オデッサの戦い (1941年)

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オデッサの戦い
Invasion1941.jpg
戦争第二次世界大戦独ソ戦
年月日1941年8月5日から10月16日
場所オデッサソ連
結果:ルーマニア軍の勝利
交戦勢力
Flag of Romania.svg ルーマニア Flag of the Soviet Union (1923-1955).svg ソ連
指揮官
ニコラエ・チュペルカ将軍
イオシフ・イアコビチ
G・P・サフローノフ中将
イワン・ペトロフ少将White flag icon.svg
戦力
兵士 340,223 兵士 34,500
火砲 240
損害
戦死・行方不明 29,200
戦傷 63,435
戦死・行方不明 16,578
戦傷 24,690
独ソ戦

オデッサの戦いルーマニア語:Bătălia de la Odessaバタリヤ・デ・ラ・オデッサ)は、独ソ戦中の1941年オデッサを巡って行われた大規模な戦闘である。防衛に回ったソ連側からは、オデッサ防衛戦ロシア語:Одесская оборонаアヂェースカヤ・アバローナ)と呼ばれる。また、この戦いは、ドイツヨーロッパ同盟国がドイツ軍の目立った協力なしに主要都市を占拠した唯一の例として語られる。

概要[編集]

ソ連南部ウクライナの重要港湾都市であったオデッサへの侵攻の主力となったのは、ナチス・ドイツと同盟したルーマニア王国であった。ニコラエ・チュペルカ将軍の指揮するルーマニア第4軍は、海軍・空軍の支援の協力のもと1941年8月5日、オデッサへの侵攻を開始した。

当時、オデッサ軍港はガヴリール・ジューコフ(ゲオルギー・ジューコフとは別人)海軍少将指揮下にあった。オデッサを死守する赤軍南方戦線は、多大な損害を出しながらも2ヶ月を持ちこたえた。フィリップ・オクチャーブリスキー海軍中将率いる黒海艦隊は、陸上部隊への支援のため活発な物資輸送や艦砲射撃を行った。10月5日には、司令官がG・P・サフローノフ中将からイワン・ペトロフ少将に交代した。ペトロフ少将は、赤軍と市民の退却作戦を遂行した。一方、ルーマニア軍では9月よりイオシフ・イアコビチ中将が司令官に就任した。

10月16日には赤軍はセヴァストーポリへ退却し、ルーマニア軍が町を掌握したが、その後も赤軍はレジスタンス活動を展開し、占領軍となったドイツ・ルーマニア・イタリアの軍隊に恐怖を与えた。

題材とした作品 [編集]

・ボードゲーム

コマンド・マガジン第109号 『オデッサ攻防戦』 国際通信社 *[1]

外部リンク[編集]