川上紀一
川上紀一 かわかみ きいち | |
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生年月日 | 1922年12月21日 |
出生地 | 千葉県安房郡富浦町(現南房総市) |
没年月日 | 2009年8月14日(89歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部政治学科(現東京大学法学部政治学科) |
前職 |
国家公務員(内務省) 千葉県副知事 |
所属政党 | 無所属 |
公選第9・10代 千葉県知事 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1975年4月17日 - 1981年2月27日 |
川上 紀一(かわかみ きいち、1919年10月30日 - 2009年8月14日)は、日本の政治家、内務官僚。千葉県知事(公選第9・10代)。
概要
千葉県安房郡富浦町(現南房総市)生まれ。出生時の姓は羽山であり、後年市川市の川上家へ婿入りして以降は川上姓を名乗る。1944年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、内務省に入省した。その後千葉県警察本部を経て、第二次世界大戦後の1948年から千葉県庁に勤務する。31歳で地方課長に抜擢され、1962年には千葉県総務部長に就任。1964年、当時の友納武人千葉県知事の下で副知事に任命された。
1974年、川上は自由民主党の協力を受け、現職の友納知事を翌年の千葉県知事選に立候補させず、自身の知事選出馬を画策。その際、支援を要請した都内の不動産業者から5,000万円の献金を受けた際、「当選の暁には弊社の千葉県における事業発展に協力を惜しまない」旨が記された念書を交わした。翌1975年、千葉県知事選挙に無所属(自民党推薦)で出馬し、初当選を果たす。知事在任中は1978年に新東京国際空港の開港を実現させたほか、東京ディズニーランドの建設をめぐるオリエンタルランド及び同社の親会社である三井不動産の間の対立に際しては、オリエンタルランドの高橋政知社長を支援して三井不動産側に譲歩を迫り、その結果、東京ディズニーランドの浦安町(当時)への誘致を実現させた。1979年、千葉県知事に再選。
しかし1981年1月、知事選出馬前の5,000万円の献金及び念書の存在が発覚し、同年2月16日、千葉県知事を辞任に追い込まれた(川上五千万円念書事件)。知事辞任後の1983年、第37回衆議院議員総選挙に故郷のある旧千葉県第3区からの出馬を表明する。しかし、旧千葉3区は定数5議席のうち4議席を自民党が占めており、残る1議席も獲得すべく、ラスベガス賭博事件で一時逼塞を余儀なくされていた浜田幸一が5人目の公認を得たため、川上は自民党の公認を受けられず、無所属で出馬。最下位当選の中村正三郎に5,000票差にまで迫ったものの、得票数7位で落選した(ただし自民党も5議席独占には失敗した)。落選後は73歳になるまで、大東文化大学で教鞭を執っていた。
2009年8月14日、肺炎により死去。
関連項目