小川誠一
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名前 | ||||||
愛称 | セーイチ | |||||
カタカナ | オガワ セイイチ | |||||
ラテン文字 | OGAWA Seiichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1970年7月21日(53歳) | |||||
出身地 | 千葉県千葉市 | |||||
身長 | 170cm[1] | |||||
体重 | 65kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF、FW | |||||
利き足 | 左 | |||||
ユース | ||||||
1986-1989 | 市立船橋高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1989-1992 | トヨタ自動車 | 47 | (1) | |||
1992-2000 | 名古屋グランパスエイト | 170 | (3) | |||
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小川 誠一(おがわ せいいち、1970年7月21日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。1990年代の名古屋グランパスエイトの主力左サイドバック。
略歴[編集]
船橋市立船橋高等学校ではインターハイ2連覇、高校選手権でも準優勝を経験するなど、初期の黄金時代を築く主役として活躍した。高校1年生からレギュラーで出場しており、当時は野口幸司(ベルマーレ平塚など)、曽我豊明(水戸ホーリーホックなど)と小川の3人が市船の将来を託された選手であった。特に市船の売りである「鉄壁のディフェンス」は、小川が2年生のときは完成しており、高校2年生のときは新井二朗(日立、フジタなど)とディフェンスラインを組んだ高校総体インターハイ(北海道開催)では、初出場初優勝を飾っている。当時、高校最強チームと言われた長崎県立国見高等学校に2対1で勝利している。その年度の高校選手権ではベスト8で神奈川県代表の神奈川県立旭高等学校と戦い、後半残り10分で市船得意のセットプレーで得点を挙げている。この時の得点者が、小川である。この時のセットプレーは当時キャプテンの安達亮(横浜フリューゲルスなど)のブロックサインにより、ショートコーナーを決めたものである(ブロックサインはその後、盛んにいろいろなチームで取り入れられた)。しかし、チームは初のベスト4で敗れた。
高校卒業後、1989年にトヨタ自動車に加入し、コニカカップ優勝などに貢献。トヨタ時代の選手登録はフォワードであったが、左サイドバックとして期待された若手であった[2]。機を見た攻撃参加と精度の高いクロスで活躍した[3]。名古屋在籍中に第75回(1995年度)第79回(1999年度)で2回の天皇杯優勝を経験しているが、2つの決勝では共に左サイドバックの先発で出場した。引退後は名古屋グランパスエイトの普及部コーチを務め、2009年よりユースチーム(U-18)監督。
所属クラブ[編集]
- 宮野木小学校
- 緑が丘中学校
- 1986年-1989年 船橋市立船橋高等学校
- 1989年-2000年 トヨタ自動車/名古屋グランパスエイト
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1989-90 | トヨタ | JSL2部 | 21 | 0 | 3 | 0 | - | 24 | 0 | ||
1990-91 | 20 | JSL1部 | 9 | 0 | 2 | 0 | |||||
1991-92 | 17 | 1 | 0 | 0 | |||||||
1992 | 名古屋 | - | J | - | 10 | 0 | 1 | 0 | 11 | 0 | |
1993 | 32 | 1 | 5 | 0 | 3 | 0 | 40 | 1 | |||
1994 | 24 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 26 | 0 | |||
1995 | 33 | 0 | - | 5 | 0 | 38 | 0 | ||||
1996 | 26 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | 36 | 0 | |||
1997 | 2 | 27 | 1 | 7 | 0 | 0 | 0 | 34 | 1 | ||
1998 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1999 | J1 | 11 | 1 | 1 | 0 | 5 | 0 | 17 | 1 | ||
2000 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 170 | 3 | 33 | 0 | 16 | 0 | 219 | 3 | |
日本 | JSL1部 | 26 | 1 | 2 | 0 | ||||||
日本 | JSL2部 | 21 | 0 | 3 | 0 | - | 24 | 0 | |||
総通算 | 217 | 4 | 38 | 0 |
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 3試合0得点
- 1991年
- コニカカップ 6試合1得点
- 1992年
- ゼロックス・チャンピオンズ・カップ 2試合0得点
- 1996年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2000年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
経歴[編集]
- Jリーグ初出場:1993年5月16日 対鹿島アントラーズ戦(カシマ)
- Jリーグ初得点:1993年8月19日 対ヴェルディ川崎戦(国立)
- JSL(1部)初出場:1990年10月28日 対全日空戦(トヨタ自動車東富士球技場)
- JSL(1部)初得点:1992年2月23日 対マツダ戦(維新百年公園陸上競技場)
- JSL(2部)初出場:1989年8月13日 対帝人戦(東予運動公園球技場)
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998 ISBN 4-09-102335-5
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-101-4
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-103-0
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 小川誠一 - WorldFootball.net (英語)
- 小川誠一 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 小川誠一 - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- 小川誠一 - J.League Data Siteによる選手データ