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西田亨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西田 亨
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ハワイ準州
生年月日 (1930-07-01) 1930年7月1日
没年月日 (2003-05-09) 2003年5月9日(72歳没)
身長
体重
182 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1952年
初出場 1952年
最終出場 1963年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西田 亨(にしだ とおる、1930年7月1日 - 2003年5月9日)は、アメリカ合衆国ハワイ準州Territory of Hawaii)出身の元プロ野球選手投手)。1959年1961年の登録名はビル西田

経歴

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1951年読売ジャイアンツに入団した日系ハワイ人・与那嶺要の成功を受けて、1952年に同じく日系ハワイ人の広田順とともに巨人に入団。1年目に3勝を挙げるが、翌1953年登板がないまま退団。1955年再び巨人に入団するが、わずか1勝に終わり1年で帰国した。

その後、米マイナーを経て、1958年東映フライヤーズに入団してプロ復帰。この年は土橋正幸(21勝)に次ぐ16勝、防御率2.30(リーグ8位)をマークし、オールスターゲームにも出場した。1959年は登板機会がないまま自由契約となり[1]1960年大毎オリオンズへ移籍。2年目の1961年にチーム3位の9勝を挙げた。

1963年国鉄スワローズでプレーするが1勝6敗に終わり、この年限りで引退。

引退後は、ハワイ州ホノルル整体師となり、「ケンコー・マッサージ・クリニック」を経営した[2]

選手としての特徴

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牽制が非常に優れており、自分が四球で出した走者をよく自ら牽制球でアウトにしていた[3]

人物

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ハワイ出身らしい陽気な性格で、チームが負けていても口笛を吹いたり声を出したりして他の選手を励ますなど、ベンチに欠かせない存在であった。試合に負けて宿舎に戻っても、いつも持ち歩いているウクレレを取り出し、真っ裸の上に腰にタオルを巻いてハワイアンを歌って、他の選手を楽しませていたという[3]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1952 巨人 21 9 2 0 1 3 1 -- -- .750 312 75.1 69 6 25 -- 3 30 1 0 42 27 3.20 1.25
1955 10 3 1 1 0 1 2 -- -- .333 149 38.2 26 2 8 0 0 21 0 0 9 9 2.08 0.88
1958 東映 48 36 16 5 5 16 19 -- -- .457 1132 288.2 226 12 68 2 4 184 4 1 91 74 2.30 1.02
1960 大毎 9 7 1 0 0 1 0 -- -- 1.000 121 29.2 31 1 5 0 1 5 0 0 13 10 3.00 1.21
1961 32 15 2 0 0 9 6 -- -- .600 475 112.2 113 11 31 2 7 54 0 0 50 42 3.35 1.28
1963 国鉄 30 6 0 0 0 1 6 -- -- .143 319 76.2 64 4 27 0 5 47 1 0 26 22 2.57 1.19
通算:6年 150 76 22 6 6 31 34 -- -- .477 2508 621.2 529 36 164 4 20 341 6 1 231 184 2.66 1.11
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 25(1952年 - 1953年)
  • 31(1955年)
  • 53(1958年、1963年)
  • 19(1959年)
  • 15(1960年 - 1961年途中)

登録名

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  • 西田 亨(にしだ とおる、1952年 - 1953年、1955年、1958年、1963年)
  • ビル 西田(ビル にしだ、1959年 - 1961年途中)

脚注

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  1. ^ 『日本プロ野球トレード大鑑』87頁
  2. ^ 『プロ野球助っ人三国志』361-362頁
  3. ^ a b 『巨人軍の男たち』152頁

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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