コンテンツにスキップ

花岡山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

花岡山(はなおかやま)


花岡山
熊本城天守閣から見た花岡山
標高 132.2 m
所在地 日本の旗 日本
熊本県熊本市西区
位置 北緯32度47分47.5秒 東経130度41分08.2秒 / 北緯32.796528度 東経130.685611度 / 32.796528; 130.685611座標: 北緯32度47分47.5秒 東経130度41分08.2秒 / 北緯32.796528度 東経130.685611度 / 32.796528; 130.685611
花岡山 の位置(熊本市)
花岡山の位置(熊本県内)
花岡山
花岡山 (熊本県)
花岡山の位置(日本内)
花岡山
花岡山の位置
プロジェクト 山
テンプレートを表示

花岡山(はなおかやま)は、熊本県熊本市西区にあり標高132.2メートルである。山頂からは熊本市街が見渡せる。

概要

[編集]

JR熊本駅の北西側に位置する山で、金峰山の末端部が断層によって切り離されて形成されたと考えられている。南側には万日山があり地形的には繋がっている。

呼称

[編集]

かつては朝日山や勢高山などと呼ばれていた。979年(天元2年)に祇園神社(現在の北岡神社)が鎮座してからは祇園山と呼んだ。 さらに1869年(明治2年)には桜を植樹したことから花岡山と呼ぶようになった。

山頂近くから南側を望む

花岡山にある施設

[編集]

花岡山公園

[編集]

山頂を中心とするエリアは公園として整備されている。熊本市の特殊公園(風致公園)として1972年(昭和47年)4月1日に開設された。面積120,827m2

頂上

[編集]
仏舎利塔
世界平和の祈願をこめて建設された。1947年(昭和22年)9月21日に地鎮祭が行われ、約6年後の1953年(昭和28年)3月に完成。同年4月2日、完成後初の法要が行われた。
仏舎利インドジャワハルラール・ネルー首相から[1]、尖塔の黄金コタはスリランカコテラ・クラ首相から送られた。
  • 熊本バンド奉教之碑
当地で熊本バンドが結成されたことを記念する碑。1965年(昭和40年)に建立された。
  • 兜岩(腰掛岩とも)
兜岩
熊本城築城の際、石を切り出す指揮を執った加藤清正が、兜を脱ぎ腰掛けたといわれる岩。
  • 鐘掛松跡
加藤清正が合図の鐘を掛けたとされる松の跡。

中腹

[編集]
  • 阿蘇殿松跡
阿蘇氏当主阿蘇惟光豊臣秀吉に命じられ切腹させられた地[2]
  • 花岡山官軍墓地
神風連の乱(神風連の変)に倒れた官軍の兵を弔う墓所。西南戦争の際には薩軍の陣地となった。乃木希典の長女で夭折した乃木恒子の墓所もある[3]
  • 花岡山薩軍砲座跡
西南戦争の際に薩軍が陣を築き、砲台を設置した地。
  • 招魂祠
1869年(明治2年)に建立された幕末の志士を弔う祠。同時に桜も植えられた。

[編集]
  • 北岡自然公園
熊本市の特殊公園(風致公園)として1955年(昭和30年)4月1日に開設された。面積42,088m2
「熊本藩主細川家墓所」として国の史跡に指定されている細川家菩提寺妙解寺跡や細川家霊廟がある。
細川忠利を荼毘に付した寺。戦国武将 大友親家大友親盛の墓がある

周辺

[編集]

周辺は2018年(平成30年)までの予定で熊本駅周辺整備事業が進行中である。

公園・自然

[編集]

主な施設

[編集]

交通アクセス

[編集]

近隣の河川

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 花岡山・仏舎利塔”. 熊本県観光サイト なごみ紀行 くまもと. 10 July 2017閲覧。
  2. ^ 熊本県公式観光サイト「もっと、もーっと!くまもっと」ふるさと寺子屋No.148「花岡山を学ぶ」
  3. ^ 原田 1998, p. 34.

参考資料

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]