春日錦孝嘉

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春日錦孝嘉
場所入りする春日錦関
基礎情報
四股名 春日錦 孝嘉
本名 鈴木 孝洋
愛称 スズキ
生年月日 (1975-08-22) 1975年8月22日(48歳)
出身 千葉県夷隅郡岬町
(現千葉県いすみ市
身長 188cm
体重 152kg
所属部屋 春日野部屋
得意技 突き、押し
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭5枚目
生涯戦歴 611勝581敗89休(120場所)
幕内戦歴 107勝156敗37休(20場所)
優勝 幕下優勝1回
データ
初土俵 1991年3月場所
入幕 2001年9月場所
引退 2011年1月場所
引退後 年寄:竹縄
趣味 釣り、水彩画
備考
2011年1月22日現在

春日錦 孝嘉(かすがにしき たかひろ、1975年8月22日 - )は、千葉県夷隅郡岬町(現在のいすみ市)出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 孝洋(すずき たかひろ)。愛称は本名から「スズキ」、四股名から「ニシキ関」、容貌から「梅三郎」「梅さん」(アニメ「ど根性ガエル」の登場人物にちなんで)など。身長188cm、体重152kg。血液型はB型、趣味は釣り、水彩画。社交的・温厚な性格で、ファンサービスが良い。本場所では、えんじ色の廻しを締めることが多い。得意手は突き、押し。最高位は西前頭5枚目(2003年9月場所・2004年1月場所)。

来歴

料理店の次男で、本人によれば、少年時代は荒れた時期もあったという。小学校5年生の時、のちに入門する春日野部屋を見学したのが角界入りを決意したきっかけ。直後に、学校の授業で将来の夢を発表する機会があり、「横綱になる」と宣言した。中学校時代には、兄と姉の影響で柔道をはじめたが、部活は美術部であった。現在も水彩画を嗜んでいる。中学校卒業後に元横綱・栃ノ海が率いる春日野部屋へ入門。1991年(平成3年)3月場所にて初土俵を踏んだ。初土俵の同期には、後の小結・千代天山、前頭・金開山らがいる。

幕下上位で眼底骨折のため伸び悩んだ時期もあったが、1999年(平成11年)7月場所で新十両昇進。すぐに十両に定着することはできなかったが、2001年(平成13年)9月場所で十両へ復帰した以降は十両に定着し、2002年(平成14年)9月場所にて、新入幕を果たした。

突き押しが得意だが右四つに組んでも上手く、2003年(平成15年)9月場所と2004年(平成16年)1月場所では最高位の西前頭5枚目まで番付を上げ、2006年(平成18年)1月場所でも最高位タイの西前頭5枚目で迎えた。その1月場所では、終盤の8連敗が響き4勝11敗と負け越した。翌3月場所も5勝10敗と大きく負け越し、十両に陥落してしまった。その後は幕内と十両との往復が目立つようになり、2007年(平成19年)9月場所では8度目の入幕を果たしたが、結局は2場所続けて7勝8敗と負け越して十両に陥落した。

2010年に起きた大相撲野球賭博問題では野球賭博に関わったとされ、特別調査委員会から名古屋場所での謹慎休場を勧告され、相撲協会もそれを受け入れている[1]。9月場所は幕下に陥落となり、2場所連続で負け越した。2011年(平成23年)1月場所も2勝5敗と負け越し、13日目終了後に引退することを表明した[2]。2011年1月場所千秋楽に現役引退記者会見を行い、引退後は年寄・22代竹縄を襲名し、春日野部屋付親方として後進の指導に当たることを発表していた[3]

しかし引退直後の2月4日に賭博問題の調査の過程で発覚した大相撲八百長問題八百長に関与していた力士として名前が挙がる。本人も八百長への関与を認めたため、同年4月1日に日本相撲協会から職務停止2年の処分を下された。八百長を認めなかった力士は相撲協会から引退勧告を受けているが、本人が協会の調査で八百長への関与を認めてその後の調査にも協力した結果としての処分である。本人はその処分の結果に関係なく協会を自主的に退職する意向を表明していた[4]。 2011年4月5日、日本相撲協会は22代竹縄親方の退職届を受理したと発表した[5]

主な成績・記録

通算成績

  • 通算成績:611勝581敗89休(120場所)
  • 幕内成績:107勝156敗37休
  • 幕内在位:20場所

場所別成績

                                                                            
春日錦孝嘉[6]


一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1991年
(平成3年)
x (前相撲) 西序ノ口45枚目
6–1 
西序二段100枚目
3–4 
西序二段126枚目
3–4 
東序ノ口筆頭
5–2 
1992年
(平成4年)
西序二段97枚目
5–2 
西序二段50枚目
2–5 
東序二段85枚目
4–3 
東序二段56枚目
0–0–7 
東序二段127枚目
6–1 
東序二段49枚目
3–3–1 
1993年
(平成5年)
西序二段73枚目
6–1 
東序二段6枚目
4–3 
西三段目84枚目
3–4 
東三段目98枚目
4–3 
東三段目75枚目
4–3 
西三段目56枚目
3–4 
1994年
(平成6年)
西三段目68枚目
3–4 
西三段目85枚目
4–2–1 
東三段目62枚目
4–3 
東三段目45枚目
4–3 
西三段目31枚目
0–0–7 
東三段目91枚目
5–2 
1995年
(平成7年)
西三段目55枚目
3–4 
西三段目71枚目
4–3 
西三段目52枚目
5–2 
西三段目23枚目
5–2 
西幕下59枚目
4–3 
東幕下49枚目
2–5 
1996年
(平成8年)
東三段目13枚目
7–0 
東幕下11枚目
2–5 
東幕下25枚目
4–3 
西幕下17枚目
2–5 
東幕下32枚目
2–5 
西幕下50枚目
2–5 
1997年
(平成9年)
西三段目9枚目
5–2 
東幕下51枚目
5–2 
東幕下35枚目
0–0–7 
東三段目15枚目
5–2 
西幕下51枚目
4–4 
東幕下42枚目
6–1 
1998年
(平成10年)
西幕下20枚目
3–4 
西幕下30枚目
5–2 
東幕下21枚目
6–1 
東幕下8枚目
4–3 
東幕下5枚目
3–4 
東幕下10枚目
0–0–7 
1999年
(平成11年)
東幕下10枚目
4–3 
西幕下6枚目
5–2 
西幕下3枚目
6–1 
西十両12枚目
2–13 
西幕下11枚目
1–2–4 
西幕下29枚目
3–4 
2000年
(平成12年)
西幕下35枚目
6–1 
東幕下16枚目
6–1 
西幕下4枚目
3–4 
西幕下7枚目
5–2 
東幕下2枚目
3–4 
東幕下7枚目
6–1 
2001年
(平成13年)
東幕下2枚目
5–2 
西十両10枚目
5–10 
西幕下筆頭
3–4 
東幕下4枚目
5–2 
西十両13枚目
9–6 
西十両8枚目
7–8 
2002年
(平成14年)
東十両9枚目
10–5 
西十両3枚目
6–9 
東十両6枚目
9–6 
東十両4枚目
11–4 
西前頭10枚目
5–10 
西十両筆頭
10–5 
2003年
(平成15年)
西前頭11枚目
7–8 
東前頭13枚目
6–9 
東十両筆頭
9–6 
東前頭12枚目
9–6 
西前頭5枚目
5–10 
東前頭9枚目
8–7 
2004年
(平成16年)
西前頭5枚目
4–10–1[7] 
東前頭10枚目
5–10 
東前頭14枚目
休場
0–0–15
東十両7枚目
8–7 
西十両4枚目
5–10 
東十両9枚目
10–5 
2005年
(平成17年)
東十両4枚目
10–5 
東前頭14枚目
1–3–11[8] 
東十両7枚目
7–8 
東十両8枚目
9–6 
西十両2枚目
9–6 
東前頭15枚目
9–6 
2006年
(平成18年)
西前頭5枚目
4–11 
西前頭13枚目
5–10 
東十両2枚目
7–8 
西十両2枚目
9–6 
東前頭15枚目
6–9 
東十両3枚目
9–6 
2007年
(平成19年)
東前頭13枚目
9–6 
東前頭10枚目
4–11 
西前頭16枚目
4–11 
東十両3枚目
8–7 
東前頭16枚目
7–8 
西前頭16枚目
7–8 
2008年
(平成20年)
東十両筆頭
4–11 
西十両8枚目
8–7 
東十両4枚目
6–9 
西十両6枚目
9–6 
西十両3枚目
9–6 
西前頭12枚目
2–3–10[9] 
2009年
(平成21年)
東十両6枚目
7–8 
西十両7枚目
7–8 
東十両9枚目
8–7 
西十両7枚目
9–6 
西十両筆頭
2–10–3 
東十両13枚目
9–6 
2010年
(平成22年)
東十両10枚目
6–9 
西十両13枚目
8–7 
東十両9枚目
7–8 
西十両10枚目
休場
0–0–15
西幕下10枚目
1–6 
西幕下26枚目
3–4 
2011年
(平成23年)
東幕下30枚目
引退
2–5–0
xxxxx
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

記録・珍記録

十両6枚目に在った2002年5月場所で、11日目の春ノ山戦、13日目の玉力道戦、千秋楽の駒光(後の駿傑)戦と、1場所で3つの不戦勝を得る珍しい記録を作った。彼はこの場所9勝6敗と、不戦勝の分だけ勝ち越して番付を上げ、翌々場所の9月場所での入幕へとつなげた。

人物

  • 美声で知られ、巡業や花相撲では相撲甚句を披露している。甚句は本来弓取り初っ切り同様、幕下力士が行うものだが、春日錦は甚句の巧みさを買われ、十両・幕内に昇進してからもその役割を担っていた。同じく、北桜も現役当時、幕内・十両でありながら相撲甚句を歌い、春日錦とともに唄うことも多かったが、「いつかこの巡業地へ再び戻ってくる」との約束を歌う甚句中最大の盛り上がりどころである“トリ”を務めるのは春日錦であった。なお、幕内力士でありながら甚句を歌い続けた力士には、のちに歌手になった大至がいる。 
  • 大麻不法所持で逮捕、日本相撲協会を解雇された元若ノ鵬が、解雇後に週刊誌上で「告発」を行った際、「自分(若ノ鵬)に八百長をもちかけた複数の力士」のひとりとして指摘された。春日錦本人はこの告発を強く否定していた。また若ノ鵬ものちに八百長を含めた一連の「告発」を「事実無根だった」と認め、撤回した。しかし、引退直後に発覚した大相撲八百長問題では発覚直後から関与したとみなされ、本人も協会の調査にそれを認めている。
  • インタビューなどでは折に触れて自身の妻について語ることから、「愛妻家」「おしどり夫婦」と評判である。尚、妻の父は元サッカー選手の平沢周策である。

改名歴

  • 春日錦 孝洋(かすがにしき たかひろ)1991年5月場所 - 2004年9月場所
  • 春日錦 孝嘉( - たかひろ)2004年11月場所 -2011年1月場所
    • 「上半身に比べて弱くケガをしやすい足腰がしっかりするように」との思いを込め、画数が多く、下がどっしりと安定感のある字を選んで、本名の「孝洋」から、同じ読みのまま「孝嘉」の字に改名した。

年寄変遷

  • 竹縄 孝嘉(たけなわ たかひろ) 2011年1月23日-4月5日

関連項目

脚注

  1. ^ 朝日新聞 2010年6月29日
  2. ^ 元幕内春日錦が引退=元十両柳川も-大相撲 - 時事ドットコム、2011年1月21日
  3. ^ 「20年は一瞬のよう」春日錦が引退、竹縄を襲名 スポーツニッポン 2011年1月23日閲覧
  4. ^ 朝日新聞 2011年4月2日
  5. ^ 八百長関与で22人が引退、退職へ サンケイスポーツ 2011年4月5日
  6. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年6月7日閲覧。
  7. ^ 腰部打撲及び左座骨神経痛のため千秋楽を休場
  8. ^ 右上腕二頭筋長頭筋腱断裂のため5日目から途中休場
  9. ^ 左足関節捻挫のため6日目から途中休場

外部リンク