トミシノポルンガ
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トミシノポルンガ | |
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1995年6月4日 京都競馬場 | |
現役期間 | 1991年 - 1995年 |
欧字表記 | Tomisino Porunga |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1989年3月31日 |
死没 | (不明) |
父 | サンオーイ |
母 | アメリカンスーパー |
母の父 | フエートメーカー |
生国 |
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生産 | 小松隆弘 |
馬主 | 富士野年恭 |
調教師 | 加藤健(笠松) |
厩務員 | 吉沢昭宏 |
競走成績 | |
生涯成績 |
32戦17勝 (地方競馬28戦16勝) (中央競馬4戦1勝) |
獲得賞金 | 2億4539万2000円 |
トミシノポルンガとは日本の競走馬、種牡馬である。1990年代前半における地方競馬の雄として活躍。中央競馬と地方競馬の交流が活発となる前後において積極的に中央競馬に遠征し、オープン競走で勝利するなど足跡を残した。
※年齢は旧表記(数え年)とする。
経歴[編集]
幼駒時代はそれほど見栄えはしなかったが、のちに担当厩務員となる吉沢昭宏はひと目見てインスピレーションを感じ、すぐに馬主に購入を薦めたという[1]。
1991年7月25日にデビュー。3歳時は初勝利に4戦を要するなど7戦2勝。オグリキャップの半妹として抜群の人気だったオグリホワイトに3度の対戦すべてで優勝をさらわれ、その陰に隠れた存在だった。しかし、4歳になると年明け初戦から連勝街道をひた走り、地元4歳馬の頂点を競う東海ダービー、地方競馬の4歳馬最高峰のレースであるダービーグランプリ[2]を制するなど、1着失格をはさんで7連勝と本格化した。5歳になって連勝は途切れるが、東海ゴールドカップ2連覇など6戦3勝。笠松競馬場以外では大井競馬場の帝王賞に出走し、10着に敗れている。
6歳以降はたびたび中央競馬への遠征を行う。1994年はその年に交流重賞として新設された平安ステークスで3着。芝コースで行われたテレビ愛知オープンではカリブソングなど3頭の重賞勝ち馬を抑えて優勝している。オールカマーでは上位3頭から離された4着。翌1995年は宝塚記念に出走するも10着に敗れた。そのほか前年に続いて帝王賞に出走して7着。この間も東海桜花賞[3]2連覇、NARグランプリ1994サラブレッド系5歳以上最優秀馬に選出されるなど、東海公営のエースであり続けた。4歳以降の地元(笠松、名古屋、中京)開催の2000メートル以下のレースでは12戦11勝、唯一の敗戦は前述の失格とほぼ完璧であった。1995年いっぱいで引退。
1996年から種牡馬となるが、種牡馬生活6年間で種付け頭数は13頭、生産頭数は6頭にとどまった。競走馬として登録された5頭はすべて勝ち上がったものの、中央、地方ともに重賞勝ち馬は出せなかった。種牡馬引退後の行方は不明である。
血統表[編集]
トミシノポルンガの血統(ブランドフォード系/Bold Ruler4×5=9.38%、Nasrullah5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 サンオーイ 1980 鹿毛 |
父の父 *リマンドRemand 1965 栗毛 |
Alcide | Alycidon | |
Chenille | ||||
Admonish | Palestine | |||
Warning | ||||
父の母 サンオーオク1974 鹿毛 |
*ステューペンダス | Bold Ruler | ||
Magneto | ||||
*ソヴリンレディ | King's Leap | |||
High Lady | ||||
母 アメリカンスーパー 1981 芦毛 |
*フエートメーカー Fate Maker 1972 栗毛 |
Swaps | Khaled | |
Iron Reward | ||||
A-Bee Ba-Bee | ナディア | |||
Stay Smoochie | ||||
母の母 *エンヴイアドラEnviadora 1971 芦毛 |
Enviado | Envoy | ||
Fleet Rosaire | ||||
Sierra Grey | Trierarch | |||
Broken Clouds F-No.13-b |
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 競走馬成績と情報 netkeiba、Yahoo!スポーツ競馬、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ
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