ドラマティック・レイン

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ドラマティック・レイン
稲垣潤一シングル
初出アルバム『Shylights』
B面 蒼い追憶
リリース
規格 シングルレコード
ジャンル ポップス
時間
レーベル EXPRESS
作詞・作曲 秋元康(作詞)
筒美京平(作曲)
チャート最高順位
  • 週間8位(オリコン
  • 1982年12月度月間18位(オリコン)
  • 1983年1月度・2月度月間10位(オリコン)
  • 1983年度年間38位(オリコン)
  • 9位(ザ・ベストテン
  • 1983年度上半期22位(ザ・ベストテン)
  • 1983年度年間50位(ザ・ベストテン)
稲垣潤一 シングル 年表
246:3AM
(1982年)
ドラマティック・レイン
(1982年)
エスケイプ
(1983年)
テンプレートを表示

ドラマティック・レイン」は、1982年10月21日にリリースされた稲垣潤一の通算3枚目のシングル

解説[編集]

雨のリグレット」(チャート65位)でデビューした稲垣だったが、2作目「246:3AM」はチャートインしなかったため、レコード会社はヒットメーカーの筒美京平に作曲のオファーをする[1]。筒美は稲垣がデビューした時に、所属事務所から作曲の依頼を受けていたが断っていた[1]。今回、再度のオファーを受諾し、メロディーを完成させる。

高校在学中に放送作家の仕事を始めた秋元康は、やがてその仕事に物足りなさを感じ、1981年10月、23歳の時にAlfee(現・THE ALFEE)のシングルB面曲「言葉にしたくない天気」で、作詞家としての活動を開始する[2]。しかし暫くは作詞の仕事も少なく、ヒット曲も無い状態だった。

筒美の曲が出来上がった後、レコード会社は、秋元を含めた3人の作詞家が曲に詞を書くコンペを行う[1][3]。協議の結果、秋元の詞が最も評価が高く採用となり、シングルA面曲での発売が決定する[1]

稲垣の声質を活かしたミディアムテンポのAORナンバーに仕上がった本作は[1]、チャート最高位8位、半年にわたりチャートインするヒットとなり[4]、稲垣にとって、また秋元にとっても初のヒット曲となる。なお秋元は本作のヒットで手にした作詞印税でBMWを購入し、「ドラマティック・レイン号」と名付けて乗っていた、というエピソードも残されている[5][6]

収録曲[編集]

  1. ドラマティック・レイン
  2. 蒼い追憶

収録アルバム[編集]

カバー・コラボレーション[編集]

ドラマティック・レイン

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998』 白夜書房1998年、163頁。ISBN 4-89-367563-X
  2. ^ 久保田泰平 (2010年5月23日). “その時歴史は動いた 第13回-秋元康”. bounce 320号 (2010年4月25日発行). TOWER RECORDS. 2015年3月10日閲覧。
  3. ^ Musicman's RELAY 第86回 秋元康”. Musicman-NET. エフ・ビー・コミュニケーションズ (2010年5月13日). 2015年3月10日閲覧。
  4. ^ 『オリコンチャート・ブック アーティスト編』 オリジナルコンフィデンス1988年、50頁。ISBN 4-87-131021-3
  5. ^ 『筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998』 白夜書房1998年、164頁。ISBN 4-89-367563-X
  6. ^ 『1番ソングSHOW』 昭和vs平成 雨の名曲トップ5”. TVでた蔵. 2015年3月10日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]