新潟県競馬組合
新潟県競馬組合(にいがたけん けいばくみあい)は新潟県および新潟市、三条市、豊栄市(現在の新潟市北区)による一部事務組合である。新潟競馬場、三条競馬場において地方競馬を開催する目的で1965年に設立されている。2002年解散。
概要
戦後の新潟県では公営競馬(地方競馬)として新潟競馬場、三条競馬場において新潟県、新潟市、長岡市、三条市(当初は南蒲原郡大島村)の4自治体が単独で競馬を開催していたが、1965年に新潟競馬場が新潟市関屋(現在の新潟市西区)から豊栄市に移転したことを受けて同年8月1日に4自治体による一部事務組合が結成された。競馬場移転を受けて競馬開催権を得た豊栄市も翌2日に加入し、その後は戦災による特例の開催権を得ていた長岡市が脱退。長らく「新潟県競馬」の愛称で競馬を開催していたが、業績不振のため2002年に両競馬場の開催を廃止、組合も解散となった。 ただし、新潟競馬場のNiLS 21スタンドの業務区域の一部には、いまだ「新潟県競馬組合」の文字が残ったままのドアなどが依然として存在している。
なお旧新潟競馬場(関屋競馬場)は戦前は日本競馬会による公認競馬が開催されていた。戦後は日本競馬会の後身である日本中央競馬会(中央競馬を主催)の所有であったが開催は行われていない。関屋分水の工事に伴い競馬場移転を余儀なくされた新潟県は、日本中央競馬会に対して旧競馬場の用地と等価交換する形で豊栄市に新競馬場を建設している。新競馬場では日本中央競馬会も競馬開催を再開、こちらは現在も開催されている。 当時、実況は耳目社の増田勝美、及川暁、古川浩(いずれも当時)などが担当していた。
主な競走
- 朱鷺大賞典 - 2000年に新潟県競馬で唯一のダートグレード競走(GIII)となったが、ダートグレード競走としては2回限り。
- 新潟グランプリ - 新潟県競馬の有馬記念相当の競走。
- 新潟ダービー - ダービー相当の競走。
- 新潟アラブ優駿 - アラブ系によるダービー。
主な所属馬・出身馬
- ロバリーハート - 中央競馬では未勝利だったが新潟勢で唯一のダートグレード競走(1998年群馬記念)を優勝。
- グレートローマン - 新潟では無敵を誇り後に愛知に移籍。岩手出身のカウンテスアップと好勝負を繰り広げた。
- オーディン - 中央からの移籍後新潟で花開き、平安ステークスでは2着と健闘した。白い馬体で引退後は誘導馬に。
- チェイスチェイス - 中央→新潟→南関東→北海道と渡り歩いた。新潟では東北サラブレッド大賞典を優勝。
- ウットマン - 同馬も全国各地を転戦したが新潟出身。笠松時代に全日本サラブレッドカップを優勝。
- スノーエンデバー - 新潟出身。中央移籍後ダートグレード競走を5勝した。ジャパンカップに出走。
- スノージェット - 新潟出身。中央移籍後小倉記念を優勝。晩年は再び新潟で走った。
- オールダッシュ - 新潟出身。中央移籍後3勝を挙げた他新潟記念、オールカマー、関屋記念で2着。
- キングトップラン - アラブの名馬。引退後は記念重賞競走も行われた。
- ハイテンションパル - 新潟所属では唯一NARグランプリに表彰された(1998年の最優秀3歳馬[1])競走馬。
活躍した騎手
- 大澤瀞司 組合設立初期の昭和42年から昭和47年まで、6年連続リーディング。
- 渡辺正治 昭和49年から平成2年までの間でリーディング13回。通算、2945勝。
- 向山牧 現、笠松所属。平成3年から廃止の年までリーディング9回。ロバリーハートで群馬記念を制覇。
- 酒井忍 現、川崎所属。
- 山田信大 2015年3月、騎手引退。現、船橋調教師。
脚注
- ^ 旧表記。現行表記だと2歳。
参考文献
- 『地方競馬史』第一巻 地方競馬全国協会 1972年
- 『地方競馬史』第二巻 地方競馬全国協会 1974年