アン・ボニー

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アン・ボニー。オランダ1725年に制作された絵画で作者は不明[1]

アン・ボニー(Anne Bonny、Bonneyとも、1700年3月8日?[2] - 1782年4月22日?)は、18世紀カリブ海で活動した海賊。アイルランドで私生児として生まれる。ジョン・ラカムの手下の1人である。

海賊の記録が盛んにとられていた海賊の黄金時代に生きていたということもあり、メアリ・リードと共に特に名が知られている[3]

生い立ち[編集]

アンはアイルランドコーク州で、弁護士ウィリアム・コーマックと妾のメイドとの間に産まれた私生児だった[4]。不義を犯した父親は妻と職を捨て、アンとその母とを連れてアメリカサウスカロライナ州チャールストン近郊にプランテーションを購入して移り住んだ[5][6]

年頃になった頃、アンは男勝りな女に育った。あるとき彼女はかんしゃくを起して家で使っていた女中をナイフで刺した、などという噂があったが、これはでたらめであると思われる[7]。父はアンに良縁を見つけて結婚させようと計画していたが、アンは父の同意を得ることもなくチャールストンに居た船乗りのジェームズ・ボニー(James Bonny)と結婚してしまった。父は立腹し、娘を勘当した。父の財産を得るあてがなくなった2人はバハマニュープロビデンス島ナッソーへと移った[5][8]

以上はチャールズ・ジョンソンによる海賊の伝記集『海賊史』の記述に基づいているが、ボニーの前半生についての記述はジョンソンによる脚色が多分に含まれていると指摘する研究者も存在する[9]

ナッソーは当時、海賊共和国と呼ばれる無法者たちの拠点であった。1718年ウッズ・ロジャーズ総督が島に到着すると、多くの海賊たちは王の恩赦を受けて足を洗った。ジェームズ・ボニーはこのさい、ロジャーズの情報提供者になったとされる[10]。ジェームズは近海の海賊についてロジャーズに報告し、これによって多くの海賊が捕えられることとなった。アンは夫がロジャーズのもとで働くことを嫌っていたとされる。

海賊生活[編集]

その後、アンはバハマの居酒屋でキャラコ・ジャックとして知られるジョン・ラカムと出会い、彼の恋人となった[11]。ラカムはジェームズにアンと別れるなら金を払うと申し出たが、ジェームズはこれを拒否し、それどころかロジャーズ総督に報告した。総督はアンを召喚し、アンの行為を破廉恥であると非難し、ラカムのような悪い仲間とは二度と関わらずに夫と貞節に暮らすことを約束させ、もしこれが反故にされた場合はラカム自身にアンを鞭打たせると厳しく言い渡した[12]。アンはラカムと共に駆け落ちすることを決め、男装して海に出た[13]。男装の理由は、当時の掟では女性は男性に混ざって乗船して働くことは認められていなかったからである[14]

ラカムが襲った船の乗組員で新たに海賊として加わった中に、美しい顔立ちの少年が居た[10]。アンはその少年が気に入り、誘惑しようとするが、実はそれは男装して船に乗り込んでいたメアリ・リードであった[15]。2人の関係を男女関係として問題視したラカムに説明を求められたが、ラカムは説得されて、他の船員には女であるとの事実は公開せずに、そのまま共に海賊行為を続けることとなった[15]。海に出てしばらく、アンが身籠っていることが分かると、ラカムは彼女をキューバに降ろしてその土地の知人に面倒を見させた。出産後、ラカムは再びアンを呼び寄せると引き続き海賊行為を働いた[16]

1720年10月にラカムの海賊船がバハマ総督から派遣されたジョナサン・バーネット船長に補足されたとき、怖気づいたラカムたち男性乗組員が船倉に逃げ込んだにも拘らず、アンはメアリと共に激しく抵抗した。しかし衆寡敵せず、捕らえられてしまう[17]

1720年11月16日、ラカムはセント・ジャゴ・デル・ヴェガにおいて死刑判決が下された[18]。ここでラカムとの面会を許されたアンは失望から「あんたがもっと男らしく戦っていたら、犬みたいに吊されなくてもすんだのに[19]」と辛辣な言葉を投げかけている。

その後[編集]

アンとメアリの裁判が行われ、死刑が宣告されたものの、2人が妊娠を主張したため、母親を処刑した巻き添えで子供も殺害してはならないという法律に基づき、刑の執行は出産が済むまで延期されることとなった[20][21]。メアリはその後熱病にかかってしまい、獄中で死んだが、アンは無事に子供を出産したとされる。チャールズ・ジョンソンによれば結局、彼女の刑が執行されることはなく、釈放されたのか否かはよく分かっていない[22]。一説によれば、アンは有力者であった父によって赦免を得、1721年12月21日にジョセフ・バーリー(Joseph Burleigh)という男と結婚し、8人の子供をもうけ、1782年にサウスカロライナ州にて82歳で亡くなったといわれる[23]

記録[編集]

アンは『海賊史』以外の資料でも言及されている[24]。彼女に対する他資料での最初の言及は、1720年9月5日のウッズ・ロジャーズによるものでジャック・ラカムに関わりのある海賊としてアンについて記述している[25]

アン・ボニーが登場する作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 女性海賊史序説 ∼18世紀カリブ海の海賊社会におけるジェンダー研究~7ページ
  2. ^ John Carlova, Mistress of the Seas
  3. ^ 女性海賊史序説 ∼18世紀カリブ海の海賊社会におけるジェンダー研究~5ページ
  4. ^ コーディングリ、(2000)、p235
  5. ^ a b レディカー、(2014)、p141
  6. ^ ジョンソン、(2012)、p234
  7. ^ ジョンソン、(2012)、P234
  8. ^ コーディングリ、(2000)、p235
  9. ^ 薩摩真介『海賊の大英帝国』講談社、2018年、144頁。
  10. ^ a b コーディングリ、(2000)、p235
  11. ^ ジョンソン、(2012)、p211~212
  12. ^ ジョンソン、(2012)、p213
  13. ^ ジョンソン、(2012)、p235
  14. ^ レディカー、(2014)、p145
  15. ^ a b ジョンソン、(2012)、p224~p225
  16. ^ ジョンソン、(2012)、p235
  17. ^ コーディングリ、(2000)、p236
  18. ^ ジョンソン、(2012)、P204
  19. ^ ジョンソン、(2012)、P236
  20. ^ レディカー、(2014)、p138
  21. ^ コーディングリ、(2000)、p238
  22. ^ ジョンソン、(2012)、p236
  23. ^ David Cordingly, "Bonny, Anne(1698–1782)", Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004 accessed 18 Nov 2006
  24. ^ レディカー、(2014)、p142
  25. ^ レディカー、(2014)、p142

参考文献[編集]

  • デイヴィッド・コーディングリ(編)、増田義郎(監修)、増田義郎・竹内和世(訳)、『図説 海賊大全』2000年11月、東洋書林
  • チャールズ・ジョンソン(著)、朝比奈一郎(訳)、『海賊列伝(上)』2012年2月、中公文庫
  • マーカス・レディカー(著)、和田光弘・小島崇・森丈夫・笠井俊和(訳)、『海賊たちの黄金時代:アトランティック・ヒストリーの世界』2014年8月、ミネルヴァ書房