竹下亘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。58.81.137.234 (会話) による 2012年4月9日 (月) 09:45個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

日本の旗衆議院議員 竹下 亘
生年月日 (1946-11-03) 1946年11月3日(77歳)
出身地 日本の旗 島根県飯石郡掛合町(現・雲南市
出身校 慶應義塾大学経済学部
学位・資格 経済学士
前職 NHK記者
衆議院議員竹下登秘書
世襲 兄・竹下登(元首相)
選出選挙区 島根県第2区
当選回数 4回
所属党派 自由民主党
会館部屋番号 衆・第2議員会館619号室
ウェブサイト 竹下亘公式ホームページ
テンプレートを表示

竹下 亘(たけした わたる、1946年11月3日 - )は、日本政治家自由民主党衆議院議員(4期)。平成研究会事務総長。第74代内閣総理大臣竹下登の異母弟。父は竹下勇造

人物概要

島根県飯石郡掛合町(現・雲南市)出身。竹下家は300年つづいた旧家で、江戸時代には庄屋を務め、幕末から代々造り酒屋を営んでいる[1]

慶應義塾高等学校慶應義塾大学経済学部卒。日本放送協会に入局。日本放送協会時代には経済畑で活動し、『NHKモーニングワイド』や『NHK経済マガジン』などで経済リポートや解説を務めた。

日本放送協会を退職後、実兄・登の秘書を務める。2000年第42回衆議院議員総選挙では引退を表明した登に代わり、地盤を引き継いで島根県第2区から出馬し、初当選した。2009年第45回衆議院議員総選挙では自民党に猛烈な逆風が吹く中、国民新党亀井久興幹事長におよそ3万票の差をつけて小選挙区で当選し、亀井に比例復活を許さなかった(2005年第44回衆議院議員総選挙では、自民党を離党し国民新党を結党したばかりの亀井も小選挙区では竹下に敗れたが、比例区で復活当選している)。

略歴

青木幹雄との関係

自身と同じく、兄竹下登の秘書を務めた参院自民党の実力者青木幹雄とは良好な関係と見られていたが、参院津島派を率いてたびたび分派行動をとる青木に次第に反発を強めるようになる。そして、2008年の総裁選では、早々に参院を与謝野馨支持にまとめようとした青木を若手の話を聞かないと痛烈に批判、小渕優子橋本岳ら派内若手を纏め上げ、石破茂擁立の中心的存在となった。しかし2010年の第22回参議院議員通常選挙では、脳梗塞により参院選不出馬、政界引退を表明した青木幹雄に代わって出馬した長男・一彦を全面的に支援している(竹下自身も、実兄の登が選挙の直前に不出馬を表明したため急遽擁立され、当選を果たした経緯がある)。

政治歴

親族

妻は新潟県の建設会社福田組会長の二女であり、民主党幹事長小沢一郎の妻とは姉妹に当たる。また、漫画家影木栄貴、タレントDAIGO姉弟はそれぞれ大姪大甥にあたる。

脚注

  1. ^ 神一行著 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 185頁

外部リンク

公職
先代
遠藤乙彦
森山裕
日本の旗 財務副大臣
平田耕一石田真敏と共同
2008 - 2009
次代
峰崎直樹
野田佳彦