少将
少将(しょうしょう)はもともとは律令制における官位の一つ。転じて軍隊の階級の一。 将官に区分され、中将の下、大佐または准将の上に位置する。 北大西洋条約機構の階級符号(NATO階級符号)では、OF-7に相当する。
将官のなかでは、最下級、又は准将がある場合には下から2番目の階級となる。 英呼称は、陸軍:major general(メイジャー ジェネラル)、海軍:rear admiral(リア アドミラル)。
海軍少将以上は、軍艦に乗艦すると将官旗を掲げる。
日本
律令制における少将
旧日本軍
1869年(明治2年)に軍務官が兵部省となった際に陸軍少将と海軍少将が設けられ、翌年の明治3年9月18日太政官布達第604号で兵部省に設けられた陸海軍大将から陸海軍權曹長までの11等級の3番目に位置した。これらは四等官に倣って官位と分掌事務がセットとなった職員の等級であったが、明治6年5月8日太政官布達第154号による官等表改正で軍人の階級呼称として引き続き用いられ、西欧近代軍の階級呼称の序列に当てはめられることとなった。
大日本帝国陸軍では主に旅団長や陸軍省局長・参謀本部部長等を務めた。少将以上の階級章は金地に金星の個数で階級を表す事から、「べた金」と俗称され後には将官そのものを指すようになった。兵科の少将以上には兵科区分がなかった。陸上自衛隊でも陸将補以上は職種に分類されない。
大日本帝国海軍では主に海軍省局長、艦隊参謀長、戦隊司令官等を務めた。
- 当初は直接戦闘を指揮する提督のみ海軍少将とされた。
- 1906年(明治39年)に海軍機関総監を海軍機関中将・海軍機関少将と改称する。
- 1924年(大正13年)に海軍少将(兵科将校)と海軍機関少将(機関科将校)とが海軍少将に統合される(少将以上のみ)。
大日本帝国陸海軍の少将並びに同相当官は高等官二等相当とされ、勲四等乃至二等に叙せられ、武功著しい場合は功三級乃至一級の功級に叙せられ金鵄勲章を授与された[1]。
自衛隊
自衛隊では陸将補・海将補・空将補(将補)にあたる。 陸将補及び空将補はMajor Generalと、海将補はRear Admiral(この語源については単縦陣参照。)と訳されており、これは一般に少将と訳されるものである。将補以上の昇任・補職及び退職は防衛大臣が内閣総理大臣に上申し、政府閣議を経ることで発令される。
- 将補は、役職に応じて以下の2種類に分類される(以下は陸上自衛隊における区分)
- 海将補は自衛艦隊司令部及び地方総監部幕僚長、護衛艦隊司令部幕僚長、群司令、基地隊司令等
- 空将補は航空総隊司令部幕僚長、同防衛部長、航空支援集団副司令官、航空教育集団司令部幕僚長、航空団司令、術科学校長等
Aグループ(防衛大学校(B)・一般大学(U)卒)の一選抜は1佐昇任から6年で、B幹部は各期毎陸自4名、海自・空自各2名の計8名が昇任する(総員6名のうち1名が将補をもって充てられる米国防衛駐在官に補職された場合を除く)。なお女性自衛官の最高階級は2011年8月現在まで将補3名となっている(下表参照)。現行の叙勲制度において、将補を最終階級として退官した場合は瑞宝小綬章(旧勲四等瑞宝章)が授与される傾向にある。
氏名 | 所属組織 | 昇任日 | 主な要職[2] | 備考 |
---|---|---|---|---|
佐伯光 | 海上自衛隊 | 2001年(平成13年)3月27日 | 自衛隊舞鶴・佐世保病院長(1佐職) | 医官 |
梶田ミチ子 | 航空自衛隊 | 2007年(平成19年)12月3日 | 航空教育隊第2教育群司令(1佐職) | 離職時特別昇任(営門将補[3]) |
柏原敬子 | 2011年(平成23年)8月5日 | 航空自衛隊第3術科学校長兼芦屋基地司令 |
アメリカ合衆国
イギリス
ドイツ
脚注
- ^ 岩倉規夫、藤樫準二 『日本の勲章-日本の表彰制度-』 第一法規出版、1965年1月。
- ^ 過去に占めた官職のうち、最高位のものを記載(防衛省が公表する1佐以上の自衛官再就職状況の公表資料に準拠)
- ^ 営門将補は1佐としての勤務期間が10年以上、かつ、1佐(一)または(二)の官職を占めたことがある者を基準として選考される(ただし退職金は昇任前の階級で計算されるため、特別昇任は長年の組織への貢献に対する報償的扱いに留まっている。平成16年度以前は昇任後の階級・号俸で退職金を計算して支給していた(いわゆる「離職時特別昇給」)が昇任後の階級における勤務日数が退職日当日のみであるにもかかわらず、既に他省庁においては廃止されていた同制度を依然として運用していたことが発覚。国庫の浪費にあたるとして財務省及び人事院の勧告を受けたことから廃止となった)