篠山町
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ささやまちょう 篠山町 | |||||
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廃止日 | 1999年4月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 篠山町、今田町、丹南町、西紀町 → 篠山市 | ||||
現在の自治体 | 丹波篠山市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 兵庫県 | ||||
郡 | 多紀郡 | ||||
市町村コード | 28661-3 | ||||
面積 | 187.1 km2 | ||||
総人口 |
22,229人 (1995年10月1日) | ||||
隣接自治体 |
三田市、丹南町、西紀町、猪名川町 京都府瑞穂町、丹波町、園部町 大阪府能勢町 | ||||
町の木 | マツ | ||||
町の花 | ササユリ | ||||
他のシンボル | なし | ||||
篠山町役場 | |||||
所在地 |
〒669-2332 兵庫県多紀郡篠山町北新町41 | ||||
外部リンク | 篠山町 | ||||
座標 | 北緯35度04分32秒 東経135度13分08秒 / 北緯35.07567度 東経135.219度座標: 北緯35度04分32秒 東経135度13分08秒 / 北緯35.07567度 東経135.219度 | ||||
ウィキプロジェクト |
篠山町(ささやまちょう)は、兵庫県中部にかつて存在した町。旧多紀郡の中枢で、江戸時代は篠山藩の城下町として栄えた。
概要
[編集]1975年3月28日城東町・多紀町を合併して、町域を拡大。その後、1999年4月1日に今田町・丹南町・西紀町の3町と合併、篠山市となったため消滅した。
地理
[編集]隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、篠山東新町・篠山西新町・篠山南新町・篠山北新町・篠山乾新町・篠山山内町・篠山河原町・篠山小川町・篠山立町・篠山呉服町・篠山二階町・篠山魚屋町・篠山西町および黒岡村の飛地の区域をもって篠山町(第1次)が発足。
- 1934年(昭和9年)6月8日 - 町章を制定。
- 1955年(昭和30年)4月20日 - 八上村・畑村・城北村・岡野村と合併し、改めて篠山町(第2次)が発足。
- 1975年(昭和50年)3月28日 - 城東町・多紀町と合併し、改めて篠山町(第3次)が発足。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 今田町・西紀町・丹南町と合併して篠山市が発足。同日篠山町廃止。
地区
[編集]- 西側は篠山地区・中側は城東地区・東側は多紀地区に分かれる
行政
[編集]歴代町長
[編集]- 安藤直紀(1889年5月就任、1年8ヶ月在任)
- 服部保平(1891年2月就任、17年7ヶ月在任)
- 森本荘三郎(1908年9月就任、2年7ヶ月在任)
- 服部雄記(1911年4月就任、4年8ヶ月在任)
- 安間房之助(1916年10月就任、4年在任)
- 古川岩太郎(1920年10月就任、19年在任)
- 昭和
- 平成
町章
[編集]- 「ささやま」を図案化し、「ささ山」で形どっているものを1934年6月8日に制定される。[2][3]その経緯は1934年3月に町の象徴を決めるために公募で募集し、同年4月11日に篠山町役場町議会会議室で当時の町長が同席し、募集した紋章の候補である18点を選考し、その中で当時大阪府大阪市に在住していた男性の作品が選ばれ、6月8日に制定された。(2位は同じく当時居住していた大阪府大阪市在住の男性・3位は当時居住していた兵庫県神戸市在住の男性)[4]
姉妹都市・提携都市
[編集]交通
[編集]町内に鉄道路線はは存在しなかった。かつて存在した日本国有鉄道篠山線の駅は、町内に存在しなかった。
道路
[編集]観光
[編集]- 篠山城
- 丹波篠山市篠山伝統的建造物群保存地区(城下町) - 合併後、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
- 丹波篠山市福住伝統的建造物群保存地区(宿場町・農村集落) - 合併後、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
- たんば田園交響ホール
出身有名人
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]- NHK情報ネットワーク『NHKふるさとデータブック6 [近畿]』日本放送協会、1992年5月1日。
- 篠山町『篠山町の栞』兵庫県多紀郡篠山町、1936年。
- ぎょうせい『篠山町例規集』兵庫県多紀郡篠山町、1936年。
外部リンク
[編集]- 篠山町ホームページ
- 兵庫県多紀郡篠山町 (28661A1968)| 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ
- 郷土事典 (篠山尋常高等小学校郷土教育研究会, 1936)