ノート:マインドフルネス

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参考文献無効[編集]

  • 『スタンフォード大学 マインドフルネス教室』 p35、にマインドフルネスは佛教の瞑想の核となる、とある。
  • 『サーチ・インサイド・ユアセルフ』p51にベトナムの禅の師匠のマインドフルネスの定義とあり、随所でも禅が説明されている。
  • 『ブッダの幸せの瞑想【第二版】』これは書名まんま仏教書です。p18に、漢字の念のことであり、パーリ語のサティのことであると説明されている。

冒頭の説明に「[出典無効]」も使われていますが、検証せず、独自研究にそれらしい参考文献を挙げただけですので、Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#参考文献に適合しません。参考文献を除去します。--タバコはマーダー会話2016年8月8日 (月) 07:06 (UTC)[返信]

出典無効[編集]

出典無効がつけられていますが、独自研究に対してそれに反する出典を挙げたため、Wikipediaの検証可能性を満たしていないので出典を除去します。lifehackerには仏教の教えに根ざしているとあり、NHKには座禅をトレーニングとして提案したと、書かれており、宗教的要素を除きメソッド化したとかそういうことは書かれていません。--タバコはマーダー会話2016年8月17日 (水) 23:50 (UTC)[返信]

(上述のタバコはマーダーさんのご投稿とは別の話題です)。今日なされた新たな編集(参照)についてですが、これは差分を見れば明らかなように、記事の「3行目」の出典だったウェブページを1行目の出典としても設定するという編集なわけですけど、このウェブページ3つが「1行目」の出典にもなりうるという判断をなぜできるのか分かりません。このウェブページ3つのどこをどう読めば「1行目」の出典になるのか。皆さん分かりますか?--Leonidjp会話2016年9月24日 (土) 13:53 (UTC)[返信]
上述のとおり、三行目の出典を一行目の出典としても設定するという編集は、その「出典」の内容面で成り立たないと思われますので、当外編集を「取り消し」しておきました。記事の一行目は無出典です。--Leonidjp会話2016年10月8日 (土) 02:33 (UTC)[返信]
上述のとおり10月8日時点での一行目は無出典でしたが、その部分に「出典は明記されている」と主張する人が現れた(参照)ため、どの文言の出典がどれなのかと当人に説明を求めたところ、数日経っても応答はありません(参照)。内容面で出典たりえないものを、まともな出典であると主張する編集がなされた場合は、今後もこのようにご本人に説明を求めるつもりです。--Leonidjp会話2016年10月17日 (月) 00:31 (UTC)[返信]

間違いのない出典についての個人的な意見[編集]

この記事についてのノートが、ちと気になったため、割り込みさせていただきます。この話は、あくまでも私が個人的に思う事としてとらえてください。
マインドフルネスという言葉が広まってきたのはつい最近のことなのですが、しかし、その言葉の定義をあやまった書籍も多く見受けられます。特に、マインドフルネスと瞑想ヨガを同一視しているものがとてつもなく多い。マインドフルネスを実践する手段のひとつとして、瞑想やヨガなどもあるよ、というのが本筋のはず。なのに、瞑想やヨガを広める為に、マインドフルネスという言葉を持ち出している書籍が目立っている。
私が何を言いたいかというと、記事の編集は、出典を根拠として記事を書くことが大切なのだけれど、その出典そのものが間違っている可能性も、しっかり考慮して欲しい、ということなんです。
ちなみに、私が所有している書籍のうち、この本は、マインドフルネスについて、正確に解説していると私は思います。むしろこの書籍を出典として記事を書く方が解りやすいんじゃないかなあ、とも。
また、このノート上における、これまでの、参考文献無効及び出典無効のお考えについて、私は賛同の立場です。
--静葉会話2016年12月20日 (火) 09:55 (UTC)[返信]

>>出典そのものが間違っている可能性も、しっかり考慮して欲しい、ということなんです。
コメントその点はノートページなどで具体的に指摘がありしだい、適宜議論されると思います(されるべきです)。
>>また、このノート上における、これまでの、参考文献無効及び出典無効のお考えについて、私は賛同の立場です。
コメント承知致しました。--Leonidjp会話2016年12月20日 (火) 11:14 (UTC)[返信]

記事に反映させるだけの知識と資料をそこまで持ち合わせていないため、あえてこのノート上で、あくまでも私が、今まで勉強してきたことに対するアウトプットみたいな感じでちと書いてみます。私はこう思うなんてのは記事に書くべきではありませんから。確実に言えることは記事に反映できるでしょうけれど、それをどのように書けばいいのか、難しいところです。

  • マインドフルネスを提唱した方の考えと、以降研究に参加されている方とで認識にずれがあるっぽい。
  • 私が勉強した範囲での話。人間は、24時間のうち約半分は現在のことを考えている。残り半分は過去と未来などのことを考えている。マインドフルネスは、現在のことだけに意識を向ける手段のひとつと言える。
  • 誰にでも解りやすい表現を心がけるべきなのだが、これが非常に難しい。出典を参考にしつつ、コピペせず独自の表現を心がけるとした場合、【マインドフルネス状態とは、今自分が感じる様々な感覚だけに意識を向け、それらを感じるだけにとどめ、雑念を含めそれらを考えない状態にする】、という表現ではどうだろうか、でも微妙だとも思う。
  • 記事については、瞑想とマインドフルネスを可能な限り切り離して記載したほうが、誤解を受けずに済むのではと考えられる。ただし、もともとマインドフルネスは瞑想がその発端としてあること、そして瞑想がマインドフルネス状態になる一番手軽かつ手っ取り早い方法であることから、歴史や実践を語る上では外すことは難しい
  • 記事で参考にしている外部サイトは、いずれも、マインドフルネス瞑想を主体としており、瞑想以外についてはさほど触れていないような印象を受けるる

と、こんな感じでしょうか。
それと、現在の内容では、情報が多く不足しているという印象を持っています。何らかのタグをつけておいたほうがいいようにも思うのですが、いかがなものでしょう。
--静葉会話2017年1月6日 (金) 07:48 (UTC)[返信]

>>あくまでも私が、今まで勉強してきたことに対するアウトプットみたいな感じでちと書いてみます。
コメントそのお書き込みの内容の是非を検討する能力が私にありませんので、内容に対する評価を申し上げるのは控えさせていただきます。なお、Wikipediaの記事自体の内容を具体的に形成したり修正したりするためのご意見としてノートページに持論をお書きになる際は、その持論そのものに出典が必要になる場合があると思います(今回はそういう意図でのお書き込みではなかったのだと思いますが)。
>>それと、現在の内容では、情報が多く不足しているという印象を持っています。何らかのタグをつけておいたほうがいいようにも思うのですが、いかがなものでしょう。
コメント不足という意味では「スタブ」系のものが適切ではないでしょうか。--Leonidjp会話2017年1月7日 (土) 10:01 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。今回の書き込みついては、私が手にしてきた資料を査読した上での個人的な感想に過ぎません。個人的にこう思うとかを書くのは相応しくないのは解っておりますが、その上で書いてみました。
私が提示できる明確な出典としては、…確かにマインドフルネスを謳う書籍はいくつか所有しているのですが、上記で紹介したこの本のみですし、どのように記事に反映させるといいか、明確なアイデアが思い浮かばなかったものですから。
なお、スタブをつけるのが適切ではないかとのご意見についてですが、私も同意です。お手数ですが、相応しいと思われるスタブを付与していただけないでしょうか。
また、現在の記事の見やすさについてですが、閲覧者の利便性を考慮した場合、関連項目にあるマインドフルネスストレス低減法と、マインドフルネス認知療法を、なるべく本文の直下に配置したほうがいいのではとも思うのですが、いかがでしょう。両者とも、マインドフルネスを実践する為の方法としての記事なのですし、それをなるべく閲覧者の目にとまりやすいようにすれば、調べられている方の利便性も向上するのではと思いました。
--静葉会話2017年1月14日 (土) 08:20 (UTC)[返信]

コメントもうご存知かもしれませんが、Wikipediaの記事に書く内容の出典は「信頼できる情報源」であるべきだというガイドラインがあります(参照)ので、理想的には、このガイドラインが示す条件を満たす文献を出典とすることが望ましいということになると思います。
>>関連項目にあるマインドフルネスストレス低減法と、マインドフルネス認知療法を、なるべく本文の直下に配置したほうがいいのではとも思うのですが、いかがでしょう。
コメント関連項目というのは、ひとまとまりの節として載せるべきものだと思うので(WikipediaのスタイルマニュアルとかWikipedia:関連項目とかいう説明ページも一応あります)、本文の直下に移したければ節全体で動かしていただくほうがよいと思います。動かすかどうかはおまかせします。スタブテンプレートは付けておきます。--Leonidjp会話2017年1月14日 (土) 09:37 (UTC)[返信]
皆様の発言中の長いURLを短くしました。表示されるページは同じです。
Wikipedia:ページの分割と統合では、同一の概念や事物は統合して、ページの分量が肥大化したら分割するとあるんですが、Hyper neo氏が加筆したでんすけど、出典無効であったしそうなるとWikipedia:独自研究は載せないに引っかかりました。仏教とかかわりがないという主張が出典無効となり、サティ (仏教)と記事が重複しています。会話ページでLeonidjp氏と共に働きかけがあります。
当方は、サティ (仏教)マインドフルネス認知療法に加筆し、マインドフルネスストレス低減法を作成しましたが、マインドフルネスの言葉は仏教とかかわりがあるため、この記事は当初の通りリダイレクトで十分でしょう。 『最新心理学事典』『マインドフルネス基礎と実践』といった信頼できる心理学の専門書資料で仏教とかかわりがあることが確認できますので。
出典として挙げられている「7つの習慣実践シリーズ」の解説となるのでしたら、7つの習慣の記事に書いた方がよろしいと思います。--タバコはマーダー会話2017年1月14日 (土) 12:11 (UTC)[返信]

現在の記事は、その内容および出典に関して、そして記事のありかたについても、私は支持の立場です。NHKで放送された番組でも、仏教とマインドフルネスの関係について取り上げられておりましたし、マインドフルネスの理念の出発点が瞑想にあることも、その番組で知ることができています。ただ、マインドフルネスがさまざまな方が研究するようになって以降、瞑想は、マインドフルネスを実践する手段のひとつという位置づけになってきている、という印象を持っています。これからさらに研究が進んでいくでしょうし、その研究次第で、取り扱いも変化していくでしょうから。そもそも、迅速に、新たな研究結果を記事に反映しなきゃならんなんてこともありません。なお、私が出典として提示した書籍についてですが、ちと誤解がされているようで…たんに、マインドフルネスを、医学的な視点で解説していますよ、とお伝えしたまでのことです。よろしければ内容をご確認のほどを。--静葉会話2017年1月17日 (火) 05:22 (UTC)[返信]

マインドフルネスストレス低減法などは仏教色を減らした医学的なものですが、独自研究は載せないがありますから『マインドフルネスのすべて』とか、『慶応大学マインドフルネス教室へようこそ』とかどんどん書籍は出ていますが、仏教起源について触れているので、とりあえず記事を分割する必要はないと思います。独自研究は載せないの方針がありますので。--タバコはマーダー会話2017年1月18日 (水) 11:51 (UTC)[返信]
>>Wikipedia:ページの分割と統合では、同一の概念や事物は統合して、ページの分量が肥大化したら分割するとあるんですが
コメント(タバコはマーダーさんに質問):タバコはマーダーさんは、マインドフルネスの記事内容(もしくはサティ (仏教)の記事内で「マインドフルネス」を説明する記述内容)が、あるていどの分量になり且つ「信頼できる情報源」による出典を備えているときには、サティ (仏教)からマインドフルネスを分離してもよい(サティとマインドフルネスは別々の記事でよい)というお考えですか? もしそうなら、分離のためにどのくらいの分量(単語数とか字数とか)が必要か決めておられますか?--Leonidjp会話2017年1月18日 (水) 14:04 (UTC)[返信]
はっきりしたものはケースによると思いますが、5万バイト・2万5千字くらいでは記事の分割に異論は出にくいのではないでしょうか。--タバコはマーダー会話2017年1月18日 (水) 18:32 (UTC)[返信]
承知しました。--Leonidjp会話2017年1月19日 (木) 01:39 (UTC)[返信]
静葉氏の出典は、「7つの習慣実践シリーズストレス・フリー」で、裏表紙に7つの習慣が紹介され、体験談などが書かれた書籍であることから中心の参考文献とはしにくいこと、該当p64にティク・ナット・ハン、p71にジョン・カバット・ジンが紹介され仏教から離れているといい難いことがあります。--タバコはマーダー会話2017年1月20日 (金) 13:10 (UTC)[返信]

翻訳困難な箇所についてご協力を乞います[編集]

現在、英語版のen:mindfulnessマインドフルネスへ翻訳しておりますが、翻訳が困難な文(3個)についての翻訳依頼をWikipedia:翻訳依頼#マインドフルネスに提出しました。当ノートページをご覧のかたからもご協力を頂けましたら幸いです。翻訳困難なのは、en:mindfulness#Sati_and_smṛtiに載っている下記の箇所です。なお、この箇所の出典となっている文献の片方(Robert Sharf著のpp.942-943)はPDFでダウンロードして読めます

(1)en:mindfulness#Sati_and_smṛtiにて、「satiは、仏教のを思い出すこと/覚えていること(remember)を意味する」と述べられた後で、このような文があります。

Sharf refers to the [[Milindapañha]], which explained that the arisement of ''sati'' calls to mind the wholesome [[dhamma]]s such as the four establishings of mindfulness, the five faculties, the [[Bodhipakkhiyādhammā#Five powers|five powers]], the seven awakening-factors, the noble eight-factored path, and the attainment of insight.{{sfn|Sharf|2014|p=942-943}}
  • これはミリンダ王の問いの内容を引き合いに出したもので、「the arisement of "sati"」以降が問題です。
  • 「the arisement of "sati"」以降において、主語は「the arisement of "sati"」(サティの生起/サティが生じること)でよいと思います。
  • call to mindは「思い出す/思い浮かべる」などの意味の動詞であるようです[1]
    • とすれば、call to mindの目的語がwholesome dhammas(健全な諸)でしょう。また、wholesome dhammasの後ろに並んでいるものが、wholesome dhammasの事例でしょう(四念処、七覚支、八正道など)。
    • そうしますと、「サティの生起(サティが生じること)が、(四念処などの)健全な諸法を思い出す」といった訳になり、「思い出す」という動作の主語が「サティの生起」となってしまいますが、これでよいのでしょうか?
    • むしろ実態としては、健全な諸法を思い出したり思い浮かべたりするという動作の主語は瞑想者(人)と解すべきではないかと思いますが、それは可能でしょうか?
    • 上記の出典では、p.942に「your Majesty, sati, when it arises, calls to mind dhammas」とあります。このyour Majesty(ミリンダ王)をcall to mindの主語と見てよければ、主語はミリンダ王(ゆえに主語は人)と解してよさそうですが、そういう解釈でよいと思いますか?
  • the five facultiesとattainment of insightは、八正道などと並置してあることから、ともに仏教用語と思われますが、漢訳で何に相当するものか分かりません。後者は「洞察による達成」などと読めば「悟り」みたいな意味でしょうか(自信はありません)。

(2)それに続いて、この文があります。

According to Rupert Gethin, 
{{quote|[''sati''] should be understood as what allows awareness of the full range and extent of ''dhammas''; ''sati'' is an awareness of things in relation to things, and hence an awareness of their relative value. Applied to the ''satipaṭṭhānas'', presumably what this means is that ''sati'' is what causes the practitioner of yoga to "remember" that any feeling he may experience exists in relation to a whole variety or world of feelings that may be skillful or unskillful, with faults or faultless, relatively inferior or refined, dark or pure."{{sfn|Sharf|2014|p=943}}{{refn|group=note|Quotes from Gethin, Rupert M.L. (1992), ''The Buddhist Path to Awakening: A Study of the Bodhi-Pakkhiȳa Dhammā''. BRILL's Indological Library, 7. Leiden and New York: BRILL}}}}
  • awareness of things in relation to thingsはどう訳すべきでしょう?
    • in relation toは「〜に関して/〜に関連して」という意味[2]がありますが、それを踏まえた的確な和訳が作れません。
    • そこに後続して「and hence an awareness of their relative value.」(従って、サティは物事の相対価値についての気づきである)と言われておりますが、この文意も、文脈上しっくりしない感があります。

--Leonidjp会話2018年2月18日 (日) 03:06 (UTC)[返信]

コメント "your Majesty, sati, when it arises, calls to mind dhammas" は「陛下、サティ〔念〕が生じると、それはダンマ〔諸法〕を心に呼び起こします」と訳せます。(1)の "that the arisement of sati calls to mind the wholesome dhammas" はその言い換えでしょうから、主語は「サティ(が生じること)」かと。"such as" 以降は三十七道品に当てはめると、四念処五根五力七覚支八正道でしょうね。最後の "attainment of insight" はわかりません。
(2)の "sati is an awareness of things in relation to things" は素直に読むと「サティとは、事物が事物との関係性のうちにあることについての覚知である」。縁起説に関する認識のことを述べたものでしょうか。縁起説には一方通行な関係性のものと、『中論』のように相互依存的な関係性のものとがありますが、この場合はどちらでしょうかね。この文では続けて「したがって、それら〔関係性のうちにある諸事物〕の相対的な価値に気づくこと」とありますね。--Doomreaper会話2018年2月18日 (日) 19:10 (UTC)[返信]
Doomreaperさん、早速ありがとうございます。
(1)はcallに「呼び起こす」という意味があることから「call to mind ○○」で「○○を心に呼び起こす」ということですね。five facultiesも仰るとおり五根で合っていると思います(五根と合わせて検索してみて、五根の訳語らしいと確認できました)。
(2)はin relation toを「○○に関連して」という読み方をせずそのまま読んで、in relation to thingsが直前のthingsを修飾していると読めばよかったのですね。縁起の性質として一方通行的なものか相互依存的なもののどちらであるかについては、よくわかりません。
(2)の文は全体を下記のように和訳してみたのですが、Applied to以降の訳文にあまり自信がないこともあり、そこの部分以降を記事に載せるのは一旦保留しておこうと思います。
サティは、法の全範囲とその広さについての気づきを可能にするものとして理解されるべきである。サティは、事物が事物との関係性のうちにあるということについての気づきであり、従ってサティは、関係性のうちにある諸事物の相対的な価値についての気づきである。それを念処に適用すると、おそらく次のように言える。精巧であったり不精巧であったり、欠点があったりなかったり、相対的に劣っていたりいなかったり、純粋であったりそうでなかったりするであろうあらゆる種類の感覚との関係性において存在する感覚を、ヨーガの実践者は経験するであろうが、サティは、そのような関係性において存在する感覚をヨーガの実践者に「思い起させる」ものである。
--Leonidjp会話2018年2月19日 (月) 03:17 (UTC)[返信]
取り消し線で一部とりけし。--Leonidjp会話2018年2月19日 (月) 04:01 (UTC)[返信]
コメント 「サティの生起」という抽象概念が動作の主体として表現されている(1)のような英文は、そのまま和訳すると翻訳調のこなれない日本語になってしまいがちです。日本語ではあまりこういう言い方はしないので。そういう場合は主語と目的語をひっくりかえして受動態に変換することがあります(英語の専門家からお叱りを受けるかもしれませんが)。日本語を母語とする人には、そうしたほうが言わんとすることが伝わりやすく、通りがいい気がします。こんな感じです。
シャーフは『ミリンダ王の問い〔那先比丘経〕』〔の次のような説明〕を引合いに出している。すなわち同経典は、四つの気づきの確立〔四念住〕、五つの能力〔五根〕、五つの力〔五力〕、七つの覚りの要素〔七覚支〕、尊い八つの道〔八正道〕、洞察の達成といった有益なダンマ〔諸法〕は、サティ〔念〕が生じることによって心に呼び起こされる、と説明したのである。
(2)も試訳してみました。
ルパート・ゲシンによると「サティ〔念〕は全般にわたるダンマ〔諸法〕についての気づきを可能ならしめるものだと理解されるべきである。サティ〔念〕とは事物との関係のうちにある諸事物についての気づきであり、したがってそれらの相対的価値についての気づきでもある。サティパッターナ〔念住〕に当てはめると、おそらくこれは次のようなことを意味する。すなわち、サティ〔念〕とは、経験するいかなる感覚もあらゆる種類の感覚ないし感覚の世界〔境〕との関係 ― それは熟練してようといまいと、瑕疵があってもなくても、比較的劣っていても精妙であっても、仄昏くても〔不明瞭でも〕清明でもよい ― において存するということを、ヨーガの実践者をして「思い起こさせる」ことである、と。」
一般教養程度の英語知識しかありませんのでこの読みが正しいと主張するつもりはありませんが、参考になればさいわいです。--Doomreaper会話2018年2月21日 (水) 04:07 (UTC)[返信]
ありがとうございます。私の訳文よりも明らかにこなれていて分かりやすいです。(1)のように原文にて関係代名詞などで長く続いている文も、Doomreaperさんの訳文のように句点を入れつつ訳したほうがよいことが分かります。whole world of feelingは仏教用語の「境」のことだというのも、思い当たりませんでした。助かります。--Leonidjp会話2018年2月21日 (水) 06:51 (UTC)[返信]
返信 ありがとうございます。6つの感覚器官が六根で、その対象である色声香味触法が六境なので feeling に「境」をあててみましたが、「受」のほうが適切かもしれません(「境」に接触することで生じる快・不快などの感覚印象が「受」です)。もっとも、(2)の文は「瞑想中に感受するさまざまな感触のいずれもが、総体的な感覚世界に対する相対的な感覚でしかないことに気づくこともサティだ」という趣旨で、仏典に典拠を有しない著者の一見解だとすると、仏教的な訳語を無理にあてはめる必要はないのかもしれませんし、先に述べた縁起説云々も的外れだったかもしれせん。--Doomreaper会話2018年2月21日 (水) 22:51 (UTC)[返信]
やはり理想的には、出典になっている資料に当たるのが一番良いのでしょうが、すぐに入手できるものばかりではないこともあり、出典のもつ文脈等を正確に掴まえるのができにくいことも多いですね。自分で自信のない訳文を載せると誤情報を流布してしまう危険があるので、そういう箇所は日本語出典を確保できるまでは翻訳対象にしないほうが安全だろうと今思っています。--Leonidjp会話2018年2月22日 (木) 02:52 (UTC)[返信]

翻訳の状況についてご確認[編集]

Leonidjpさんが主に翻訳してくださっているのだと思いますが。「この節の加筆が望まれています。」となっている説は、訳してもいいのでしょうか?翻訳途中ということでしたら、重複してしまうのでやめておこうと思うのですが、心づもりを教えていただけると助かります。--名香野会話2019年6月9日 (日) 12:41 (UTC)[返信]

現在は翻訳作業はしておらず、今後も予定はありませんので、翻訳して下さってかまいません。--Leonidjp会話2019年6月9日 (日) 13:58 (UTC)[返信]
返信いただきありがとうございます。時間を見て翻訳しておきます。--名香野会話2019年6月12日 (水) 11:44 (UTC)[返信]

森田療法の加筆[編集]

森田療法の説明であってマインドフルネスとの関連を説明していると思えない箇所をコメントアウトしました。

また、節全体が北西の著書の複数箇所を出典としているものですが、コメントアウト前の記述では北西の主張という側面が薄くなっていて、一般認識であるかのように読めます。いくら出典をつけて検証可能性をキープしているといっても、いちいち照らし合わせることはないでしょうから、これが適当とは思えません。

最後に、この文を執筆した方の箇所で出典のページ位置、サイト名の記述誤りが散見されるので、これらが確認されるまでコメントアウトが適当と判断しました。--Lorenzo 0717会話2019年7月12日 (金) 01:02 (UTC)[返信]