カール=イェスコ・フォン・プットカマー

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カール=イェスコ・オットー・ロベルト・フォン・プットカマー(Karl-Jesco Otto Robert von Puttkamer、1900年3月24日1981年3月4日)は、ドイツ海軍軍人ドイツ国防軍海軍少将第二次世界大戦中、総統アドルフ・ヒトラーの海軍副官を務めていた。

経歴[編集]

ポメラニア貴族の家系にフランクフルト・アン・デア・オーダーで生まれる。17歳でドイツ帝国海軍に入隊。1920年に少尉に任官。1930年に中尉に昇進。1933年から1935年まで陸軍総司令部で海軍連絡官。1935年、アドルフ・ヒトラーの第二副官に転じる。1939年10月に中佐に昇進してヒトラーの海軍副官に就任し、1941年に大佐、1943年に准将に昇進した。

負傷して入院したプットカマーを見舞うヒトラー(1944年7月)

1944年7月20日のヴォルフスシャンツェにおけるヒトラー暗殺未遂事件では軽傷を負っただけで済んだ。ベルリンの戦いのさなかの1945年4月21日にオーバーザルツベルクに脱出した。5月にアメリカ軍の捕虜となり、1947年5月に釈放された。

ミュンヘン近郊のノイリートで死去した。

文献[編集]

  • Ellinor von Puttkamer: Geschichte des Geschlechts v. Puttkamer (= Deutsches Familienarchiv, Band 83–85). 2. Auflage, Degener, Neustadt an der Aisch 1984, ISBN 3-7686-5064-2, S. 711–712

外部リンク[編集]

  • Karl-Jesco von Puttkamerフォン・プットカマー一族のホームページでの紹介(ドイツ語・画像つき)