大な政教分離に関する文献の中から「政教分離」という用語のみを手がかりとして一部の出典のみ抽出するという不適切な調査が行われており、同時にその結論も核となる論文の誤読も含めて不正確なものであることはすでに立証いたしました。本記事で参考文献とされている、信頼できる文献から関連する信頼できる情報を用いれば、本記事のような政教分離の歴史がないというのは明らかな虚偽であり、その意味を政教分離原則そのものに限定しようという議論も全く成り立ちません。これまでの議論においても政教分離原則そのものの歴史は政教分離原則#歴史に置き、本記事から適宜ナビゲートすることで曖昧性を回避し、本記事には個別の特筆性が認められるという合意はなされております。雅ハルカ氏はそうした合意以前の、古い議論を蒸し返しておりますが、これは建設的な議論ではありません。今論じるべきは「キリスト教国家論の歴史」のデメリットです。出典がなく、曖昧で記事内容と関係がなく、誤解を招きやすいという明らかな欠陥を抱えています。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 02:26 (UTC)
「政教分離の歴史」の名前のデメリットについて
硯箱氏は、強引な行動をとられて、政教分離の歴史へ差し戻しをされておりますので、説明責任を果たしてくださいませんか。「政教分離の歴史」は、「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではない、一般的に「政教分離」は硯箱氏が主張するような意味に限定される使い方ではない、というデメリットを覆すだけの反論をしてください。「政教分離の歴史」が「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」だ、ということが証明された場合は、記事名を変更する必要がなくなるのです。ですから、硯箱氏は、「政教分離の歴史」が「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」だということを証明してください。100点ではない記事名に対する批判は誰でもできます。そんな誰でもできる批判をいくら言い続けられても、一番いい記事名がなにか、ということを決めることはできません。「政教分離の歴史」が「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」であるならば、「政教分離の歴史」が最善であるということを、認めることができます。説明責任を果たすことが不可能、ということでございましたら、硯箱氏はこれまで多くの迷惑を掛けた上に無責任な行動をとってしまったということになります。そうならないためにも、ご自分のされたことに対する責任は果たしてくださいますようお願い申し上げます。--雅ハルカ会話2017年6月10日 (土) 02:48 (UTC)

繰り返しになりますが、「政教分離の歴史」という記事名と本記事の記事内容に特筆性があり、検証可能性を満たしており、信頼できる情報源に基づいていることはすでに立証され、合意され、それに基づいて加筆もされています。なのでその正当性についてはすでに解決済みです。一方、「キリスト教国家論の歴史」には出典がなく、曖昧で検証可能な文献によれば「キリスト教国家論」という用語は本記事と別の内容を指すものであることは明らかとなっています。まずは雅ハルカ氏なり大和屋敷氏なりが出典を示してその正当性を明らかにしてくださいお二方が奇妙にも揃って耳慣れないこの用語をこれほど強硬に主張されていますが、その根拠がこれまで全く示されておりません。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 03:03 (UTC)

記事タイトルの差し戻しについて[編集]

  • ①アカウント名硯箱は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[9]とおっしゃっておられますので、あとは他の編集参加者に任せて頂けませんか。なぜこのような明確な不参加宣言をしたあとで、なお継続的に編集検討に参加されようとするのでしょうか。発言の趣旨がおかしいでしょう。あなたの投稿された文字列の何を信頼すればよいのですか?編集に参加なさらないとおっしゃるのでしたら参加なさらないでください。お答えください。②編集に参加しないと明確に述べられたのにも関わらず、なぜ無断で議論なくリバートなさったのですか。これは編集行為ではありませんか。弁明をお願いします。③わたくしたちwikipedia編集者はwikipedia編集ルールの合意にもとづき、自分たちの発言と行為に責任をもち行動しており、その態度をもって信頼できる編集者と理解しています。アカウント名硯箱を利用する投稿者は、自分で提案したタイトル案[10]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[11]ので採用すべきではない、なる主旨の論述をなしており、そればかりではなく「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[12]とおっしゃっておられるのですから、その言説を誠実にお守りください。あまつさえWikipedia:ページの改名に則り適切に改名された記事名を無断で差し戻すとはどういうことですか。あなたは自分の改名提案をみずから取り下げたではありませんか。しかもその取り下げた理由が「自分で提案したタイトル案[13]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[14]ので採用すべきではない」なる主旨です。あなたがみずから提案したタイトル案が適切かどうかを説明するのはあなたの仕事です。以上の趣旨によりアカウント名硯箱は誠実な編集検討参加者とはみなさない。まずはあなたがおこなった荒らし行為であるところの【改名の無断差し戻し】をもとに戻しなさい。編集検討への参加などその後の話しである。--大和屋敷会話) 2017年6月10日 (土) 03:46 (UTC)なお以上は①他のアカウントの方や編集参加者へのコメントを依頼するような要素はいっさいなく、②アカウント名硯箱を利用するユーザー個人に対する、③本記事の編集内容にのみかかわる編集要求であるので、ここに記す。--大和屋敷会話2017年6月10日 (土) 03:56 (UTC)
このノートは記事内容について議論する場所であり、大和屋敷さんが演説をする場所ではありません。著しく目的を外れた利用は荒らしと何ら変わりません。まずは私を含め複数の利用者から求められているように大和屋敷さんが「キリスト教国家論の歴史」なる記事名の出典を方針に基づいて検証可能な形で提示することが必要です。そして雅ハルカ氏と同様に解決した過去の議論を蒸し返して、今目の前で求められている議論をはぐらかす行動はお慎みください。重ねて申し上げますが、出典を提示してくださるようお願い申し上げます。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 04:03 (UTC)
回答できないということは、検証可能な文献は示すことが出来ない、つまり「キリスト教国家論の歴史」なる記事名は検証可能性を満たさないということをお認めくださるということでしょうか。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 04:07 (UTC)

「複数の利用者から求められている」なる弁舌について[編集]

  • 【複数の利用者から求められているように大和屋敷さんが「キリスト教国家論の歴史」なる記事名の出典を方針に基づいて検証可能な形で提示することが必要】なる文字列について[15]、複数とは誰のことか説明せよ。--大和屋敷会話2017年6月10日 (土) 04:08 (UTC)

アルトクールさんおよびSusukaさんそして私です。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 04:12 (UTC)

常識的に考えて、出典もなしに記事名を提案するなどということはありえないことと思いますから、お手許にすでに出典はあり、問題なく示すことが可能であると思います。議論が前進しませんから、なるべく速やかに出典を提示してください。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 04:20 (UTC)

コメント 一旦やめませんか。本論からどんどん離れている(硯箱さんは自分がやった行為自体は強引だったとは思いませんか?大和屋敷さんは自身の正当性だけをもって意固地になってはいませんか?)としか思えません。どちらも問題がなかったと堂々と言えますか?「政教分離の歴史」という記事名が記事名として絶対ダメで放置しておけない(明らかに記事名として存在してはいけない)というところが出発点ではないのですから、お二方ともこの記事とノートから1週間ほど離れてクールダウンしませんか。議論当事者同士が主張し合ったところで平行線になるのは当たり前です。両方とも視野がそこにしか向いていないから周りが見えていない、ここに至るまでの議論は膨大で第三者が介入するにできない状態、議論が所々に分散している(コメント依頼、ブロック依頼への飛び火はもちろん、このノートでもセクションが主張ごとに細かく分かれてしまい、本論が置き去りになっていると考えられる)と、話し合いができる環境を悪化させています。私なり、別の第三者なりが論点をまとめて、第三者のコメント依頼をしてでもいいでしょう。キリスト教国論でも政教分離の歴史でも記事は逃げないんですから、責任の押し付け合いみたいなことやめませんか。--アルトクール会話2017年6月10日 (土) 04:36 (UTC)

私自身は記事が検証可能性を満たし、信頼性のある形になればよいので、それ以上に干渉するつもりは基本的にありません。私自身はウィキペディアにこれ以上加筆するつもりはなく、実際もうこの記事に寄稿する予定だった内容は別に流用させていただいております。アルトクールさんの提案には賛成できますが、一点だけ条件が必要です。まずは大和屋敷さんが出典を示していただいてからというのがその条件です。せっかく時間をいただけるのですから、その出典を確認し、その内容を判断する時間がいただけると今後の議論にも益するからです。これは大和屋敷さんにとって今すぐにでも可能な、難しい要求ではないはずです。出典を明らかにしてからの議論休止には賛成です。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 04:41 (UTC)

提案 とりあえず、

  • ページ名の候補を、『政教分離の歴史』と『キリスト教国家論の歴史』の2つとし、この内から記事名を選ぶことを主目的にする、ことを合意する。
  • それぞれの候補について、出典・長所・短所をそれぞれ明示する。
  • コメント依頼など、第三者の意見を聴取しつつ議論する。

このような流れで議論を進めることは出来ませんでしょうか。--Susuka会話2017年6月10日 (土) 06:23 (UTC)

検証可能性が満たされれば、議論の流れとしてはよろしいかと思います。ただし『キリスト教国家論』が候補になり得るとすれば、それは検証可能性を満たさないと話にならないと思われます。前提条件として議論参加者が一致して大和屋敷氏に出典の提示を要求し、それが得られれば、それを持って議論の準備にかかるという合意をおこなうというプロセスが必要に思われます。3日以内に出典が提示されなければ(あらかじめ明確な出典を提示するだけですからこの期間は短くありません)、『キリスト教国家論』は現状で検証可能な出典とともに私によって示されている近世のキリスト教国家論を指すものとし、本記事との関連性はないとしてただちに廃案とするというような即応性の高い条件と、発言は必ず検証可能性を満たす参考文献に基づく必要があり、個人的な感想は極力排すること、参考文献に基づかない発言は不規則発言とするという条件を提案します。これはこれまでの議論で検証可能な文献の裏付けのない感想に過ぎない発言が議論を混乱させており、ここまで長引かせていることを考慮しての条件です。そしてウィキペディアの方針文書にも正しく準拠して議論するために必要と思われます。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 06:35 (UTC)

コメント Susukaさんの提案であれば、「出典を求める」ことにつながります。硯箱さんは「政教分離の歴史」の、大和屋敷さんや改名賛成派の人は「キリスト教国家論」または「キリスト教国家論の歴史」の情報を提供すればいいんです。ここで持論ではない情報がどちらか一方でも示せなければ、改名根拠を失うわけですからもう一方側で記事名についてはひとまず決着をつける、それではだめなんですか?混乱させているのはどちら側にも言えることです。少しは妥協を考えてください。--アルトクール会話2017年6月10日 (土) 06:49 (UTC)
私自身としては出典のない改名議論が1ヶ月続いてきたことが異常事態に思えますし、それを検証可能性を無視して押し通した今回の事例は方針文書に根拠のない強行です。ウィキペディアでこうした議論が現状行われていることこそが信じられないことで、以前はこのような乱暴な議論は行われておらず、最低限参考文献を確認し、双方で了解を取るということが普通に行われていました。今回多数決で方針文書を満たさない要求を次々通そうとするという事態に遭遇して唖然としております。少なくともウィキペディアの方針において、検証可能性は拠って立つ大原則であり、これをおろそかにしては議論によって合意を図るウィキペディアのシステムそのものが成り立たなくなります。検証可能性について厳しい条件を付けるのは、この一ヶ月の流れを考えれば、今後同様の混乱をもたらさないために必要であると考えます。これは個人的な妥協うんぬんとかではなく、議論を円滑に進めるために必要だと判断してのことです。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 06:56 (UTC)
また私の知っているウィキペディアでは相手が編集に関わらないと言っているからなどという理由でノートでの発言を遮られることはありませんでしたし、本来自由意志で参加できるウィキペディアはウィキブレイクも含めて参加者の行動は一定程度自由意志が尊重されていたはずです。いつからこうなったのかは知りませんが、ほかの点はともかく少なくとも検証可能性の問題だけはこのような専門的な議論には必須で、これなしに合意が得られるというのは明らかにウィキペディアの方針だけでなく、その精神にも反します。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 07:03 (UTC)
さらに今回の件で言えば、これまでの議論で「政教分離の歴史」の出典としてベッケンフェルデや山田欣吾などの出典は認められるということは相手に合意を取った上で加筆しております。これは「政教分離の歴史」の出典として使っているもので、「キリスト教国家論」の出典ではありません。仮にキリスト教国家論という用語が使われているならまだしも、これらの参考文献にない用語を持ってきて、それに改名しろというのはさすがに暴論です。適切な改名であれば問題ありませんが、さすがに参考文献にもない用語をこれまでの議論を無視して記事名に使えというのはいかがなものでしょうか。そして私が調べた限り、この「キリスト教国家論」はアンブロシウスやアウグスティヌスが唱えた神国論に使われるか、近世の特殊な国家理性の議論や近現代のキリスト教神学者の唱える政治権力論に用いられているのみで、この記事の扱う国家と宗教の機構的分離の諸条件の問題とは異なるものでした。文献での使用もとても一般的とは言えないレベルです。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 07:13 (UTC)

提案 Susuka氏のご提案につきまして、「ページ名の候補を、『政教分離の歴史』と『キリスト教国家論の歴史』の2つ」に絞る、のは先に行うべきではないと思います。議論が紆余曲折している理由は、硯箱氏の主張が頻繁に変わりすぎるため、でございます。硯箱氏は「レース・プーブリカ・クリスティアナ」をご提案になった後[16]撤回され[17]、次ぎに「中世ヨーロッパの政治」あるいは「前近代のヨーロッパの政治」がよいと主張され[18]、次ぎに「政教分離の歴史」ががよいと主張されるなど、変遷が多すぎるため、結果的に合意が何度も破棄されてしまったという経緯がございます。また、今後は編集に参加しないという表明をされたために、新たに改名提案がなされた手続き事態には瑕疵は存在しないものですが、硯箱氏が編集に参加しないという主張も撤回されるなどがあり、再び合意形成が破棄されてしまっております。このような、硯箱氏の主張の変遷により合意形成の破棄が繰り返されるという事態を避けるために、まず、硯箱氏の主張とその理由についてしっかりと固定していただかない限りは、硯箱氏以外の方々が振り回されるばかり、ということが繰り返されてしまいます。従いまして、議論の流れといたしましては、

  1. 硯箱氏に記事名の提案とその理由を述べて頂く(理由について「以前述べたから言わない」と拒否することは認められず、再度全てを主張していただく)。ただし硯箱氏以外は批判はしない。
  2. 硯箱氏の主張が終了してから、硯箱氏以外の方から、新たに記事名の提案とその理由を述べて頂く(一週間以内程度)。ただし硯箱氏は批判はしない。
  3. 双方議論開始

という流れによる議論を提案させていただきます。今のところ、硯箱氏は、「政教分離の歴史」が最善であると主張されていますが、その理由については「以前述べた」と繰り返されるばかりで何日の何時の時点に述べられたのかが曖昧なままでございますので、先に、硯箱氏の主張を固定していただかない限りは、残念ながら2度あることは3度あるの繰り返しで議論が無駄になるのでは、という懸念を払拭することができないと申せましょう。なお、議論の流れがスムーズに進むようにと考え、私自身の記事名についての主張は封印し、議論の進行と整理に徹する予定としております。--雅ハルカ会話2017年6月10日 (土) 13:42 (UTC)

議論を混乱させているように思われますが、私は理由については明確に述べており、「以前述べたから言わない」ということは申しておりません。理由は何度も申し上げているように明確で、この記事は本来「政教分離の歴史」と書かれており、「政教分離の歴史」として検証可能性を満たし、信頼できる情報源によっていることは合意されており、それに基づいて加筆されているということです。「政教分離の歴史」という記事名には出典があり、参考文献もそれに関するものです。対して、「キリスト教国家論」なる用語に出典はなく、検証可能な信頼できる文献によればそれは近世の政治論を表したり神学論を表す用語で、本記事においてこれまで信頼できる情報源とされた参考文献において使われておらず、記事の本文中にも使われていません。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 18:05 (UTC)

雅ハルカ氏と大和屋敷氏は相手の行動を批判するだけで、「キリスト教国家論の歴史」なる用語の根拠を示しておりません。お二方には早急に「キリスト教国家論」なる用語の出典を示していただき、記事に使われていないこの用語を採用すべきと思う理由を述べていただきたく思います。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 18:08 (UTC)

コメント まず、硯箱氏の主張を整理させてください。

  1. 「この記事は本来「政教分離の歴史」と書かれており、「政教分離の歴史」として検証可能性を満たし、信頼できる情報源によっていることは合意されており」という主張についてですが、いつどこで、合意されましたでしょうか。硯箱氏は、「レース・プーブリカ・クリスティアナ」をご提案になった後[19]撤回され[20]、次ぎに「中世ヨーロッパの政治」あるいは「前近代のヨーロッパの政治」がよいと主張され[21]、再び、「政教分離の歴史」をご提案になったわけでございます。「政教分離の歴史の改名をする、という点で合意」されて以降、「政教分離の歴史」として検証可能性を満たし、信頼できる情報源によっていること」がどこで合意されたのかについて場所、時間等をご明示ください。
  2. Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではないし、また「政教分離」は2001IP氏が主張するような意味に限定される使い方をされていません。[22]」というデメリットが指摘されています。硯箱氏の理由は、「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」であるため、でもなく、硯箱氏が主張している意味に限定される使い方が一般的な「政教分離」と一致しているから、でもございません。Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではない、というデメリットが存在すること、また、硯箱氏が主張する「政教分離」と一般的な使い方は異なる、という点については、認められるということでよろしかったでしょうか。それとも、デメリットが存在しないと主張されますようであれば、その理由もご明示ください。Wikipedia:記事名の付け方においては、「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。そしてその次に「その記事へのリンクを作成しやすいもの」であることも重要です。」とございます。硯箱氏以外の参加者は、「政教分離の歴史」が、この用件を満たしていない、ということが多数の文献により証明された、と考えているために改名を行うことになった、という議論の流れが存在してございます。そうではないと考えているということでしたら、「以前言った」ではなく、改めて、理由をご明示ください。

なお、以下の主張につきましては、このノートを閲覧していればどなたでもすぐに把握できますご主張ですので、何度も書かれる必要はございません。私は論争の整理をする予定でございますし、大和屋敷氏を急かすようなご発言はできましたらお控えいただきますようお願い申し上げます。

  1. 「キリスト教国家論」なる用語に出典はなく、検証可能な信頼できる文献によればそれは近世の政治論を表したり神学論を表す用語で、本記事においてこれまで信頼できる情報源とされた参考文献において使われておらず、記事の本文中にも使われていません。

なお、Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインも参照された上で、「政教分離の歴史」という名前にどのようにメリットがあるか、などの主張も是非ともお願い申し上げます。--雅ハルカ会話2017年6月10日 (土) 22:54 (UTC)

「政教分離の歴史」という記事名はこの記事の本来の記事名であり、これから改名する対象ではありません。Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインに反しているというのなら、証明する必要があるのは雅ハルカさんのほうです。雅ハルカ氏にはまず「キリスト教国家論」なる用語の出典を示していただき、記事に使われていないこの用語を採用すべきと思う理由を述べていただきたく思います。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 23:20 (UTC)

ノートではすでに「政教分離の歴史」という用語について検証可能性を見たし、信頼できる情報源に基づいていることは合意されており、さらに「政教分離原則#歴史」との関係についても合意され、歴史学的な政教分離はこちらに、政教分離原則については後者にというような棲み分けも合意されており、Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインに関する問題はこれまでの議論でクリアされております。「政教分離の歴史」が、この用件を満たしていない、ということが多数の文献により証明されたという事実はございません。上記の文献調査を言っているのかも知れませんが、その文献調査は記事の参考文献をほとんど調査しておらず、アメリカの政教分離論に偏った文献を選択したり、主要論文の主旨を誤読して誤った結論を導き出していることなど多くの問題を私自身が指摘し、不適切であることが証明されました対して「政教分離の歴史」が依拠する信頼できる情報源は三次資料によってその学界での認知度もすでに証明されており、記事にも適切に反映されております。それ以外に現状の記事名に問題があるというのならば、検証可能性を満たす形で提起してください。「キリスト教国家論」という記事名のほうがより適切だというのなら、それを文献に基づいて示すべきです。ウィキペディアは検証可能なこととのみ記載される場所であり、検証可能性を満たさない記述は排除されます。「キリスト教国家論」が検証可能性を満たさないならば、それは顧慮だに値しません。--硯箱会話2017年6月10日 (土) 23:32 (UTC)

コメント まず、硯箱氏の主張を整理させてください。硯箱氏の主張に対する批判が目的ではございません。ただ、理解したいだけ、でございます。硯箱氏の主張に不明なところがあるために、たびたび議論が滞っておりますのでご協力をお願いします。

  1. 「ノートではすでに「政教分離の歴史」という用語について検証可能性を見たし、信頼できる情報源に基づいていることは合意されており、さらに「政教分離原則#歴史」との関係についても合意され、歴史学的な政教分離はこちらに、政教分離原則については後者にというような棲み分けも合意されており」という主張についてですが、いつどこで合意されたものであるかをそれぞれご明示ください。
  2. Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインに関する問題はこれまでの議論でクリアされております。」という主張についてですが、いつどこでなにがどのようにクリアされたのか、ご明示ください。
  3. 「政教分離の歴史」という記事名は「この記事の本来の記事名」という主張について、意味が理解できるように具体的にご説明をお願いします。
  4. Wikipedia:記事名の付け方に合致している」という主張について、どこがどのように合致しているのか、具体的にご説明をお願いします。
  5. 「その文献調査は記事の参考文献をほとんど調査しておらず、アメリカの政教分離論に偏った文献を選択したり、主要論文の主旨を誤読して誤った結論を導き出していることなど多くの問題を私自身が指摘し」という主張についてですが、「多くの問題」とななにか、ご明示ください。
  6. 硯箱氏による「政教分離の歴史」の文献調査の結果をご明示下さい。前回の硯箱氏の主張については独自研究であるという指摘がございますので、それを改善された内容でもかまいません。

以上、よろしくお願いします。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 01:22 (UTC)

こちらが答えてばかりですので、まず雅ハルカ氏は「キリスト教国家論の歴史」を主張しておられますが、それはどの参考文献に基づくものかお答えください。一言で答えられるはずですので、よろしくお願いいたします。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 01:39 (UTC)

私は、「キリスト教国家論の歴史」を主張してはおりません。また、硯箱氏は、まだ一度も質問に対するお答えをなさっておいででございません。硯箱氏の主張を正確に理解したいだけですので、そのために、ご協力をお願いします。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 01:47 (UTC)

では雅ハルカさんはなぜ検証可能性を満たさない「キリスト教国家論の歴史」を適切だと考えたのでしょうか?それとも適切ではないと今はお考えなのですか?お答えください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 01:50 (UTC)

「政教分離の歴史」であろうが、「キリスト教国家論の歴史」であろうが、コミュニティの合意による決定でございましたら従います。そのために、まず、硯箱氏の主張について正確に理解をしたいのです。
まず、「ノートではすでに「政教分離の歴史」という用語について検証可能性を見たし、信頼できる情報源に基づいていることは合意されており、さらに「政教分離原則#歴史」との関係についても合意され、歴史学的な政教分離はこちらに、政教分離原則については後者にというような棲み分けも合意されており」という主張についてですが、いつどこで合意されたものであるかをそれぞれご明示くださいませんか。
  1. 「政教分離の歴史」という用語について検証可能性を見たし、信頼できる情報源に基づいていることは合意されており
  2. 政教分離原則#歴史」との関係についても合意され
  3. 歴史学的な政教分離はこちらに、政教分離原則については後者にというような棲み分けも合意されており
という3点の合意について、どこでどのように合意されたのか理解することができませんので、硯箱氏の主張が真実であるかどうか判断ができかねております。よろしくお願いします。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 02:04 (UTC)

「政教分離の歴史」の合意事項がたとえよく理解できなくても、検証可能性を満たさない「キリスト教国家論の歴史」が適切かどうかは方針文書に基づいて直ちに判断できる内容です。雅ハルカさんは出典のない「キリスト教国家論の歴史」が適切と思っているのですか?お答えください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 02:07 (UTC)

硯箱氏が「キリスト教国家論の歴史」は検証可能性を満たさない、と主張されていることについてはすでに理解しておりますので、何度もおっしゃっていただく必要はございません。それについては、後ほど、論点の一つとして議論すればよく、答えを急かすような行動はお控えいただきたくお願い申し上げます。その前に、硯箱氏の主張を第三者の方が理解できるように、また、私自身が理解できるように、疑問点を解消させていただけませんでしょうか。とくに、すでに上記3点について合意が存在するのかどうか、は最も重要な論点でございます。いつどこで合意されているのかについて、ご明示下さいませ。どうぞ、ご協力をお願いします。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 02:15 (UTC)

ご存知のように、wikipediaでは検証可能なことしか載せないという大原則がございます。検証可能でなければ、議論ができないからです。それは「論点の一つ」という程度のものではありません。検証可能でなければ議論ができないので、合意もできないのです。その点を踏まえて、まず雅ハルカさんは出典のない「キリスト教国家論の歴史」が適切と思っているのですか?お答えください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 02:18 (UTC)

私自身は、どの記事名がよいか、という主張を封印して第三者に決定を委ねるとすでに表明してございます。以上、再度、お答えいたします。なお、3つの合意の存在の有無については、別節にての議論といたします。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 02:21 (UTC)

つまり、以降投票には参加しないということなのでしょうか?上で雅ハルカさんは「キリスト教国家論の歴史」が適切だということを繰り返し主張されていましたが、撤回されるということでよろしいのですね?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 02:25 (UTC)

以降投票に参加するかしないか、ということについて明言するつもりはございません。「キリスト教国家論の歴史」で合意形成され改名まで至った経緯について手続き上瑕疵がないということについては、硯箱氏がいかに主張されようとも覆されるものではない、と考えております。もちろん、あらたに議論を行う権利はございますが、改名を差し戻してまで行う必要はなかった、ということでございます。以上、お答えいたしました。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 03:08 (UTC)
検証可能性を満たしていないのに、合意形成に瑕疵がないとはどういうことでしょうか?検証可能性を満たさなければ合意形成は不可能なはずです。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 03:16 (UTC)
検証可能性を満たしていない、という硯箱氏の主張については理解しております。本当に、検証可能性を満たしていないのかどうかについて別途議論を行うことについてなんら反対するものではございません。ただし、改名の合意形成は、Wikipedia:改名提案の手続き上瑕疵は存在しなかったと考えております。以上、お答えいたしました。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 04:18 (UTC)

3つの合意が存在するのかどうか[編集]

硯箱氏による、以下の3つの合意が存在するという主張について、いつどこでどのように合意が形成されているのか、教えて頂けませんでしょうか。

  1. 「政教分離の歴史」という用語について検証可能性を見たし、信頼できる情報源に基づいていることは合意されており
  2. 政教分離原則#歴史」との関係についても合意され
  3. 歴史学的な政教分離はこちらに、政教分離原則については後者にというような棲み分けも合意されており

硯箱氏でも他の方でもどなたでもかまいません。この3つの合意が存在するのか、しないのか、について、はっきりさせなければ、議論を行うことが不可能でございます。よろしくお願いします。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 02:19 (UTC)

コメント まったく合意していません。合意の捏造です。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 02:49 (UTC)

どういうことですか?ご自身で合意されていますよね?[23]その後約束通り加筆もされ、確認も取っているはずです。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 02:57 (UTC)

硯箱氏が3つの合意をしたと主張されていますが、他の方はそうは思っていない、ということが明らかとなりました。121.107.209.16さんがこちらの発言で合意を表明されたのは、何についてなのか、ご説明をお願いできますでしょうか。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 03:04 (UTC)

明確に存在する合意事項を無視するのは明らかに問題です。「政教分離原則については『政教分離原則#歴史』に転記して、この記事は2001:268:c068:d20d:2c1b:7bf5:53ca:be5bさんがいうところの「歴史学的な政教分離」に限定する、という点では合意」ということでそれまでの議論は合意がこの時点で成立していることは疑いようがありません。それを無視するというのですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 03:08 (UTC)
まず、現時点で、どのような合意が存在するのかを確認させていただけませんでしょうか。硯箱氏が存在すると主張されている3つの合意とは、いつどこでどのように合意されたのか、ということについて、差分を用いるなどしてご説明いただけますと非常に助かります。121.107.209.16氏は、硯箱氏が主張される3つの合意ではない別の件について合意した、と考えているのかもしれません。これを明らかにしてからでないと、議論を行うことが困難となって参ります。ご協力をお願い申し上げます。--雅ハルカ会話

コメント私のこの発言は、記事名が「政教分離の歴史」ではなくなるということを前提としたものです。私は「記事名が「教会と国家の分離の歴史」となるのか、他に適切な名称がある場合はそれも議論するということであれば」と条件をつけています。しかし、改名議論を滅茶苦茶なやり方で妨げ、「政教分離の歴史」がよいなどとするのは、議論における信頼を無視した詐欺といってよいでしょう。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:20 (UTC)

どういうことですか?文脈上明らかにこれはSusukaさんの合意提案に対する返答ですよね?「記事名が「教会と国家の分離の歴史」となるのか、他に適切な名称がある場合はそれも議論するということであれば」という点についてはその後改名議論は数回行われております。文脈上は明らかに「記事名について議論されるならば」という趣旨であり、実際に議論は行われております。これはどう読んでも「記事名が「政教分離の歴史」ではなくなるということ」とは言えません。ご自身が合意とおっしゃっているのにも関わらず、あれは合意ではなかったとおっしゃりたいわけですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 03:25 (UTC)
いま議論は継続しています。勝手に「合意」を強要しないでください。「政教分離の歴史」という記事名には断固として反対します。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:45 (UTC)
合意の内容は「議論が行われるならば」であり、「議論が決着したら」などという条件ではないことはご自身の発言から明らかなはずです。議論の継続の有無は明らかに問題ではありません。それが違うというのであれば、3月11日からこれまでの議論の前提自体が崩れます。合意を無視するというのですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 03:48 (UTC)
そもそも上記の明確に存在する合意を捏造だというのも明らかに問題です。捏造発言については事実と明白に異なるのですから、撤回されることを助言致します。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 03:52 (UTC)
勝手に合意を強要しないでください。発言を自分に都合よく解釈しないでください。撤回すべきは硯箱のいう「明確に存在する合意」です。そんな「合意」は存在しません。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:55 (UTC)
単純な事実として121.107.209.16さんはSusukaさんの合意提案を受け容れていますよね?これ以上に明確な合意はありません。これは合意ではないというのであれば、ちょっとウィキペディアの方針や精神とも異なるもので議論攪乱としかいいようがないです。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 03:58 (UTC)

コメント 硯箱氏が主張する3つの合意の存在は証明されてございません。一つは、「政教分離の歴史」の改名を前提とするなら、という条件付きの合意であったと、121.107.209.16氏が主張されています。硯箱氏は、その他の合意についても、いつどこでどのように合意形成されたのか、ご説明をお願いします。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 04:06 (UTC)

雅ハルカ氏は121.107.209.16さんが明白に存在する合意を否定することを擁護するということでありますか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 04:08 (UTC)
121.107.209.16氏は、硯箱氏が主張することとは異なる内容についての合意であった、と主張されてございます。事実としては、双方の主張に食い違いが生じている、ということであり、擁護するということとは違います。硯箱氏は3つの合意がどこでどのように形成されたのかをご

明示なさることにより、ご自分の主張を補足することが可能でございます。どうぞ、よろしくお願いします。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 04:13 (UTC)

もし一度成立した合意を後から一方の側が内容が違うと言っていつでも反故に出来るということを主張しているのであれば、それはもう合意を重視するウィキペディアンとして問題がありすぎると思います。合意がウィキペディアでいかに尊重されるかを正しく理解していれば、この合意がいかに大事なものか明白であり、条件の解釈がどうあれ、合意内容は「政教分離原則については『政教分離原則#歴史』に転記して、この記事は2001:268:c068:d20d:2c1b:7bf5:53ca:be5bさんがいうところの「歴史学的な政教分離」に限定する、という点では合意」であるということは明確です。拒否しているならともかく受け容れているものを、それが成立していないというのは暴論です。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 04:17 (UTC)

コメント 私の発言は2017年3月11日 (土) 16:34時点のもので、その一時間後に、IPアドレスである硯箱氏が削除しています2017年3月11日 (土) 17:24。前後の発言を読めばわかるように、改名作業に移行する前に可能な整理を行うという議論のなかでの合意です。発言の意図や当時の議論の文脈を無視して切り取って、自分の都合のいいように解釈して、他人の発言を意図的に歪曲した悪用であり、許しがたい議論妨害です。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 04:14 (UTC)

自らの合意を覆すために相手が発言を歪曲しているという個人攻撃をするのはマナーに反します。「記事名が「教会と国家の分離の歴史」となるのか、他に適切な名称がある場合はそれも議論するということであれば、そして出典が今後明記されていくのならば、いいでしょう。」という発言が「改名議論が行われ、適切な加筆もされるなら、合意として認める」という内容であることは明らかであり、改名議論は行われており、私も出典を加筆しております。こちらは合意を守っているのに、一方的に合意を反故にするということですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 04:21 (UTC)
さらに削除した箇所というのはこれも合意に基づいて近現代を除去しました。発言は削除しておりませんけれども、事実誤認があるのではないでしょうか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 04:23 (UTC)
少し落ち着いて整理いたしましょう。121.107.209.16氏は、改名作業を前提とする、という条件の下での合意表明であった、ということございます。硯箱氏と121.107.209.16氏の主張が異なっていた、ということが一つ判明したことは成果でございます。硯箱氏は、121.107.209.16氏の主張についてご理解をされましたでしょうか。ご理解いただきましたら、あと2つの合意についても、どこでどのように形成されたのか、差分をもってご明示をお願い申し上げます。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 04:34 (UTC)
すでに今の合意内容にすべて含まれております。記事内容が検証可能性を満たすということをそもそも双方が共有していないというのであれば、上の議論は成り立ちません。この合意内容は「歴史学的な政教分離議論が存在することを確認」し、「政教分離原則の歴史とは異なるものとして特筆性を認め」、「両者を別記事として棲み分けする」という合意であることは明らかです。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 04:38 (UTC)
1.現在の「政教分離の歴史」は新しい記事名にする。
2.政教分離原則の歴史記事としての「政教分離の歴史」はその後リダイレクト記事に加筆する
ということならば私は同意すると一貫していっています。硯箱氏のいう「歴史学的な政教分離議論」についてはあらためて提起します。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 04:56 (UTC)
121.107.209.16さんは議論を拡散させずに、「キリスト教国家論の歴史」の出典を提示してください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 04:58 (UTC)

まず雅ハルカさんは一方的に121.107.209.16さんを擁護していらっしゃいますが、121.107.209.16さんが私の発言を「合意の捏造」だと言ったことについてはそれは正しいと思われるのですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 04:42 (UTC)

硯箱氏が3つの合意が存在する、と考えていることは理解しております。それについて、121.107.209.16氏は3つの合意は存在しないと考えていると理解しております。となりますと、Wikipediaの方針で定義される「合意」は存在していないということになります。これは、121.107.209.16氏を擁護しているということとは異なります。また、硯箱氏は合意が成立した過去の差分をご明示いただくことにより、「合意が存在する」と証明することが可能でございます。ご自身の主張を証明されたいのであれば、過去の差分のご明示をお願いします。--雅ハルカ会話2017年6月11日 (日) 05:07 (UTC)
「合意が存在しない」ということと「合意を捏造した」という発言には明らかな落差がありますよね?「捏造」という言葉は私が意図的にでっち上げたという意味です。しかし、合意の提案はSusukaさんからなされ、双方了解し、その後の議論はその合意に基づいて行われています。これを「捏造」ということに賛成なさっているということですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 05:10 (UTC)
そして雅ハルカさんは合意の文言とそれに対する同意の事実は条件付きであれ客観的に存在するにも拘わらず。それを「存在しない」という121.107.209.16さんの発言を一方的に尊重し、私の「存在する」という立場を尊重しないのはなぜですか?口では第三者的とおっしゃってますが、これまでのご自身の発言を振り返って本当にご自身が中立的であると言えますか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 05:15 (UTC)

たとえば私が121.107.209.16さんに「キリスト教国家論の歴史」の出典を求めていますが、121.107.209.16さんは応じていませんよね?中立的というのであれば、出典の提示について私と一緒に121.107.209.16さんに出典の提示を求める気はないのですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 05:17 (UTC)

文献は提示しています。そういうのを虚偽による詭弁という。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 05:19 (UTC)

書名とページ数を示してください。書名も示していないのに文献を提示しているとは言いません。そしてそれを詭弁というのであれば、明らかに虚偽発言ですから撤回してください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 05:21 (UTC)

「合意」の意図の確認[編集]

合意している、していないでもめているので、整理させてください。お二人の対立している「合意(案)」関連のところを見返しました。私が推察するに、

  • 歴史的な政教分離と、いわゆる政教分離原則とで記事を棲み分けすることについては両者とも了承している。
  • 121.107.209.16さんは、『政教分離原則』の「歴史」節を分割した時に、その記事名が『政教分離の歴史』になるのが望ましいと考えている。そのため、現在の本記事は玉突き的に解明されなければならない。
  • 硯石さんは、「改名する前提ならば」という留保が121.107.209.16さんが技術的に譲れない点であることに気付かなかった(責めているわけではありません。私も今気がつきました)。

という経緯でしょうか。まずは確認まで。--Susuka会話2017年6月11日 (日) 05:22 (UTC)

基本的にはそのようですが、まず「合意の捏造」という発言は明らかに攻撃的であり、暴言であるように思われるので、その点には121.107.209.16さんに謝罪と撤回をまず求めます。条件はともかく、121.107.209.16さんが合意の存在自体を否定したことについても撤回していただく、ということで。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 05:27 (UTC)

とりあえず、「3つの合意」の3つ目の棲み分けについては合意できる、と見てよいのですね?合意できるところは合意して、次に進みましょう。--Susuka会話2017年6月11日 (日) 05:46 (UTC)

棲み分けについて合意できたとすれば、自動的に2の条件も合意されたとなるのではないでしょうか。棲み分けということは関係が明らかになったということではないでしょうか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 05:50 (UTC)

検証可能性を満たさない「キリスト教国家論の歴史」の出典[編集]

現状で「キリスト教国家論の歴史」という改名案には出典がございません。まずこの「キリスト教国家論の歴史」という記事名の出典について、この案に賛成された方はその出所を明確にしてください。これが明らかにならなければ、方針文書に基づき改名案は不適切であると判断せざるを得ません。ご協力をお願いします。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 02:24 (UTC)

コメント「キリスト教国家論の歴史」の出典といっていますが、それは「ヨーロッパのキリスト教文明における教会と国家の関係の歴史」のことなのですから、ダントレーヴでもモラルでもブルンナーでも出典となりますし、ベッケンフェルデの世俗化論も当然それに含まれるわけです。しかし、硯箱さんは、このようなことをいうと「論文を理解していない」「記事を全く理解していない」などと繰り返すばかりです。

硯箱さんは、私の3月5日の文献報告に対して反証済みなどと強弁していますが、当記事が「政教分離の歴史」と題することの不適切性については、なにも反証していません。感情的に反発して、他の編集者への個人攻撃(「論文を理解していない」「何も知らない」等)、そしてあたかもカード遊びのように次から次へと文献を提示していますが、それらは「記事名「政教分離の歴史」の不適切性」を覆す文献ではありません。

改名提案「レースプーブリカ・クリスティアーナ」では、硯箱氏は#レースプーブリカ・クリスティアーナについての改名が適切かという点についての文献的調査のように文献調査を逆手にとって、ダントレーヴやモラルの著書についての議論などと称して「この記事でレースプーブリカ・クリスティアーナを正面から説明している箇所はなく、内容もレースプーブリカ・クリスティアーナの歴史とはなっていない」などと事実と異なる、意味不明の強弁をなさっています[24]

1.「キリスト教国家論の歴史」も妥当である。それ以外の記事案「キリスト教と国家」「教会と国家」「ヨーロッパにおける…」も同様に妥当。 2.「政教分離の歴史」については、3月5日の文献報告以降、硯箱氏一人だけが何ら根拠も示さずに反発しているだけであり、無効です。用語の使用ということでいえば、硯箱氏が「政教分離」用語使用として依拠するのは山田欣吾論文「教会から国家へ-「世俗化過程」としてのヨーロッパ国家形成史」だけですが、私の文献報告にあるように、その論文でも「ヨーロッパでは、その長い歴史を通じて、政治ないし国家の「脱宗教化」、「世俗化」がなされ、宗教と政治の分離という原則が確立されるに至った」(p.1)という文章だけがあるだけです。この山田論文では「政教分離」という語句は使用されていません。山田欣吾の論文では、論文タイトルにも「世俗化過程としてのヨーロッパ国家形成史」と副題がるように、また山田論文で紹介されるベッケンフェルデの古典的論文「世俗化過程としての国家の成立」でもタイトルだそうであるように、「世俗化過程」という歴史学的概念で考察されています。「政教分離としてのヨーロッパ国家形成史」とは書かれていません。硯箱氏のように、アメリカ合衆国やフランス革命以降の「政教分離」を、「政教分離の歴史」で書かずに別の記事で書け、という主張は、一般的な学術文献の傾向[25]からいって成り立ちません。 --121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:14 (UTC)

問題は複雑ではありません。検証可能性を満たさない限り、「キリスト教国家論の歴史」は独自研究でありますから、そもそも方針文書の規定を満たさず、即座に廃案となります。なにより今回の問題は「キリスト教国家論」という内容は別のものであることが検証可能な信頼できる情報源により明確であるという点にもう一つの問題があります。ここでは論点を拡散させずに「キリスト教国家論の歴史」という改名案の出典を示してください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 03:21 (UTC)

問題はなにも複雑ではありません。硯箱氏が強弁を続けているだけなのです。私は「キリスト教と国家」「教会と国家」などがいいと提案してまいりました。そして記事の基本的な骨格として歴史学事典を提示しましたが、硯箱氏は「歴史学事典は出典として不十分」などという、悪戯としか思えないまったく非合理な反対をしています[26]。日本の歴史学者が結集して作成した全16巻にもおよび歴史学事典(弘文堂)所収記事が「出典として不十分」であるとして反対とは荒らしとしかいいようがありません。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:44 (UTC)
ここでは論点を拡散させずに「キリスト教国家論の歴史」という改名案の出典を示してください。ご協力よろしくお願い致します。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 03:45 (UTC)
拡散していません。改名議論をしています。出典はダントレーヴ、J.B.モラルなど膨大にある、と何度いえばいいのですか。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:52 (UTC)
では具体的にダントレーヴの何ページ、J.B.モラルの何ページに書いてありますか。書名を提示していただければ参照致します。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 03:53 (UTC)

返答いただけないのでもう一度繰り返しますが、具体的にダントレーヴの何の書物の何ページ、J.B.モラルの何の書物の何ページに書いてありますか。121.107.209.16さんは書名とページ数を提示してください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 05:52 (UTC)

コメント 少し落ち着いてください。ここはリアルタイムでやるチャットではないので、返答に1日2日かかることもザラです。急かしたところでよい話し合いができるものではありません。あまり相手を急かすようだと、クールダウンの要を認めるとして管理者伝言板に連絡することになります。--アルトクール会話2017年6月11日 (日) 06:36 (UTC)

なるほど。すでに121.107.209.16さんのお手許にあると思われる出典についての情報を求めているだけなので、急かしているつもりはありませんでした。急ぎませんので、121.107.209.16さんは書名とページ数を提示してください。議論の前提として必要です。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 06:43 (UTC)

J.B.モラル『中世の政治思想』全体(第1-8章)が出典ですので、p.3からp.207までですね。それから、記事の特定の箇所についての確認ではないのですから、特定のページ番号を指定する話ではありません。ダントレーヴよりも網羅的な福田歓一『政治学史』も付け加えましょう。福田歓一『政治学史』で関係する箇所は

  • 第2章 古典古代II―古代普遍世界(クリスト教成立の政治学的意味、普遍教会と教父哲学の政治理論など)
  • 第3章 ゲルマン世界中世の政治と哲学(教皇権、等族国家、パドヴァのマルシリウス、ウィリアム、教会の腐敗と公会議運動)
  • 第4章 中世思想の崩壊――ルネサンスと宗教改革――(マキアヴェリ、ルターなど)
  • 第5章 絶対主義の時代――近代政治理論の諸前提――(コンフェッショナリズム、モナルコマキ、ボダン、自然法:アルトジウス、フッカー、グロチウス)
  • 第6章 近代政治原理の形成過程(イングランド革命、ホッブズ、ロックなど)7章以下、フランス啓蒙思想

などですが、現在の記事は「近代政治理論」以前まででストップしており、福田歓一『政治学史』でいえば第2章から第5章の途中までで中断しています。さて、このように回答すると、硯箱氏はそれらのどこに「キリスト教国家論などという特殊な用語があるのだ?」といって反対するのでしょうが、それも詭弁ですね。「ヨーロッパのキリスト教文明における教会と国家の関係の歴史」のことなのですから、国家概念の変遷、教皇権、等族国家など、説明対象しだいで文献はいくらでもあります。したがって、

  1. 「キリスト教国家論の歴史」も妥当である。それ以外の記事案「キリスト教と国家」「教会と国家」「ヨーロッパにおける…」も同様に妥当。
  2. 「政教分離の歴史」については、硯箱氏のいう「歴史学的な政教分離議論」という用語こそが独自研究であったことは、私の3月5日の文献報告で明らかです。文献報告以降、硯箱氏一人だけが何ら根拠も示さずに反発しているだけであり、無効です。用語の使用ということでいえば、硯箱氏が「政教分離」用語使用として依拠するのは山田欣吾論文「教会から国家へ-「世俗化過程」としてのヨーロッパ国家形成史」だけですが、私の文献報告にあるように、その論文でも「ヨーロッパでは、その長い歴史を通じて、政治ないし国家の「脱宗教化」、「世俗化」がなされ、宗教と政治の分離という原則が確立されるに至った」(p.1)という文章だけがあるだけです。この山田論文では「政教分離」という語句は使用されていません。山田欣吾の論文では、論文タイトルにも「世俗化過程としてのヨーロッパ国家形成史」と副題がるように、また山田論文で紹介されるベッケンフェルデの古典的論文「世俗化過程としての国家の成立」でもタイトルもそうであるように、「世俗化過程」という歴史学的概念で考察されています。「政教分離としてのヨーロッパ国家形成史」とは書かれていません。硯箱氏のように、アメリカ合衆国やフランス革命以降の「政教分離」を、「政教分離の歴史」で書かずに別の記事で書け、という主張は、一般的な学術文献の傾向[27]からいって成り立ちません。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 07:26 (UTC)
まず範囲が広いのですが、ざっと確認したところ、「キリスト教国家論」という用語は見当たりません。具体的にこれらの著作のそれぞれどのページに「キリスト教国家論」という用語があるのですか?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 07:33 (UTC)
追加としてそれぞれの著作でパドヴァのマルシリウス、ダンテ、アルトジウス、グロチウス、ホッブズなどについてはキリスト教の要素についてはむしろ否定的にしか語られていませんよね?これらがキリスト教国家論だということは言えないと思うのですが、具体的にどこをもってこれらをキリスト教国家論としているのですか?書名とページでお答えください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 07:42 (UTC)
予想通りの質問ですね。「キリスト教国家論」の用語使用はないんじゃないでしょうか。あるかもしれませんが。しかし、「キリスト教国家論」というのは、「ヨーロッパのキリスト教文明における教会と国家の関係の歴史」のことなのですから、国家概念の変遷、教皇権、等族国家など、説明対象しだいで文献はいくらでもありますし、モラルでも福田「政治学史」でも十分です。というか、なにを「議論」しているのですか?「キリスト教国家論」にも反対、「レスプブリカクリスティアナ」にも反対、「政教分離の歴史」がましである、と、この半年、ずっとフリダシに戻るばかりです。過去ログ化されているので文献報告を再掲します。
百科事典等、研究諸論文における立項・言及状況 
出典 記載内容 「政教分離の歴史」の出典としての有意性。また適切な記事名
歴史学事典(全16巻)第11巻 宗教と学問,2004年、弘文堂、p.399-400。編集委員は樺山紘一尾形勇加藤友康川北稔岸本美緒黒田日出男佐藤次高南塚信吾山本博文 「政教分離」項(岩井淳)。信教の自由と不可分。16世紀の宗教改革以降に信教の自由が、18世紀後半のアメリカ独立時に政教分離が達成。
[歴史] 古代は政教未分離が多い。政教一致型には教会国家型(宗教が世俗領域に権威や権力を持つ。例としてヨーロッパの教会、シャリーアを奉じるイスラム世界)と、国家教会型(絶対主義期の国家教会、近代日本)がある。参照として「宗教改革」「信教の自由」「ピューリタニズム」 「政教一致」(イスラムについて解説)。
○ または「政教一致」
歴史学事典第12巻 王と国家、弘文堂、p.399-400. 「政教分離」項(渡辺昭子)。アメリカ、フランスの近代憲法について言及し、国家と教会(政治と宗教)が相互に干渉すべきではなく、それぞれ固有の領域であるという思想は、宗教改革以降のヨーロッパで広まった。神聖ローマ帝国ではアウクスブルクの和議によってルター派公認。ほか、領邦教会制(諸侯および都市ごとに宗派を選択する)、トランシルヴァニア議会、ポーランドのワルシャワ連盟協約、ロックの寛容論、ナントの勅令、イギリスのピューリタンに言及し、「寛容思想の普及、そしてアメリカ独立革命やフランス革命を契機として、19世紀になるとヨーロッパの国々が教会との関係の制度的再編にのりだす」と解説。参照として「英国教会」「キリスト教と国家」「国家宗教」「ジョン・ロック」「王(中世ヨーロッパ)」「王(東ヨーロッパ)」「王(近代西ヨーロッパ)」。 ○ または「国家と教会」「キリスト教と国家」
歴史学事典第12巻 王と国家 「キリスト教と国家」項(樺山紘一)。
1.キリスト教初期。391年の国教化、西ローマ帝国崩壊後、キリスト教と王権の関係は、ゲルマン部族諸国家に継承される。東西ゴート王国。
2.東ローマ帝国(ビザンツ)。皇帝教皇主義(カエサロパピスム)は後にロシア帝国が継承。16世紀教会改革以降のイングランド教会でも、その国王との間で実現したとみるのは可能。ただし、神政政治の純粋な形に移行はしていない。
3.ゲルマン諸国家。カール大帝。国王と教皇の関係。両権力は別種として二分されるわけでもなく、独自性を保持し続けた。「頂点としての皇帝と教皇の関係はもとより、地方権力と地方教会とのあいだでも、微妙な距離をたもちつつ、聖俗の権力は分離されたうえで、なおファジーな形で結合されもしている。」 教皇はテオクラシー(神政政治)を希求、国王は自国領教会の従属化を要請。14世紀以降のフランス国家教会制度、ガリカニスムが例。ガリカニスム原則は近世の絶対主義国家をへて、ナポレオンによる政教条約(コンコルダート)で公認の原則となる。
4.宗教改革。
5.近代社会に「国家と教会はそれぞれの領分を截然と分離」した(政教分離)。社会の世俗化現象は教会の介入を拒否。19世紀から20世紀にかけて、聖職者は、公務員に準じる地位となる。
6.このように、教会からの国家政治へと経緯がある。しかし、別の観点として、古代世界では国家権力は教会内紛争に介入。しかし、中世にかけて、異端問題は教義というよりも、政治問題であった。異端の監視や処遇は教会でなく、国家が実施した。
参照として「神政政治」「教会国家論(フランク王国の)」「教皇領国家」「皇帝教皇主義」「社会主義国家」「政教分離」「カール大帝」「イギリス国教会」
△ 「キリスト教と国家」
西洋中世史事典(H.R.ロイン) 東洋書林 「政教分離」の項目なし。事項索引にもなし。
西欧中世史事典II(ハンス・K・シュルツェ)五十嵐修他訳 「政教分離」の項目なし。「帝国」「皇帝権」「王権支配」として立項。事項索引にも「政教分離」なし。
ヨーロッパ中世史事典(A・ジェラール) 藤原書店 見出し項目にも事項索引にも「政教分離」なし。
 世界歴史大事典(全10巻)1956/1990 平凡社 「政教分離」の項目なし。「第三共和政」項目で政教分離法(1905年)に言及があるだけ。
世界歴史大事典(全22巻)1988 教育出版センター(梅棹忠夫、江上波夫監修) 「政教分離」の項目なし。事項索引にもなし。
新編西洋史辞典(平成5年、改訂増補)、京大西洋史辞典編纂会。 「政教分離」の項目あり。フランス革命、1801年の政教条約に言及。
新カトリック大事典II、研究社 p.596-597 「政教分離」の項目あり。伝統的には「教皇権と皇帝権」の関係の問題として議論されてきた。「教会の自由」や教会の権威の問題など。ゲラシウスI世は、世界が「教皇の権威」 (auctoritas) と「君主の権力」 (potestas) によって治められるとした(両剣論)。叙任権闘争を経て教皇権至上主義は頂点に達した。対立教皇時代を収拾するためのコンスタンツ公会議では投票が国別に行われた。14世紀前半のパドヴァのマルシリウスは、聖職者の権威を否定し、君主の政治的主権を主張。中世末期の教皇権の衰退、宗教改革、近代国家体制、フランス革命などによって世俗主義、良心と信教の自由が掲げられ、「反教会・反聖職者主義的」であった。現代、ヨアンネス23世回勅「マーテル・エト・マギストラ」「パーチェム・イン・テリス」、第2バチカン公会議の現代世界憲章に言及。
新カトリック大事典II、研究社 p.905 「国家教会」項。キリスト教社会における教会と国家の関係についての記事。広義では国家がキリスト教を唯一の正当な宗教として指定すること。狭義の通常の意味では、宗教改革期に成立し、絶対主義時代に頂点を極めた国家主導型の国家・教会関係。[歴史的概観]として、ローマ帝国、中世のシャルルマーニュやオットー朝、ザリエル朝、ビザンチンなどは「割愛して」「狭義のみ述べる」とし、フランスのフィリップ4世、シャルル7世、ドイツのルートヴィヒ4世で国家教会の先駆的な形態が形成されたが、宗教改革が決定的である。  「国家教会」
 宗教の事典(朝倉書店) 山折哲雄川村邦光, 市川裕, 大塚和夫, 奥山直司, 山中弘 (編),pp.862-864. 「政教分離・政教一致」項あり(中野毅)。政教一致には教会国家主義と国家教会主義があるとし、前者は神聖政治または神権政治(テオクラシー)、アウグスティヌスの普遍教会が、後者にはトマス・エラストス(1524-1583)やイングランド国教会がある。政教分離を最初に国制として取り入れたのはアメリカ合衆国と解説。 ○  または「政教一致」
Steven K. Green,The Separation of Church and State in the United States,OXford Reseach Encyclopedias. The Historical Antecedents of Church-State Separation節で、Augustine of Hippoの「神の国」と「地の国」に言及するが、1行程度。教会と国家の分離の画期は、宗教改革、啓蒙主義、ホイッグ党の活動(参考:ホイッグ史観)にある。カルヴァン、ルターについて5行程。英米ピューリタン、ロジャー・ウィリアムズ、ロックの寛容論、モンテスキュー、ジェファーソン、ジョン・トレンチャードとトマス・ゴードン、James Burgh、大覚醒などアメリカ建国期以降が主。
Encyclopedia of religion 「政教分離(Separation of church and state)」項はなく、「Church and State」「Politics and Religion」で立項 「教会と国家」「政治と宗教」
ブリタニカ国際大百科事典 「政教分離」項あり。アメリカ憲法に言及。
知恵蔵 「政教分離」項あり。国家と宗教とを分離させる憲法上の原則。信教の自由と表裏一体。欧米で生まれ、近代化と共に非キリスト教国にも浸透。
百科事典マイペディア 「政教分離」項あり。国家権力と宗教の分離。信教の自由の必要条件。未開社会,古代・中世社会では政治と宗教が一体となり宗教的権威によって支配が行われた。
世界大百科事典 「政教分離」項あり。「国家の非宗教性,宗教的中立性の要請,ないしその制度的現実化」。[歴史]として「ヨーロッパにおいて政教分離は歴史過程のなかで徐々に進行。聖職叙任権闘争,宗教戦争,フランス革命が画期。 」
日本大百科全書(ニッポニカ) 「政教分離」項あり。国家と宗教とを分離させる憲法上の原則。「中世および近世ヨーロッパにおいては、国家と教会、国権と教権が密接に結合していたため信教の自由が認められず、国教または公認の宗教以外は異端として刑罰を含む迫害を受けた。17、18世紀に宗教的寛容と国家の宗教的中立の制度がしだいにヨーロッパ社会に広まり、現代国家においては、政教分離は信教の自由の保障のための憲法原則として広く採用されることになった。」
英語版ウィキペディア「政教分離」 古代について書かれているが、一次資料を並べたもので、独自研究の疑いがある。「後期古代」でアウグスティヌス「神の国」、「中世」では皇帝教皇主義、教皇権について解説。以降、宗教改革、啓蒙時代、ジェファーソンがそれぞれ10行程で解説。「中世」については、Church and state in medieval Europe(中世ヨーロッパにおける教会と国家)記事へのリンクがされており、日本語版「政教分離の歴史」もこの記事へ言語間リンクされている。 「中世ヨーロッパにおける教会と国家」
ドイツ語版ウィキペディア 「政教分離(Trennung zwischen Religion und Staat)」記事 20世紀以降の解説。
ドイツ語版ウィキペディア「教会と国家」 啓蒙時代、フランス革命以降、教会の優位性が低落し、中立的法治国家について冒頭で解説したあと、「聖書における教会と国家」「カトリック神学における国家論」「プロテスタントにおける国家論」について解説。 「教会と国家」
CiNii「政教分離」検索 「政教分離」関連文献は731件。しかし、ほとんどがアメリカ、フランス、日本の近代の政教分離原則についてのもので、ヨーロッパ中世史の論文名で「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
CiNii「皇帝権」検索 「皇帝権」関連文献は61件。ドイツ王権(皇帝権)とローマ法王権の関係、ビザンツ皇帝権、ロタール一世の皇帝権、教皇権と皇帝権などについての論文。しかし、論文キーワードで「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
CiNii「教皇権」検索 「教皇権」関連文献は34件。論文キーワードで「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
ゲオルク・シュトラック「教会「改革」から宗教「改革」へー盛期・後期中世における教皇権」史苑第75巻2号,pp.387-415. 「政教分離」不使用。
山田欣吾『教会から国家へ』 「比較国制史の視点から考察し、国家形成史を宗教的秩序の世俗化過程として構想」したもの。目次、事項索引に「政教分離」なし。「ヨーロッパでは、その長い歴史を通じて、政治ないし国家の「脱宗教化」、「世俗化」がなされ、宗教と政治の分離という原則が確立されるに至った」(p.1)。12−13世紀から18-19世紀にいたるヨーロッパの諸国家は「統一的・包括的な権力構成体」として成立したが、ベッケンフェルデは「世俗化」過程を重視した(p.1-2)。「ヨーロッパの政治秩序の世俗化過程には、巨視的に見て、二つの大きな画期」があるとし、第一の画期は11世紀後半から12世紀にかけての叙任権闘争期、第二の画期は16、17世紀の宗教改革と宗教戦争である、「本稿では、後に、世俗化の第一段階としての叙任権闘争期」を考察するが、その前に、「ヨーロッパの世俗化過程の行き着く先を示唆しておく意味で、第二段階の問題についても、ごく常識的な諸点を述べておきたい」(p.2-3) 本文で「政教分離」という語句は使用されていない。  △ または☓  「世俗化」「宗教と国家」「キリスト教と国家」
山田欣吾「西洋文明史の片隅から」(橋問叢書 第59号) 叙任権闘争やグレゴリウス改革のときに初めて、宗教に支えられた政治秩序が世俗化し、近世初めの宗教改革で加速。この動きの終点が、政教分離、つまり「どの信仰を持っている者でも市民的・政治的な権利は持つことができる、新教の立場にある者でも、旧教の立場にある者でも、政治的な権利を持つことができる、こういう原則が確立するのは三十年戦争を経て、一応の終点はやはりフランス革命に至る」。「ヨーロッパは政治と宗教との分離というものを世界の中で初めて自覚的に達成した地域」と述べている。 ○(ただし著書の代表的著作ではない)
五十嵐修『王国・教会・帝国―カール大帝期の王権と国家』 論文概要書および論文審査報告書では、カールの戴冠、国家と教会の関係、王国と帝国との関係、皇帝権、教皇権、世俗権力、国制史について触れられているが、「政教分離」という用語は使用されていない。なお、目次でも「政教分離」は使用されていない。(巻末事項索引は未確認)
世界歴史体系 ドイツ史I  山田欣吾も執筆。しかし、索引項目になし。
第二章「フランク時代」(渡部治雄)ではメロヴィング朝フランク王国、第3章「ザクセン朝」(山田欣吾)ではオットー1世と皇帝権の獲得、王国支配の集権化と王国教会の体制化について、第4章は「叙任権闘争」(山田欣吾)、5.6章は「シュタウフェン朝」、第7章「ドイツ王国の国制変化」で国王=皇帝選挙と教皇権、カール4世などについて解説。
 世界の歴史10 西ヨーロッパの形成、佐藤彰一, 池上俊一 カロリング朝、叙任権闘争も扱われるが、「政教分離」索引になし。
古谷圭一「イングランド市民革命とプロテスタント各教派の成立」キリスト教と文化 : 関東学院大学キリスト教と文化研究所所報14,2016.pp.33-45. エキュメニズムからの研究。イングランド市民革命による宗教的迫害から「教権から切り離された人々の万人祭司主義の徹底化による会衆主義、教権の政治的かかわりを禁じる政教分離主義に突き進んだ」と解説。 ○、または「会衆制」「教会政治史
柳原 邦光「アメリカとフランスの市民宗教論の比較」地域学論集5巻3号、鳥取大学地域学部地域文化学科,2009,p227-251. 論文キーワード「政教分離」あり。 ○、または「市民宗教」
豊川 慎「リベラル・デモクラシーにおける政治認識とキリスト教民主主義の政治思想序説」キリストと世界17 : 東京基督教大学紀要,2007年 論文キーワード「政教分離」あり。
久保田泰夫「ロージャー ・ウィリアムズと教会と国家」東京工芸大学芸術学部紀要 4, 85-98, 1998 ウィリアムズの政教分離論 ○、またはロジャー・ウィリアムズ
中山勉「ロジャー・ウィリアムズ研究― 政教分離論の虚実と代表的著作に見られる神学思想 」(東京大学) 「政教分離とは信教の自由のための制度的保障であり、単に政治と宗教が別次元で活動しているという状況、ないしはその主張を指すものではない」「「中世でも政教分離はなされていた」式の議論は、この制度的保障としての政教分離の意義をトータルに見誤っている。た だ単に政治と宗教の管轄が違うだけでなく(そんなものなら古代にもあった)、それが(特定宗教だけでなく)あらゆる宗教の信教の自由を目的にしているか否かが、政教分離が存在しているかどうかの判断基準である」(p.213)
森本あんり『アメリカ的理念の身体― 寛容と良心・政教分離・信教の自由をめぐる歴史的実験の軌跡』(創文社) 一章「中世的寛容論から見た初期アメリカ社会の政治と宗教」で中世寛容論に言及。ただし、近世近代アメリカにおける政教分離が主たる考察対象。前史としての言及。

以上の調査によって、硯箱氏のいう「歴史学的政教分離」がウィキペディアアンが情報を合成した独自研究といえます。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 07:43 (UTC)

まずこれらの書物で「キリスト教国家論」という用語が使われていないということは合意できるということですね?お答えください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 07:45 (UTC)

あと表で分断されてしまったのでもう一度おたずねしますが、それぞれの著作でパドヴァのマルシリウス、ダンテ、アルトジウス、グロチウス、ホッブズなどについてはキリスト教の要素についてはむしろ否定的にしか語られていませんよね?これらがキリスト教国家論だということは言えないと思うのですが、具体的にどこをもってこれらをキリスト教国家論と判断しているのですか?書名とページでお答えください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 07:54 (UTC)

提案 とりあえず、議論の材料は出そろったと見てよいのでしょうか。このまま今のメンバーで話し合っていては事態は動かないでしょうから(少なくとも私は本件の資料判断については門外漢です)、しかるべきところに広く意見を募ったほうが良いと考えます。--Susuka会話2017年6月11日 (日) 07:58 (UTC)

そうですね。ただ1点目のこれらの書物で「キリスト教国家論」という用語が使われていないということについては単純に事実確認の問題ですから、当事者同士で合意できると思いますので、そこだけ121.107.209.16さんの明確な回答を求めます。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 08:00 (UTC)

Susukaさんに確認したいのですが、しかるべきところとはどこですか?コメント依頼のことでしょうか。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 08:35 (UTC)
返信 まずコメント依頼ですが、以前コメント依頼してもまとまらなかった経緯があるため、関連のプロジェクトのノートページにも告知するべきかもしれません。--Susuka会話2017年6月11日 (日) 08:50 (UTC)
モラル、福田の文献について「キリスト教国家論」という用語が使用されているのかは未確認です。しかし、ダントレーヴ「政治思想への中世の貢献」p26では、パウロの「上に立つ権威に従うべきである」という聖句を引用して、「キリスト教政治理論の全歴史は、この[パウロの手になる]聖句に対する絶えざる注釈以外の何ものでもない」と、「キリスト教政治理論」という使用例があります。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 08:26 (UTC)
それは確認しています。とりあえず「キリスト教国家論」という用語が存在しないことを確認できれば良いのですから、合意とみなしてよいですね?あと補足ですが、121.107.209.16さんがJ・B・モラル『中世の政治思想』をお持ちでしたらいっしょに「聖アウグスティヌス『神国論』の政治思想」という論文が付録されていると思われます。そのp.250部分が「キリスト教国家論」が神国論を指すのではないかという私の出典の一つになっていますので、念のためご確認ください。--硯箱会話2017年6月11日 (日) 08:29 (UTC)
平凡社ライブラリーにその箇所はないです。未確認といっていますので、それ以上のことをいいません。「合意」したといって、また「合意したのかしていないのか」のような話をしたくはありませんので。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 08:35 (UTC)
待ってください。「未確認だ」ということは「キリスト教国家論」の出典としては確認していないということですよね?未確認ということは現状「キリスト教国家論」の用語は見つけられなかったということでよろしいですね?これなら合意できますね?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 08:37 (UTC)
そもそも私は「キリスト教国家論」の提案者ではありません。この提案は「キリスト教と国家」「教会と国家」「レスプブリカクリスティアナ」などの記事名候補のなかで提案されたもので、現状の記事内容への適切な記事名ということで提案されたものであって、硯箱氏の「歴史学的政教分離」のような特殊な主張ではありません。また、賛同したのは、硯箱氏の態度に疲れていたためでもあります。私は「キリスト教と国家」「教会と国家」を提案してまいりましたし、「中世ヨーロッパにおける政治と宗教」「中世ヨーロッパにおける政教関係」などでも同意できます。他の方も発言していましたが、硯箱さんは記事名として何がベストであると考えているのですか?それをいわないで、このまま他人の提案に反対反対と駄々をこねるようにかき回して、硯箱氏が自ら提案した「レスプブリカクリスティアナ」で落ち着こうとしたところ、またちゃぶ台返しのように、「やっぱり反対。政教分離の歴史がいい」と話を最初に戻す。「政教分離の歴史」がベストであると主張するならば、その出典を出してください。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 10:23 (UTC)

つまり、未確認ということは現状「キリスト教国家論」の用語は見つけられなかったということは合意されたということを認められたということですね?--硯箱会話2017年6月11日 (日) 11:07 (UTC)

「キリスト教国家論」の関連文献[編集]

硯箱さんの「神国論」というのも個人的には理解していますが、議論上の手続きより報告します。「キリスト教国家論」とは「キリスト教国家についての論考や思想」のことですが、「キリスト教政治思想」とも同義といっていいでしょう(「政治思想」に国家論は包含される)。さて、関連文献は以下の通りで、これらに追加するものもありますが、「キリスト教国家論」という表現が「検証可能性を満たさない」という硯箱氏の主張は成立しません。これは中間報告で、あとでまた追加して、表にして整理します。

  • 「キリスト教思想と国家・政治論」:加藤喜之「南原繁の宗教論 : 国家論の枠組みの中で」キリスト教思想と国家・政治論 (2009), 2008: 27-42,京都大学リポジトリ
  • カール・シュミットの「キリスト教国家」: Was bedeutet der Streit um den Rechtsstaat?(1935),木村「現代ドイツ社会国家論の歴史構造」成城大學經濟研究 (126),p23
  • 山岸喜久治「キリスト教国家の政教分離原則と人権保障」宮城学院女子大学人文社会科学論叢 (20), 27-44, 2011-03-01
  • 「キリスト教帝国・キリスト教普遍国家理念」:清末尊大「西欧政治思想史・前編 (2・完)」北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 57(1): 79-94,2006.
  • 「キリスト教国」 Christianitas:櫻井康人「「帝国」 としての 「キリスト教国」 ―普遍教会会議決議録における平和と十字軍の言説
  • 「キリスト教政治思想」「キリスト教と国家との関係」:芦名定道「キリスト教政治思想の可能性」近代/ポスト近代とキリスト教研究会『キリスト教思想と国家・政治論』2008
  • Gary W. Barkley「教会の国家への姿勢-その2-キリスト教国家論の萌芽と発展」西南学院大学神学論集53-2,1996-03,p1-9
  • 「キリスト教政治思想の系譜」:坂本進博士論文『キリスト教と近代西洋政治思想―平和と自由と民主主義の探求―』文部省報告番号:甲2514号 ;2007/12/6 ; 早大学位記番号:新4642
  • 「キリスト教的政治倫理」:坂本進『ヨーロッパ統合とキリスト教 平和と自由の果てしなき道程』新評論、2004年
  • 「キリスト教国家」:樺山紘一「キリスト教と国家」歴史学事典第12巻 王と国家.弘文堂.
  • 「キリスト教社会における教会と国家の関係」「国家教会」新カトリック大事典II、研究社 p.905
  • [「キリスト教国家」を国家原理とするヨーロッパ諸国]植村邦彦「「解放」表象の反転―人種主義的反ユダヤ主義の成立:1842-1862―」関西大学経済論集 49(3), 45-60, 1999-12
  • 赤岩栄「キリスト教と国家」理想 (302),1958-10
  • 「キリスト教政治理論」ダントレーヴ「政治思想への中世の貢献」未来社、p26
  • 「キリスト教国家(respublica christiania)」ベッケンフェルデ「世俗化過程としての国家の成立」、『法の理論』第22号、成文堂、2003年,p52
  • 「キリスト教国家 res publica christiana」・「キリスト教共同体 corpus christianum」オットー・ブルンナー 『ヨーロッパ―その歴史と精神』 1974年,p257.--121.107.209.16 2017年6月12日 (月) 16:37 (UTC)
121.107.209.16さんには以前にも申し上げたと思うのですが、用語をその文脈や使われている論文の内容を無視して無作為に抽出し、それが一般的状況であるというような論証の仕方は混乱の元ですので、控えていただきたいと思います。ここに上げられている用語は「キリスト教国家論」の出典として明確性があるのは「Gary W. Barkley」のものだけであり、それら以外は近代や古代まで含めた雑多な議論の論文を引き寄せているだけに過ぎないところがあります。「Gary W. Barkley」のものは本記事の執筆に使われておらず、その副題を見ても本記事の中心論点を押さえているとは思えません(本記事は「教会の側から見た国家の在り方について」の記事ではないからです)。たとえばこの抽出の仕方ですと、さも「キリスト教国家」と「キリスト教帝国」とか「キリスト教普遍国家理念」というものが同一の内容を指したり、あるいは「キリスト教と国家」の関係性についての議論が集約されて「キリスト教国家論」として認知されているような印象を与えますが、実際においてそのようなことはありません。「キリスト教政治思想」と「キリスト教国家論」は同義と言って良いということは本記事でも参考文献に沿って示しているように、政治体が多層的・多様であり、前国家的な国王の政府のみが唯一の政治権力としては存在していなかったという西洋中世史の一般理解から考えても成り立ちません。まず「キリスト教国家」という用語がもし「res publica christiana」のことを指すというのであれば、それは近世で盛んに論じられたこちらも「キリスト教国家」と訳される「christenstaat 」と別概念の存在があり、この近世の「キリスト教国家 christstaat」用語は国家理性を備えた国家に対して使われており、前国家理性的段階において用いられている「キリスト教国家 res publica christiana」用語とは別概念です。そして「res publica christiana」には定訳がなく、それを「キリスト教国家」と訳すのはあくまで文脈によるというのが一般的な使用状況です。問題は「res publica christiana」自体も史料上意味の変遷を伴っており、必ずしも本記事で言われているような意味では使われない場面も多いという点も問題として存在しております。私自身が「res publica christiana」を撤回したのも厳密に言えば、この語の持つ多義性を考えたということもあります。「キリスト教国家」という用語自体がそれぞれの文脈でさまざまな意味で使われており、それがどういう概念を指すかについて学界に共通理解があるようには私には思われません。--硯箱会話2017年6月13日 (火) 03:20 (UTC)
共通理解がないからこそ複数の学説を紹介する必要があり、すでに現状の記事でもそうなさっておいでです。論者によって概念の意味が異なるのは通常のことで、文脈とは論者によって異なるのであり、ベッケンフェルデの文脈とダントレーヴの文脈は視点が異なるので別物です。「その文脈や使われている論文の内容を無視して無作為に抽出し、それが一般的状況であるというような論証の仕方は混乱の元です」という言明については、まさにwikipediaの「政教分離の歴史」が該当します。それを私は以前から「詰め込みすぎである」と指摘していますし、一年前に分割した理由も同様でした。「キリスト教国家論」が「キリスト教国家」と無関係ではないのはご理解いただけると思います。また、硯箱さんのいう狭義の「キリスト教国家」がアウグスティヌス他に限定されるという視点も個人的には理解します。しかし、文脈が学者によって異なり、また歴史認識も異なるのが通常で、「世界共通の歴史認識」などは存在しません(硯箱さんも「キリスト教国家」という用語自体がそれぞれの文脈でさまざまな意味で使われており、それがどういう概念を指すかについて学界に共通理解があるようには私には思われません」というのと同じ意味です)。だからこそ、説明が必要なのであり、複数の学説を両論併記で紹介していくことが大事になるのです。res publica christianaであれ、christstaatであれ、キリスト教文明圏における国家ないし国家思想という意味では「キリスト教国家」です。「キリスト教国家」とは「キリスト教文明圏における国家」のことです。さて、節をあらためるつもりですので返答はそちらでお願いしますが、予告しますと、「キリスト教国家論の歴史」については、硯箱さんの異議を認め、私は賛同を撤回します。また、かつて私が提案した「キリスト教と国家」「教会と国家」も項目名としてはいまいちな気もしますので、再度の文献調査をもとにあらたに「キリスト教政治思想史」を提案します。他にも、時代区分を明確にするという意味では「中世ヨーロッパにおける…」という記事名もよいと思います。--121.107.209.16 2017年6月13日 (火) 13:03 (UTC)

「共通理解がないからこそ複数の学説を紹介する必要があり」というのは明らかに変ですよね?「キリスト教国家論」という用語に出典がなく、そもそもその概念に共通理解がないならば、それについて書くことは不可能です。一方で「「その文脈や使われている論文の内容を無視して無作為に抽出し、それが一般的状況であるというような論証の仕方は混乱の元です」という言明については、まさにwikipediaの「政教分離の歴史」が該当します。」も明らかに不当です。たとえば歴史学や政治思想史、人間学、宗教社会学において近代社会が政教分離、世俗化の末に成立したというのは定説であり、これに反論する人は常識的にも圧倒的少数派です。歴史学を中心に関係する主要な文献からこうした歴史学的な政教分離、世俗化に関わる議論を抽出することは無作為に抽出することではありません。実際私が加筆に使った文献は学界でも信頼できる研究者が執筆したり監修したりしている文献を用いております。そして「res publica christianaであれ、christstaatであれ、キリスト教文明圏における国家ないし国家思想という意味では「キリスト教国家」」というのは明らかに暴論です。「res publica christiana」が国家思想だというのは、もし121.107.209.16さんが出典を適切に読んでいるのならばあり得ないことです。なぜならJ・B・モラルを訳しておられる中世政治思想の第一人者である柴田平三郎氏はres publica christiana=国家思想だということを明確に否定しておられるからです。それはJ・B・モラルに付された解説を読んでもわかりますし、柴田平三郎氏が訳した中世政治思想史の権威ラドナーによる「重要なことは中世政治理論を供給する中世の著作類がプラトンやアリストテレスといった国家についての著作からではなく、統治についての著作から成り立っていることである」という明快な指摘があります。最後に突然出てきた「キリスト教政治思想史」についてはこれも耳慣れない言葉で、明らかにキリスト教著述家の政治思想を指すと思われますので本記事の趣旨とは異なると思われます。--硯箱会話2017年6月13日 (火) 21:58 (UTC)