田﨑史郎

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田崎 史郎(たざき しろう、1950年6月22日[要出典] - )は、日本政治評論家時事通信社解説委員。

略歴

福井県坂井郡三国町(現坂井市[要出典]に生まれる。

福井県立藤島高等学校卒業、中央大学法学部法律学科へ入学する。大学2年時に三里塚闘争へ参加して、凶器準備集合罪逮捕のうえ13日間留置[1]される。

1973年に大学卒業後、時事通信社へ入社し経済部を経て、1975年に浦和支局への転勤するが、少数派の労働組合に所属していたことを理由にした左遷であり不当労働行為であるとして時事通信を提訴し、3年3ヶ月後に政治部に異動することで同社と和解する。1979年に政治部に配属されて大平正芳内閣総理大臣の番記者[2]になる。

新自由クラブの担当や外務省記者クラブを経て、1982年年4月から田中派を担当[3]して以来、田中派、竹下派橋本派を中心に取材する。

政治取材を続けながら時事通信社の整理部に8年勤務し、整理部長、編集局総務、解説委員を経て、2006年から時事通信社の解説委員長を務めながら、テレビ朝日報道ステーション』、フジテレビハッケン!!』『サキヨミLIVE』などに出演して政治解説[4]する。2008年に政治をテーマにしたテレビドラマCHANGE』の監修を担当[5]する。

2010年6月30日付で時事通信社を定年退職したが、引き続き解説委員として勤務する[6]。しかし、2015年6月で再雇用が終了する予定である。これによって肩書は多少変わる可能性もあるが、会社との関係は維持していきたいとの意向である[7]

小沢一郎との訣別

田中派の担当になって以来、小沢一郎とは毎晩のように呑む間柄だったが[8]、1992年1月以来小沢から一方的に遠ざけられて、取材できない状態になる[9]1993年に成立した細川内閣で最大の実力者となった小沢についてマスメディアが伝える小沢像は虚像であり、自分の知っている小沢の実像を伝えたいとの思いから、田崎は『文藝春秋』1994年10月号に「小沢一郎との訣別」と題した記事を発表した[10]

1982年自由民主党総裁選挙の際に小沢が田中派支持下の中曽根康弘を評した「担ぐ御輿は軽くてパーがいい」や小沢が自由民主党幹事長時代に海部俊樹総理を評した「海部は本当に馬鹿だな。宇野の方がよっぽどましだ」など、小沢のこれまでの数々のオフレコ発言を明かして[11]話題になる[12][13][14]。小沢サイドからは何の反応もなかったが、日本新聞協会は時事通信にオフレコを破ったことに事情説明を求めてきた[15]。時事通信はオフレコを破った田崎に対して、2週間の出勤停止とその分の給与の減額と翌年の賞与を減額する処分を下した[16]

田崎は、オフレコ破りをすることで、相手に取材出来なくなるなら、オフレコ破りはしない方がいいというスタンスであったが[17]、既に小沢からは何の通告もなく一方的に無視されて事実上の取材拒否となっており、オフレコ破りに何の障害もない状態であった。なお田崎は、小沢から取材拒否されるようになった原因について、自身の辣言を小沢が嫌ったため、小沢の政敵となった梶山静六と自身が親しくしていたため、などの推測を行っている[18]

著書

出典

  1. ^ 田崎 2009 p.255
  2. ^ 田崎 2009 pp.22-23,256
  3. ^ 田崎 2009 p.25
  4. ^ 田崎 2009 p.256
  5. ^ 田崎 2009 p.204
  6. ^ 文化通信 2010年5月31日付
  7. ^ 現代新書カフェ (2015年1月22日). “安倍内閣の「本質」を読み解いた ベテランジャーナリストが明かす 報道番組の「内幕」と定年後「再雇用」記者の意地”. 現代ビジネス. http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41774 2015年1月23日閲覧。 
  8. ^ 田崎 2009 p.138
  9. ^ 田崎 2009 p.144
  10. ^ 田崎 2009 pp.149-150
  11. ^ 田崎 2009 pp.142-143
  12. ^ 「小沢オフレコ暴露記者 タブー破りの真相」『週刊朝日』1994年9月30日号
  13. ^ ^櫻井よしこ「オピニオン縦横無尽 文春に"小沢一郎との訣別"を書いた田崎史郎氏の記者失格」『週刊ダイヤモンド』1994年9月24日号
  14. ^ 「ジャーナリストの現場から 記者クラブ制度の罪と罰 小沢一郎番記者『オフレコメモ』公開への是非」『週刊現代』1994年10月1日号。
  15. ^ 田崎 2009 p.154
  16. ^ 田崎 2009 p.151
  17. ^ 田崎 2009 p.230
  18. ^ 田崎 2009 p.148

外部リンク