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キノトール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

キノ トール1922年5月30日[1][2][3]〈または5月31日[注釈 1]〉 - 1999年11月29日[5])は、日本劇作家[5]脚本家[4]演出家[5]。本名は木下 徹(きのした とおる)[5][4]東京都出身[1][5]テアトル・エコー顧問[4]。妻は、産婦人科医性医学評論家であるドクトル・チエコ(本名:木下 和子)[1][3][5]

出生時の姓名は松宮 徹[1]。父は東京市世田谷区在住の松宮三郎[7]。のちに木下さかん(満洲パルプ工業常務)の養子となる[1][8]。俳優の松宮五郎(本名:隆)は、徹の実弟にあたる[1][3]

経歴

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日本大学芸術学部卒業[1][4]第二次世界大戦中、予備学生として学徒出陣海軍航空隊中尉で終戦を迎える[1][4]。戦後、「独立劇場」設立[5]。「東京青年劇場」を経てテアトル・エコーに入団[5]。脚本家、演出家として劇団活動の基礎を築いた。その間、三木鶏郎に誘われ、『日曜娯楽版』で一躍人気作家になる[5]。『11PM』、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』、『光子の窓』、『フランキー講談』等々、テレビラジオで活動した[5]

1999年11月29日死去[5]。77歳没。

主な作品

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戯曲

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  • ドライアイスの海
  • 男の中の男
  • スパイの技術
  • ミラノを見て死ね
  • 真夏の夜の夢
  • 平家物語
  • イヴとアダム
  • 青年がみな死ぬ時
  • われら今夜の悪夢
  • 法界坊悪行極楽
  • ゴーイングゴーイング
  • 殺人の技術・男の中の男
  • 恋愛の技術

演出

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脚注

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注釈

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  1. ^ 出典の中には出生日を5月30日でなく5月31日と記しているものもある[4][5][6]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 人事興信所 編『人事興信録』(第25版 上)人事興信所、1969年12月15日、き之部1頁。NDLJP:3044853/821 キノ トールの項目を参照。
  2. ^ 『放送作家年鑑』(1981年版)日本放送作家協会、1981年5月20日、巻末20-21頁。NDLJP:12450491/92 巻末の会員名簿中、キノトールの項目を参照。
  3. ^ a b c 東興秘密探偵社編集部 編『日本信用紳士録 全国篇』(1969年版)東興秘密探偵社、1968年11月1日、511頁。NDLJP:3049248/321 キノトールの項目を参照。
  4. ^ a b c d e f 人事興信所 編『全日本紳士録』(昭和34年版)人事興信所、1959年4月10日、き之部5頁。NDLJP:3013992/230 木下 徹の項目を参照。昭和38年版でも出生日を5月31日と記載。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l キノ トール」『20世紀日本人名事典(2004年刊)』日外アソシエーツhttps://kotobank.jp/word/%E3%82%AD%E3%83%8E%20%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB#w-1643543コトバンクより2025年9月16日閲覧 
  6. ^ 『放送年鑑――ラジオ・テレビのすべて』(1965年版)日本放送作家協会、1965年5月10日、巻末11頁。NDLJP:2506326/178 巻末便覧1の会員名簿中、キノトールの項目を参照。
  7. ^ 聯合通信社 編『日本人事名鑑』(昭和9年版 下卷)聯合通信社、1933年12月25日、マ之部72頁。NDLJP:1688665/823 松宮三郎の項目を参照。
  8. ^ 満蒙資料協会 編『満州人名辞典』(上巻)日本図書センター、1989年5月25日、152頁。NDLJP:13268438/133 木下荘の項目を参照。底本は1940年12月25日刊の『満州紳士録』第3版。
  9. ^ ミュージカル 怪傑アンパンマンオールスタッフ。2025年9月16日閲覧

関連項目

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