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ドイツ領トーゴラント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トーゴラント保護領
Schutzgebiet Togo (ドイツ語)
トーゴの位置
:ドイツ領トーゴラント
:その他のドイツ植民地
:ドイツ帝国
公用語 ドイツ語
言語 エウェ語
カビエ語
テム語英語版
宗教 アカン教
イスラム教
キリスト教
民族宗教
首都 バギダ英語版(1884年 - 1887年)
セベ英語版(1887年 - 1897年)
ロメ(1897年 - 1916年)
ドイツ皇帝
1885年 - 1888年 ヴィルヘルム1世
1888年 - 1888年 フリードリヒ3世
1888年 - 1889年 ヴィルヘルム2世
面積
1912年 87,200km²
変遷
アフリカ分割 1884年7月5日
連合国による占領 1914年8月26日
分割 1916年12月27日
通貨 金マルク
現在 ガーナの旗 ガーナ
トーゴの旗 トーゴ
先代 次代
1885年のトーゴラント
1915年の地図

ドイツ領トーゴラントドイツ語: Schutzgebiet Togo)は、1884年から1916年にかけて、西アフリカに存在したドイツ帝国の植民地である。現在のトーゴに加え、ガーナヴォルタ州の大部分を支配し、面積は7万7355km²であった[1][2]

歴史

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ドイツの侵略

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1884年アフリカ分割の末期にドイツ帝国が侵略した。2月、ドイツ軍がアネホ町の首長を誘拐し、保護条約締結を強制した[3]ロメ地方ではドイツ保護領カメルーンと同様にグスタフ・ナハティガルが侵略を主導した。7月5日、ナハティガルは現地のムラパ3世と保護条約を結び、ベニン湾奴隷海岸に領土を獲得した。

1888年、行政府は25人のハウサ人から成る歩兵隊(Polizeitruppe)を組織し、内陸部の侵略に用いた。

1890年、ドイツ人役人の人口は12人だった。

社会基盤はアフリカの最高水準に達した。内陸の山脈に向かって道路や橋が建設された。

1894年、Polizeitruppeは144人に拡大し、クパンドゥ英語版等の「トーゴ中央の抵抗都市」は完全に破壊された。住民の財産は没収され、200~1110金マルク/人の罰金が科された。

1895年、首都ロメの人口はドイツ人31人と先住民2084人だった。

1899年、ドイツはイギリス帝国からトーゴ中立地域(イェンディ英語版とヴォルタ・トライアングルを獲得し、ドイツ領サモア北ソロモン諸島英語版トンガを割譲した[4]

行政府はカカオ珈琲綿の栽培を導入した。

1901年アメリカ合衆国のタスキーギ研究所から、ジェームズ・キャロウェイをリーダーに4人の綿花栽培指導者が派遣され、現地人を指導した[5]

1905年、ロメとアネホを結ぶ鉄道が開通した。

1907年、ロメとパリメを結ぶ鉄道が開通した。

1910年、建設された道路が1000kmを超えた。

1911年、ロメとアタクパメを結ぶ鉄道(後背地線)が開通した[6]

1913年までに、ロメの人口はドイツ人194人(内女性が33人)と先住民7042人に増加した。 トーゴラント全体ではドイツ人は316人で、その内女性が61人、子供が14人だった[7]第一次世界大戦直前には、ロメは「西アフリカで最も美しい都市」になった[8]

第一次世界大戦と消滅

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1914年8月6日、連合軍はドイツの植民地に降伏を勧告した。8月7日フランス第三共和政イギリス帝国の軍隊がトーゴラントを侵略した。ドイツ軍人は1人もおらず、警察の司令官・副司令官として10人だけ存在した。これに加え、先住民は司令官が1人と警察官が660人おり、彼らが全土に配置されていた[9]。連合国軍はロメを占領し、アタクパメ東部のカミナ・ラジオ局英語版に進軍した。

8月24日夜から25日にかけて、ラジオ局のドイツ人技師が施設を破壊した。

8月26日、植民地政府は降伏した。

フランスとイギリスの分断統治、独立

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1916年12月27日、トーゴラントはフランスとイギリスに分割された。

1922年7月20日ヴェルサイユ条約が批准され、トーゴラントは国際連盟のB級委任統治領となり、フランス領トーゴランドイギリス領トーゴランドに分割された。フランス領が全体の面積の約2/3を占めた[10]

1956年5月、イギリス領で国民投票が行われ、58%がガーナへの統合を望んだ。

1957年3月6日、ガーナがイギリスから独立した。12月13日、イギリス領はガーナに統合された。

1960年、フランス領はトーゴ共和国として独立した。

統治者

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関連項目

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脚注

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  1. Rank Order – Area”. CIA World Fact Book. 2008年4月12日閲覧。
  2. David Owusu-Ansah. Historical Dictionary of Ghana (4 ed.). Rowman & Littlefield. p. xii.
  3. Laumann, "A Historiography of German Togoland", p. 195
  4. Paul M. Kennedy, "The Samoan Tangle: A Study in Anglo-German-American Relations, 1878–1900", Harper & Row, p 1974.
  5. スヴェン・ベッカート 著, 鬼澤忍, 佐藤絵里 訳『綿の帝国 : グローバル資本主義はいかに生まれたか』紀伊國屋書店、2022年12月、566-584頁。ISBN 978-4-314-01195-2
  6. Haupt,Deutschlands Schutzgebiete, p. 82
  7. Haupt, p. 81
  8. Haupt, p. 74
  9. Haupt, p. 79
  10. Martin, Lawrence (2007). The treaties of peace, 1919–1923. 2. The Lawbook Exchange, Ltd.. p. 15. ISBN 978-1-58477-708-3 2011年7月19日閲覧。

参考資料

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  • Haupt, Werner (1984). Deutschlands Schutzgebiete in Übersee 1884–1918. [Germany’s Overseas Protectorates 1884–1918]. Friedberg: Podzun-Pallas Verlag. ISBN 3-7909-0204-7 
  • Laumann, Dennis (2003). “A Historiography of German Togoland, or the Rise and Fall of a "Model Colony"”. History in Africa 30: 195–211. 
  • Washausen, Helmut (1968). Hamburg und die Kolonialpolitik des Deutschen Reiches. [Hamburg and Colonial Politics of the German Empire]. Hamburg: Hans Christians Verlag 

外部リンク

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