のらぼう菜

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のらぼう菜(のらぼうな)は、東京都西多摩地方(あきる野市青梅市等)及び埼玉県飯能市・比企郡小川町付近で多く栽培されるアブラナ科アブラナ属野菜である[注釈 1][1][2][3]江戸時代初期には、すでに各地で栽培されていたと伝えられる[4][5]耐寒性に優れ、天明の大飢饉(1782年 - 1788年)及び天保の大飢饉(1833年 - 1839年)の際に人々を飢餓から救ったという記録が残る[1][3][5]かき菜などの「なばな」と同系統だが、在来種のアブラナ(和種なばな)ではなくセイヨウアブラナ(洋種なばな)に属している[1][5][6]

歴史[編集]

のらぼう菜がいつ頃から栽培され始めたのか、その来歴は不明とされる[1][4]。のらぼう菜の原種は、闍婆(じゃば、現在のジャワ島)を経由してオランダの交易船が持ち込んだセイヨウアブラナ(洋種なばな)の1種「闍婆菜」(じゃばな)という品種という説がある[1][7]。この闍婆菜は各地で栽培が広まり、江戸時代初期にはすでに西多摩地方でも栽培されていた[注釈 1][1][3][4]

のらぼう菜を含むなばな類は、油を採る目的の他に食用として葉や蕾が用いられ、栽培地の気候や風土によってさまざまな特質が見られるようになった[4][5]。西多摩地方ではこの食用なばなを「のらぼう」または「のらぼう菜」と呼んでいた[4]。「のらぼう」には「野良坊」という漢字表記がしばしば見られるが、この名で呼ばれるようになった経緯は定かではない[1][7]

のらぼう菜は耐寒性に優れている上、花茎を折ってもまた次の脇芽を何度も出す旺盛な生命力を持った品種である[1][5][8]。江戸時代後期の1767年(明和4年)9月、関東郡代伊奈忠宥が地元の名主小中野四郎右衛門と網代五兵衛に命じて、のらぼう菜の種子を江戸近郊の12の村々に配布した記録が残る[注釈 2][3][4][6]。のらぼう菜の普及によって天明の大飢饉(1782年 - 1788年)及び天保の大飢饉(1833年 - 1839年)の際、人々を飢餓から救ったと伝わる[3][4][6]。あきる野市の子生神社(こやすじんじゃ)には、この事績を記念して「野良坊菜之碑」が1977年(昭和52年)に建立されている[3][4][6][9]

のらぼう菜は収穫後はしおれやすいため長距離輸送や大量出荷向きではなく、生産地付近でのみ消費される地方野菜として受け継がれてきた[6][7][10]。近年は苦みやくせのないのらぼう菜の味わいが再度注目されるようになって、産地のあきる野市では東京都農業試験場・西多摩農業改良普及センター・JAあきがわが協力して、品種改良を進めている[6][11]

品種の特徴[編集]

のらぼう菜はセイヨウアブラナ(Brassica napus)の系統に属し、耐寒性に優れた品種である[1][3]。ゲノム構成は、B. rapa(ゲノム構成: AA, 2n = 20)とB. oleracea(ゲノム構成: CC, 2n = 18)のゲノムを2セットずつ持つ複二倍体(ゲノム構成: AACC, 2n = 4x =38)である。(倍数性アブラナ属参照)外見は在来種のアブラナ(B. rapa)に属する北関東のかき菜や新潟県の冬菜によく似ているが、葉のふちがギザギザになることや茎などが赤紫色を帯びることがのらぼう菜の特徴である[10][12]。栽培分布は、東京都西多摩地方のあきる野市や青梅市などの山麓地帯及び埼玉県飯能市付近が中心である[注釈 1][1][5]

のらぼう菜はアブラナ科の植物としては例外的に、近縁他種や他品種と交雑しにくいという独自の性質を持つ[1][3]。通常、アブラナ科の植物は自家不和合性の性質が強いために、種苗会社などはこの性質を利用して交配種を作っている[3]。しかし、のらぼう菜は自家受粉しやすいため、のらぼう菜を種子親にはしにくい。のらぼう菜の味の良さに着目した種苗会社が、昭和40年代からF1野菜の交配親として交配種づくりを行っているが、どの会社も成功していないという[3]

のらぼう菜の本来の旬は、前年8月下旬頃から9月上旬までの間に播種をして苗を畑に植え付けて越冬させた後の3月下旬から1か月足らずの短い期間である[12]。近年では2月初旬から出荷可能な早生種も出回っているが、3月下旬からの晩生種こそが、古来から続くのらぼう菜の系統である[12]。あきる野市五日市ののらぼう菜生産者たちで結成する団体「五日市のらぼう部会」では、早生種の普及に伴う出荷競争での品質低下防止のために、東京都農林総合研究センターで3年間にわたる早生種の試験栽培を依頼した[10][11][12]。五日市のらぼう部会は、試験栽培した早生種の中から食味などの優れた2種を選定した[12]。この2種は万一の交雑を防ぐためにあきる野市の山間部で種の採種を慎重に行い、五日市のらぼう部会の会員のみが種子を入手することが可能である[11][12]

調理法や利用[編集]

のらぼう菜は冬を越して春先に成長してきた花茎を、根こそぎではなく手で折り取りながら収穫する[12]。鎌を使っての収穫では、育ちすぎて食用に向かない固くなった花茎まで刈り取る恐れがあるため、30センチメートルくらいの長さを目安として必ず手で折り取っている[12]。収穫したての花茎は甘くて雑味がなくて柔らかいが、のらぼう菜を初めて食べる人の中には、美味しい茎の部分を捨てて葉だけを食べてしまう人もいるという[12]

のらぼう菜は100グラム中に鉄分1.15ミリグラム、ビタミンA1580IUビタミンC90ミリグラム(小松菜の2倍近い量)や食物繊維を豊富に含んでいる[11][12]。収穫後しおれやすいため、生産地近郊でのみ流通している[6][7][10]。店頭では250グラムから300グラムの束になったり、ポリ袋に詰められたりして陳列される[5]。のらぼう菜はゆでてもかさが減らないという長所がある[12][4]。かつてはおひたしやごま和えにして食していたが、油との相性が良いためバター炒めやマヨネーズ和えにも向き、味噌汁の具にも合うなど調理の用途が広い[4][5][12]

のらぼう菜は生命力が強く、葉や花茎の部分を摘んで食べた後にはまた次の葉や茎が伸びてくる[8]。耐寒性に優れていてハウス栽培の必要がなく、何回かの収穫ができて長期間楽しむことが可能であるため、家庭菜園にも向いている[1][5][8]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b c のらぼう菜の栽培分布範囲は、神奈川県川崎市多摩区地区から埼玉県比企郡ときがわ町大野地区付近までとされる。
  2. ^ 野良坊菜之碑には、12の村々のうち引田、横沢、高尾、留原、小和田、五日市、深沢、養沢、檜原の名が記されている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『江戸東京野菜 図鑑篇』、96-97頁。
  2. ^ 成瀬・堀、107頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j お野菜Who's Who/のらぼう 野口種苗研究所ウェブサイト、2013年10月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j 『江戸・東京ゆかりの野菜と花』、113-114頁。
  5. ^ a b c d e f g h i 『都道府県別地方野菜大全』、86-87頁。
  6. ^ a b c d e f g 『江戸・東京農業名所めぐり』、160-161頁。
  7. ^ a b c d Columm_J+(plus)2011.4.1 15 (PDF) JECC NEWS、2013年10月11日閲覧。
  8. ^ a b c 岩崎・関戸、8頁。
  9. ^ 21.子生神社 あきる野市ホームページ、2013年10月11日閲覧。
  10. ^ a b c d よみがえれ!江戸東京・伝統野菜 第21回 のらぼう菜 大竹道茂の江戸東京野菜通信、都政新聞株式会社ウェブサイト、2013年10月11日閲覧。
  11. ^ a b c d のらぼう菜 故郷に残したい食材 社団法人 農山漁村文化協会ウェブサイト、2013年10月12日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l 『江戸東京野菜 図鑑篇』、98-103頁。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]