杉本行雄

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杉本 行雄(すぎもと ゆきお、1914年大正3年)2月28日 - 2003年平成15年)9月12日)は、日本実業家古牧温泉渋沢公園、十和田観光開発十和田湖バスターミナル各元社長[1]。国立公園協会元理事[2]日本自然保護協会東北支部副支部長。旧渋沢邸(当時は三田共用会議所)を払い下げし、青森県の古牧温泉敷地内に移築したことで有名[3]

成城大学学長の杉本義行は四男[4]

経歴

静岡県田方郡伊豆町出身。杉本恒蔵・はるの五男として生まれる。1929年昭和4年)郷古潔ついで渋沢栄一書生となり、1935年(昭和10年)中央大学法科を2年で中退し、渋沢敬三秘書を経て、渋沢子爵執事を務める。1946年(昭和21年)十和田市にて製材業を経営。1951年(昭和26年)十和田観光電鉄取締役、1957年(昭和32年)4月同社社長に就任。1969年(昭和44年)10月辞任し、十和田観光開発古牧温泉渋沢公園社長として十和田湖グランドホテル、十和田湖ターミナル、奥入瀬渓流観光グランドセンター、奥入瀬渓流グランドホテル・同温泉ホテル、焼山温泉グランドホテル・同青山荘南八甲田谷地温泉及び三沢古牧温泉渋沢公園古牧グランドホテル等の総合観光事業に専念した。

1991年(平成3年)10月、東京三田の旧渋沢栄一・敬三邸の内閣六省共用会議所を大蔵省より払い下げて古牧温泉渋沢公園内に移築完成して公開した。

1952年(昭和27年)十和田商工会議所会頭に挙げられ、翌年十和田科学博物館、1961年(昭和36年)小川原湖民俗博物館を各創立・経営。

1969年(昭和44年)日本観光協会長賞、1974年(昭和49年)河北文化賞県褒章を受賞。

2003年(平成15年)9月12日未明、JR三沢駅構内で事故死(自死とも)。

なお古牧温泉は経営拡大路線に乗じて、バブル期に金融機関から40億円借金して建設した「奥入瀬渓流第二ホテル」が、投資に見合った利益が上がらず、2003年(平成15年)に杉本が死亡したことも重なり、長引く景気低迷に勝てず、2004年(平成16年)11月、民事再生法の適用を申請。経営破綻した。負債総額は古牧温泉渋沢公園が130億円、子会社の十和田観光開発が90億円[5]

人物

趣味は書道[1]。宗教は曹洞宗[1]

家族

脚注