義州郡
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義州郡 | |
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位置 | |
各種表記 | |
ハングル: | 의주군 |
漢字: | 義州郡 |
発音: | ウィジュ=グン |
日本語読み: | ぎしゅうぐん |
ローマ字転写: | Ŭiju kun |
義州郡(ウィジュぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国北西部の鴨緑江に面した行政区画。平安北道に属する。
地理
平安北道の北西部、鴨緑江沿いに位置する。北東に朔州郡、東に天摩郡、南に枇峴郡、西南に新義州市と隣接する。鴨緑江の対岸は中国の九連城(現在は遼寧省丹東市振安区の一部)である。
歴史
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fd/Map_of_the_Battle_of_Yalu_River.jpg/250px-Map_of_the_Battle_of_Yalu_River.jpg)
現在の義州郡は1952年に成立したもので、それまでは現在の朔州郡・天摩郡・枇峴郡を含んでいた。歴史的には新義州も義州郡の一部であった。
古来より朝鮮半島の西北の関門であり、明代・清代の朝鮮王朝の使節は義州と九連城の間で鴨緑江を渡渉していた。平安道の中心の一つであり、1895年には現在の平安北道一帯を管轄する義州府が置かれ、また1907年からの一時期に平安北道の道庁も置かれた。1905年に京義線が開通し、1911年に鴨緑江に鴨緑江鉄橋が架かると、鉄道駅前に発達した新義州に地域の中心都市としての地位を譲った。
2002年4月には、鴨緑江の中洲に位置する西湖面など郡の一部が新義州特別行政区に指定された。
年表
- 1117年 - 義州防禦使が置かれる。
- 1221年 - 咸新の名で呼ばれる。のち、義州となる。
- 1269年 - 元の東寧府に属する。
- 1366年 - 義州牧に昇格。
- 1592年 - 義州府に昇格。
- 1895年 - 二十三府制による義州府が設置される。
- 1896年 - 平安北道義州郡となる(十三道制)。
- 1905年 - 京義線が開通。
- 1907年 - 平安北道観察使が寧辺から義州に移る。
- 1914年 - 新義州が新義州府になり義州郡を離脱。
- 1921年 - 平安北道庁が新義州府に移る。
- 1931年 - 義州面が義州邑に昇格。
- 1952年12月 - 義州郡の再編成が行われた(1邑20里)。
文化・観光
- 白馬山城
- 金剛寺
外部リンク
- (朝鮮語) 平安北道 (以北五道委員会)
- (朝鮮語) 中央日報北韓ネット・北韓地名辞典 義州郡