諏訪園一吉

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諏訪園 一吉
名前
カタカナ スワゾノ カズヨシ
ラテン文字 SUWAZONO Kazuyoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-03-04) 1983年3月4日(41歳)
出身地 鹿児島県指宿市
身長 172cm[1]
体重 68kg[1]
選手情報
ポジション MF[1]
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2003
2002 (loan)
2003 (loan)
2004-2009
2010-
FC東京
沖縄かりゆしFC
横河武蔵野FC
ヴォルカ鹿児島
指宿クラブ
0 (0)
0 (0)
14 (3)
? (?)
()
1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

諏訪園 一吉(すわぞの かずよし、1983年3月4日 - )は、鹿児島県指宿市出身のサッカー選手

ポジションは、MF

来歴

中学時代から年代別日本代表に招集され、鹿児島実業高校2年次には全国選手権に出場し準優勝の経験がある。

2001年、高卒ルーキーとしてFC東京へ入団。しかし直後に左肩を脱臼し、これが予想以上の重傷だったため、十分なプレーができるまでに半年近くを要し、また以後3年近くこのケガの影響を受ける事となってしまった。高校の先輩である藤山竜仁から「(藤山がつけている)背番号8は将来、諏訪園に譲りたいから相応しい選手になって欲しい」とマッチデイプログラム誌上で激励されるなどもした。秋に戦列復帰後、U-19日本代表合宿に招集され、10月には試合経験の少なさを補うため沖縄かりゆしFC期限付き移籍し、全国地域リーグ決勝大会に出場した後、FC東京に復帰。2002年ナビスコカップではベンチメンバー入りし、5月6日ヴィッセル神戸戦(東京スタジアム)で公式戦デビューを果たすが、リーグ戦ではなかなかメンバー入りできなかった。また、同年に入団した宮沢正史やユースから昇格した馬場憂太、移籍加入した石川直宏が攻撃的MFとして定着し、さらに2003年からトップチームに帯同した梶山陽平の成長、鈴木規郎の台頭などでMFの競争は激しく、司令塔タイプとしてはブラジル人MFケリーが大黒柱となっており、諏訪園の出番はサテライトリーグに限られてしまった。2003年6月、出場機会を求めてJFL横河武蔵野FCにレンタル移籍。ここでようやく出番を掴み、能力をのぞかせた。

2004年からは、故郷である鹿児島からJFL昇格を目指している九州社会人リーグ所属のヴォルカ鹿児島に完全移籍し、チームの攻撃をリードした。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2001 FC東京 26 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 0 0 2 0 - 2 0
2002 沖縄 九州 - - 0 0 0 0
2003 FC東京 26 J1 0 0 0 0 - 0 0
2003 横河武蔵野 JFL 14 3 - 0 0 14 3
2004 V鹿児島 16 九州 -
2005 14 18 2 - - 18 2
2006 14 1 - - 14 1
2007 18 1 - - 18 1
2008 1 0 - 0 0 1 0
2009 2 0 - - 2 0
2010 指宿 鹿児島県1部 - -
通算 日本 J1 0 0 2 0 0 0 2 0
日本 JFL 14 3 - 0 0 14 3
日本 九州 -
日本 鹿児島県1部 -
日本 -
総通算 2 0

選抜・代表歴

  • 1997年:U-15日本代表
  • 2001年:U-19日本代表

脚注

  1. ^ a b c 選手データ 2009年リーグ終了時

関連項目