コンテンツにスキップ

梨羽時起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。柴崎力栄 (会話 | 投稿記録) による 2012年5月10日 (木) 10:21個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (カテゴリ排列)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

梨羽 時起
生誕 1850年9月24日
死没 (1928-10-24) 1928年10月24日(78歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1880 - 1907
最終階級 海軍中将
テンプレートを表示

梨羽 時起(なしは ときおき、1850年9月24日嘉永3年8月19日) - 1928年10月24日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将貴族院議員男爵

経歴

長州藩士・武術指南役(1000石)有地藤馬の四男として生まれ、同藩士(683石)・梨羽景介の養子となる。小隊長として戊辰戦争に出陣した。

1871年、鉄道局二等見習となり、測量司、三等大技生、内務七等属(量地課)などを経て、1880年8月、海軍中尉に任官し「富士山艦」乗組となる。「筑波艦」乗組、「肇敏」「天龍艦」「第二丁卯艦」「筑波艦」「金剛」の各分隊長、「金剛」「筑波」「葛城」の各副長、海軍兵学校監事長、「千代田」副長などを経て、日清戦争には「赤城艦長として出征し、さらに「天城」艦長となった。

呉水雷隊司令、「海門」「葛城」「金剛」「秋津洲」「橋立」「鎮遠」「高砂」「常磐」「初瀬」の各艦長を歴任する。呉海兵団長を経て、1903年7月、海軍少将に進級。呉港務部長、常備艦隊司令官などを経て、日露戦争では第1戦隊司令官として出征。旅順港封鎖に従事中、麾下の「初瀬」・「八島」の2戦艦が触雷し沈没する被害を受けた。その後旅順口鎮守府艦隊司令官に転じている。横須賀港務部長、佐世保港務部長、馬公要港部司令官などを歴任し、1907年3月、海軍中将となる。将官会議議員を経て、1907年10月、予備役に編入された。

1907年9月、男爵の爵位を授爵し華族となり、1911年7月から1916年7月まで貴族院議員を務めた。

親族

関連項目

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。