西村友晴

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西村 友晴
生誕 1908年7月
所属組織 大日本帝国海軍
海上警備隊
警備隊
海上自衛隊
軍歴 1931 - 1945(日本海軍)
1952 - 1966(海自)
最終階級 海軍中佐(日本海軍)
海上幕僚長たる海将(海自)
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西村 友晴(にしむら ともはる)は、日本海軍軍人海上自衛官海軍兵学校卒業(第59期)。第6代海上幕僚長

1955年昭和30年)5月、当時1等海佐第2護衛隊司令に就任中に、MSA協定に基づく掃海艇の受領のためフィリピンスービック湾に向かった。この受領に係る作業を日本側だけで手際よくこなしアメリカ側を驚嘆させたという。また、この当時は台湾に逃れた中華民国国軍と大陸側の中国人民解放軍とのあいだで金門島馬祖島を巡り交戦中であった。交戦海域を直接通過する航路ではなかったが、万が一の事態に備えていたとされる。

略歴

栄典

  • 勲二等瑞宝章 - 1978年(昭和53年)11月3日

参考文献

  • 世界の艦船』2002年5月増刊号 海上自衛隊の50年(海人社)