コルカタ
コルカタ Kolkata কলকাতা | |
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位置 | |
座標 : 北緯22度34分11秒 東経88度22分11秒 / 北緯22.56972度 東経88.36972度 | |
行政 | |
国 | インド |
州 | 西ベンガル州 |
県 | コルカタ県 |
市 | コルカタ |
市長 | Bikash Bhattacharya |
地理 | |
面積 | |
市域 | 185 km2 |
標高 | 12 m |
人口 | |
人口 | (2011年現在) |
市域 | 4,486,679人 |
人口密度 | 24,250人/km2 |
都市圏 | 14,112,536人 |
その他 | |
等時帯 | IST (UTC+5:30) |
Pincode | 700 xxx |
市外局番 | +91 (33) |
公式ウェブサイト : http://www.kolkatamycity.com/ |
コルカタ(英語: Kolkata)はインドの西ベンガル州の州都。世界屈指のメガシティ。
2011年の市域人口は448万人。2011年の近郊を含む都市圏人口は1,583万人であり、世界第13位、インドではデリーとムンバイに次ぐ第3位である[1]。
概要
かつては英語圏では英語化された音でカルカッタ(Calcutta)と呼ばれた。元の名前はカリカタで古い文献にもそのように記されている。コルカタと言う呼称は現地の言葉であるベンガル語での呼称で、カルカッタにあたる発音とは無縁であった。2001年には正式にコルカタに変えられたが、世界では英語綴りがまだ使われている。コルカタには「喜びの都市」と「宮殿都市」というよく知られた愛称がある。また時々"Michhil Nagari"(মিছিল নগরী, 行列都市)と呼ばれる。 ガンジス川の支流であるフーグリ川の東岸に位置する。
起源と歴史
イギリス支配から独立まで
17世紀末にイギリス東インド会社の交易拠点が設けられ、まもなくウィリアム要塞の建設が始められ、スターナティー、ゴーヴィンドプル、カーリカタの三村の徴税権が購入された。この地域がのちのコルカタのもととなった。1756年、ムガル帝国のベンガル総督シラージュ・ウッダウラは、イギリスがウィリアム要塞の強化を図ったことを理由としてコルカタを占領し、捕虜となった100人以上のイギリス人を獄死させた。1757年になるとマドラスの東インド会社軍がコルカタに到着し、コルカタを奪回したうえでフランスの拠点だったシャンデルナゴルも占領した。その後、コルカタの北150キロ程度に位置するプラッシーでもフランス支援下のシラージュ・ウッダウラ軍を撃破(プラッシーの戦い)して、コルカタだけでなくベンガル地方の徴税権を確保していった。ベンガル地方はイギリスによるインド植民地化の拠点となり、コルカタはその政治的中心となった。1877年にイギリス領インド帝国が成立するとその都となった。しかし、1905年のベンガル分割令に対する反発が高まったうえ、1906年にはインド国民会議コルカタ大会で反英姿勢が強まったことで、のちに都はデリーへと移された。1947年にインドが独立すると、その後は西ベンガル州の州都になった。
インド独立運動への貢献
日本に亡命したスバス・チャンドラ・ボースやラース・ビハーリー・ボースなど、ガーンディーとは異なる武装闘争を標榜する独立運動家を多数輩出した。BOSEの創始者であるアマー・G・ボーズの父であるノニ・ゴパル・ボースも当地から亡命した独立運動家である。
気候
コルカタはサバナ気候に属し、乾季と雨季が明瞭に分かれる。6月から9月の夏が雨季であり、気温、雨量ともに最大となる。一方、冬季である12月や1月は雨量も最小となる。年間平均雨量は1800mmである。
コルカタ (1971–1990)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 26.4 (79.5) |
29.1 (84.4) |
33.5 (92.3) |
35.3 (95.5) |
35.4 (95.7) |
34.0 (93.2) |
32.3 (90.1) |
32.1 (89.8) |
32.4 (90.3) |
32.3 (90.1) |
30.3 (86.5) |
27.0 (80.6) |
31.7 (89.1) |
平均最低気温 °C (°F) | 13.8 (56.8) |
16.9 (62.4) |
21.7 (71.1) |
25.1 (77.2) |
26.0 (78.8) |
26.5 (79.7) |
26.1 (79) |
26.1 (79) |
25.8 (78.4) |
23.9 (75) |
19.6 (67.3) |
14.5 (58.1) |
22.2 (72) |
雨量 mm (inch) | 11 (0.43) |
30 (1.18) |
35 (1.38) |
60 (2.36) |
142 (5.59) |
288 (11.34) |
411 (16.18) |
349 (13.74) |
288 (11.34) |
143 (5.63) |
26 (1.02) |
17 (0.67) |
1,800 (70.86) |
平均降雨日数 (≥1.0 mm) | 1.2 | 2.2 | 3.0 | 4.8 | 8.7 | 14.7 | 20.5 | 20.2 | 15.7 | 8.1 | 1.5 | 0.9 | 101.5 |
平均月間日照時間 | 204.6 | 203.4 | 226.3 | 234.0 | 226.3 | 123.0 | 93.0 | 105.4 | 117.0 | 182.9 | 192.0 | 204.6 | 2,112.5 |
出典:HKO [2] |
経済
英領インドの首都だった時代にはインド最大の産業都市であったが、その後は相対的に地位を下げていき、1970年代にはボンベイにインドの経済の中心の地位を譲ったが、現在でも東部インドの経済の中心地であり、インドで2番目に大きな証券取引所であるカルカッタ証券取引所を持ち、また大企業の本社も多くおかれている。
交通
鉄道やバスなどでインド国内の他の都市と結ばれている他、近年は格安航空会社の航空便の使用が増えている。
国際空港としてネタジ・スバス・チャンドラ・ボース国際空港があり、各国からの国際線やインド国内線はこの空港を使用する。日本からの直行便はないため、成田国際空港・関西国際空港などからニューデリーかムンバイ、もしくはバンコクかシンガポール等の各国際空港で乗り継いでコルカタに入ることとなる。
長距離鉄道及び近郊鉄道のターミナルは、フーグリー川をハウラー橋で渡った右岸側のハウラー市側にハウラー駅が、また、左岸のコルカタ市街東南にセアルダー駅が2大ターミナルである。2006年にはコルカタ都市圏3番目のターミナルとして、ハウラー橋左岸北部のChitpur地区にコルカタ駅が開業した。
市内交通ではインドでは唯一のトラム(路面電車:CTC)が走っている。また、地下鉄(Metro)もある。
バングラデシュの首都・ダッカとの間は、Kolkata(Chitpur)駅発Dhaka(Cantonment)駅行国際列車(マイトリー・エクスプレス:友情急行)[3]や公営の西ベンガル州陸上交通公社(WBSTC)・バングラデシュ道路交通公社(BRTC)相互乗り入れによる国際間バスサービス、更に空路により結ばれている。国際間バスに関しては、民営バスも運行を競っている。
文化
19世紀には黄金のベンガルと呼ばれた豊かさを背景に、ラビンドラナート・タゴールなどの大詩人を多く輩出した。マザー・テレサが1948年から1997年まで活動を行ったのもコルカタである。また、アジア初のノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センもコルカタ大学を卒業している。
出身著名人
脚注
関連項目
- 3C政策
- スバス・チャンドラ・ボース
- ソナガチ
- サダルストリート
- トクホン - カルカッタからコルカタへの改名の際、「こる肩」という単語とコルカタを掛け合わせたものをネタにしたテレビCMを放映したことがある。