ナカタ・ユウタ

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ナカタ・ユウタ
ナカタ・ユウタの画像
プロフィール
リングネーム ナカタ・ユウタ
本名 仲田 祐太
身長 164cm
体重 60kg
誕生日 (1981-08-16) 1981年8月16日(42歳)
出身地 茨城県笠間市
所属 フリー
トレーナー ターザン後藤
デビュー 2002年6月13日
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ナカタ・ユウタ1981年8月16日 - )は日本プロレスラー。本名:仲田 祐太(なかた ゆうた)。

経歴[編集]

レスラーとしての初期キャリアは、格闘プロレスリングSSSで歩む。

2002年にデビューした年に金子智和(現:金子スグル)の筋肉バスターで背中と腰を大怪我。約2年のリハビリを行うが、現在も腰と背中には爆弾を抱えており、試合自体にスラム系が少ない。

2004年に復帰。復帰戦は、総合格闘技の師でもある大石大介と共に復帰戦を飾る。復帰してからも背中と腰の痛みで思うような動きが出来ず、2005年からはタッグ路線へと変更。2005年から2007年まで茨城県を拠点に活動。

2008年からは東京に進出。ターザン後藤一派にて、ドラゴンソルジャーLAWを病院送りにした。その後、ターザン後藤一派に参戦。 くじ引きの結果、ターザン後藤と戦う羽目になる。そして、ナカタの地元凱旋ではターザン後藤とまた再戦。この試合で有刺鉄線ボードデスマッチを使用した為か、ナカタのデスマッチ色が強くなっていった。

スーパーFMWの初期は、中堅あたりだったが、大仁田厚の引退後はトップに昇格。ハードコアデスマッチ路線に挑んだ。また、画鋲、有刺鉄線ボードデスマッチにおいて、ターザン後藤のビール瓶、シャーク土屋の鎖鎌で斬られた大きな傷跡が左腕にある。この左腕の傷は、羽沙羅を庇った時についた傷であり、2人の関係が試合に現れていた。

2010年のスーパーFMWでは、突然のメインに抜擢された理由が、同所属の松本トモノブが、デスマッチから逃れる為にナカタをメインに持ち上げたと、松本がスーパーFMWのサイトの中で暴露。

主に、ミスターポーゴ、ターザン後藤との試合が多かった。

白のペイントに黒の模様入りが特徴的で、ミスターポーゴとの試合で、仮死状態からの復帰が現在の死神スタイルになっている。

3メートルのラダースワントーン等行っていたが、2012年に離脱。背中の怪我が悪化した為、長期のリハビリをすることになる。

2017年度はちがさきプロレスにレフェリーとして参戦した。

2018年、シアタープロレス花鳥風月に突如ブラックウルフとして参戦し、鮮やかにスワントーンボムを見せるもマスクを剥がされてバレてしまう。 そして入団が発表された。花鳥風月の派生団体YOKOHAMA花鳥風月の代表になる。10月23日、女子プロレスラー・川田由美子との結婚を発表[1]

2019年中旬頃に、花鳥風月での活動実績がなく退団扱いとなっているが、双方からコメントはない。

得意技[編集]

タイトル歴[編集]

  • wXw Japan
第5代King of Legend
  • wXw Japan
初代Tag of Legend
  • wXw Japan
第2代Sky of Legend
  • 格闘プロレスリングSSS
第4代S-1王座
  • Hプロダクション
第6代Hプロチャンピオン
初代Hプロタッグチャンピオン
第4代Hプロバトルロイヤルチャンピオン

入場曲[編集]

グレート・ユタ[編集]

ササメ(左)とグレート・ユタ(右)

ターザン後藤一派の大会にて、グレートミタ対グレートサタの試合が行われるはずであったが、グレートミタが膝の怪我により、急遽ナカタが代役として「グレートミタ」で登場し、グレートサタと試合を行う。その後、グレートユタが誕生。グレートユタとしては、グレートサタと組む等していたが、本人がペイントで試合をすることが多く、グレートユタは無くなった。

脚注[編集]

  1. ^ “『㊗️㊗️㊗️』” (日本語). 服部健太の忍者ブログ~ニンニン. https://ameblo.jp/kenta31573828/entry-12413813466.html 2018年10月25日閲覧。 
  2. ^ ベースボールマガジン社「保存版2019プロレスラー全身写真名鑑」週刊プロレス別冊新春号 83頁

外部リンク[編集]