新庄橋 (広島市)
新庄橋 | |
---|---|
下流より | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 広島県広島市 |
交差物件 | 太田川水系太田川(太田川放水路) |
座標 |
左岸:西区大宮、右岸:安佐南区長束 北緯34度25分27.09秒 東経132度27分20.56秒 / 北緯34.4241917度 東経132.4557111度座標: 北緯34度25分27.09秒 東経132度27分20.56秒 / 北緯34.4241917度 東経132.4557111度 |
構造諸元 | |
形式 | 7径間鈑桁橋 |
材料 | 上部工:鋼橋;下部工:RC構造;基礎工:? |
全長 | 276m |
幅 | 6m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
新庄橋(しんじょうばし)は、広島県広島市の太田川(太田川放水路)に架かる道路橋。
概要
広島県道277号古市広島線筋の橋。元々は出雲石見街道、その後二級国道183号広島米子線(現国道183号)と国道54号が通る橋で、放水路改修工事に伴い現在のものとなった。
上流に国道183号(旧・国道54号)筋の祇園大橋、下流に広島市道三篠三滝線筋の三滝橋がある。
南詰から少し南下するとJR横川駅にたどり着く。北詰に放水路工事に伴い移設された「新庄一里塚跡」(広島城下から北1里)、広島市立長束小学校がある。少し北へ進むとJR安芸長束駅にたどり着く。
諸元
- 路線名 - 広島県道277号古市広島線
- 橋長 - 276m
- 支間 - 33.25m+32.75m+45.00m+54.00m+45.00m+32.75m+33.25m
- 幅員 - 6m
- 上部工 - 2径間連続鈑桁橋、3径間連続鈑桁橋、2径間連続鈑桁橋
- 下部工 - RC逆T式橋台2基、RC壁式橋脚6基
歴史
最初の架橋年度は不明、雲石街道筋の橋として安川(昔はここより下流の三滝町あたりまでが安川だった)に架橋された。位置は現橋の少し下流側付近にあたる。
1909年(明治42年)に大日本軌道広島支社線(現在の可部線)が開通、現橋下流側中ほどあたりに「新庄橋停留場」が作られる。その後太田川放水路の建設が決定し、1934年(昭和9年)放水路工事が着工、これに伴い1943年(昭和18年)10月に新庄橋駅は休止した[要出典]。
1945年(昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下の際には、爆心地から遠かったため被爆せず被害はなかった。しかし横川からの道路は倒壊物で埋まっていて通行不能状態であったため、この橋を渡り北へ避難するものは、安川の土手に回ってくるしかなかった。この橋まで来て安心したのかひとまず休息を取るものが多く、そのまま二度と動けないものもいた。
戦後、太田川放水路工事が続行、この付近の安川は拡幅され現在の放水路となり、これに伴い1963年(昭和38年)10月にこの橋も現在の位置に架橋された。また、1953年(昭和28年)に一時二級国道広島米子線、1963年(昭和38年)には一時国道54号の橋となっていたが、上流に祇園大橋が架橋され1965年(昭和40年)国道はそちらへ移り、ここは県道古市広島線となった。1971年(昭和46年)に拡幅工事を行っている。
参考文献
- 太田川放水路フォトで川くだり - 西区ファイル
- 太田川放水路 - (社)中国建設弘済会
- 出雲石見街道を行く
- 広島原爆戦災誌 第二巻第二編 (PDF) - 広島市