隅田和世

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隅田 和世(すみた かずよ、1949年12月5日 - )は、日本の女優。父は東映京都映画監督だった隅田朝二。母は女優の藤枝久江

略歴

京都府京都市生まれ。京都市家政学園高等学校卒。高校卒業直後の1968年に、父の仕事の都合で東京都町田市に転居する。父の仕事のフィルム編集の助手をしていたが、女優への思いを募らせる。両親に内緒で応募したこの年の日活ニューフェースに合格し、反対する両親を強引に説得して研究生となる。同年10月から翌69年6月まで水の江滝子タレント・センターの1期生として基礎を学んだ。

1969年昭和44)にTBS新・流氷の女』、日活映画涙でいいの』でデビュー。この時は隅田和江という名前だった。「隅田和世」名への改名時期は不明だが、1969年昭和44)テレビドラマ『見合い恋愛』に隅田和世の名を確認出来る。その後『極楽坊主』『八月の濡れた砂』などに出演。その一方、1970年春から71年までミス・フェアレディとして日産自動車CMにも出演した。

『八月の濡れた砂』以降、一般映画の制作を中止し『にっかつロマンポルノ』へと路線転換した会社の方針になじめず日活を退社。一年後に復帰するが、再び退社してテレビ俳優に転じる。

1970年代の特撮にも数多く出演しており『キカイダー01』のリエコ、『ダイヤモンド・アイ』の蘭花、『イナズマンF』の大橋あけみ役など、悲劇的な結末を迎える薄幸のヒロイン役でも知られる。

1975年(昭和50)に放映された『鞍馬天狗』第22話の呉服問屋の娘役でのゲスト出演を最後に芸能界を引退したと思われる。 その後、1976年(昭和51)の10月発行の『家庭画報』で、着物モデルを務めていたことが確認されている。

主な出演作品

テレビ

映画

備考

  • 1960年代末から70年代中頃にかけて、ある程度の数の映画やテレビドラマに出演していながら、インタビュー記事などがほとんど残っておらず、細かな経歴等については不明な部分が多い。生年月日については1949年12月15日とする資料もある。同様に出身高校についても、東京家政学院高等学校とする資料もある。ここでは1973年4月23日付けの東京スポーツに掲載されたインタビュー記事に記された略歴を記載した。
  • このインタビュー記事では、名前を間違えられて「隅田和也」と書かれたという話や、男性と間違えられて「和世クン」と呼ばれることがあるなどの話も語られている。
  • 1970年代当時のTV番組はかなりの低予算で作られており、キカイダー01のロケで訪れた旅館(タイアップである)の食事のあまりの粗末さに涙したという話が残されている。

外部リンク

前記1973年4月23日付の東京スポーツに掲載された隅田和世のインタビュー記事や、72年のTVガイドに掲載された彼女に関する小さな記事など、隅田和世に関する当時のマスコミの貴重な情報が再録されている。