天田ヒロミ

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天田 ヒロミ
基本情報
本名 天田 広美
通称 JAPANの特攻隊長
身長 185cm
体重 105kg
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1973-05-10) 1973年5月10日(50歳)
出身地 群馬県群馬郡群馬町(現・高崎市
スタイル ボクシング
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天田 ヒロミ(あまだ ひろみ、男性、1973年5月10日 - )は、日本キックボクサー。本名は天田 広美群馬県群馬郡群馬町(現・高崎市)出身。デジタルスピリッツ所属。家族は妻と2男。

アマチュアボクシング(ライトミドル級)出身で、パンチを主体とした戦いをする。

来歴

10代の頃は暴走族に所属していたが、前橋育英高校アマチュアボクシングと出会い更生(暴走族所属時代の写真が、天田の紹介VTRで必ずと言っていい程公開される)。高校時代には国体で優勝しており、中央大学ではボクシング部の主将を務めた。全日本アマチュアボクシング選手権大会でライトミドル級の常連、1993年伊藤辰史にRSC勝ちし1996年優勝。大学卒業前にK-1からスカウトされ、プロ格闘家となる。

K-1に参戦した当初は、体重も軽かったため、なかなか結果を出せなかった。

2000年にはK-1 JAPAN GPで準優勝。世界の壁の厚さに苦しみながらもK-1 JAPANの期待の選手と成長。

2003年11月3日、新日本プロレス柴田勝頼とK-1ルールで対戦。1R早々にダウンを喫するも、その後猛攻を加えて、KO勝利を収めた。

2004年のK-1 JAPAN GP 2004では優勝を果たすも、2005年のJAPAN GPは肋骨骨折により1回戦敗退。

2006年7月30日、K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPOROでは、ハリッド"ディ・ファウスト"と対戦予定だったがハリッドが負傷したため対戦相手がフレディ・ケマイヨに変更。そのケマイヨに判定勝ち。

2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでは札幌大会で対戦予定だったハリッド"ディ・ファウスト"との対戦が決定するも、来日してから高熱が続いたため、ドクターストップ。対戦相手がグーカン・サキに変更される。試合は、サキの執拗なまでのローキックで2R終盤にスタンディングダウン、終了時にその場に倒れ込み、何とかコーナーに戻るもタオルが投入されTKO負け。

2007年5月に放映されたテレビ朝日系「GET SPORTS」の密着取材により、一度引退を決意し、2005年に格闘家活動続行にも理解のある不動産会社に就職していたが、2007年に経営悪化により半ば倒産状態になり社員契約解除となった。今後も現役選手を続けながら将来的にトレーナーを目指す意向とのことで、活動に理解のある再就職先を探しながらの格闘技活動であることが初めて公にされた。

2007年6月23日、K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMでヨーロッパ・トーナメントに参戦。1回戦でポール・スロウィンスキーと対戦し、左ローキックでKO負け。

2007年10月25日午前3時半頃、東京都荒川区にて、アルバイト先から自転車で帰宅中、車道を並走のトラックに幅寄せされたと思い、信号待ちの際に注意。しかし応答がなく無視されたと思い、立腹して運転手を殴打。傷害容疑で書類送検された。本人は酩酊状態であった。のちに被害者との示談が成立し、K-1からは出場停止処分を受けた[1]

2008年3月9日、新日本キックボクシング協会「MAGNUM 16」でスウィーン・カーオ(タイ)の代わりにルスラン・カラエフと対戦。3Rに右膝蹴りでKO負け。計5回のダウンを奪われた。出場発表されたのが、大会の休憩時間中という緊急参戦であった。

2008年12月14日、初参戦となったHEATでこの日より開幕したキックルール ヘビー級トーナメントに出場。1回戦でプリンス・アリと対戦し、タオル投入によるTKO勝ち。

2009年3月28日、HEAT 9のトーナメント準決勝でムーン・ボーラムと対戦し、判定勝ち。

2009年7月18日、HEAT 10のトーナメント決勝で上原誠と対戦し、判定勝ちを収めHEATキックルール ヘビー級王座を獲得した。

2010年1月17日、新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 13」で内田ノボルの引退試合(2分1Rのエキシビションマッチ)の相手を務めた[2]

2010年7月18日、HEAT 14で行なわれたHEATキックルール ヘビー級タイトルマッチでムーン・ボーラムと対戦し、1RTKO勝ちで王座の初防衛に成功した。当初は富平辰文との防衛戦が予定されていたが、富平の負傷欠場により対戦相手が変更された[3]

2010年8月25日、BOXFIGHT旗揚げ戦のメインイベントでプロボクサー経験者の須藤信充と対戦し、右フックでKO勝ちを収めた[4]

2010年12月1日、Fujiwara Festival 〜藤原祭り2010〜のWPMF日本ヘビー級王座決定戦でKOICHIと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得ならず[5]

2011年3月13日、HEAT17で行なわれたHEATキックルール ヘビー級タイトルマッチで富平辰文と対戦し、序盤からパンチでペースを握りローキックをきかされるも手を休めず攻め続け2-0の判定勝ちを収め防衛に成功した[6]

戦績

キックボクシング

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
アレックス・ロバーツ 3R終了 判定0-1 新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS X」 2011年9月4日
高萩ツトム 3R終了 判定2-0 RISE 80 2011年7月23日
富平辰文 3R終了 判定2-0 HEAT 17
【HEATキックルール ヘビー級タイトルマッチ】
2011年3月13日
マグナム酒井 3R+延長R終了 判定3-0 マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟「BREAK-8 〜士道館新春興行〜」 2011年1月15日
× KOICHI 5R終了 判定0-3 Fujiwara Festival 〜藤原祭り2010〜
【WPMF日本ヘビー級王座決定戦】
2010年12月1日
ムーン・ボーラム 1R 1:43 TKO(レフェリーストップ) HEAT 14
【HEATキックルール ヘビー級タイトルマッチ】
2010年7月18日
松本哉朗 2R 0:24 KO(左フック) TITANS NEOS VII 2010年4月18日
2R 2:08 TKO(3ノックダウン) HEAT 13 2010年3月14日
エメカ・ザ・ブラックサムライ 3R終了 判定3-0 HEAT 11 2009年9月26日
上原誠 3R終了 判定3-0 HEAT 10
【HEATキックルール ヘビー級トーナメント 決勝】
2009年7月18日
ムーン・ボーラム 3R終了 判定2-0 HEAT 9
【HEATキックルール ヘビー級トーナメント 準決勝】
2009年3月28日
プリンス・アリ 3R 2:32 TKO(タオル投入:右ストレート) HEAT 8
【HEATキックルール ヘビー級トーナメント 1回戦】
2008年12月14日
ゲーリー・グッドリッジ 3R終了 判定3-0 日韓親善国際格闘技大会 GLADIATOR
【K-1ルール】
2008年8月16日
× ルスラン・カラエフ 3R 2:06 KO(3ノックダウン:右膝蹴り) 新日本キックボクシング協会「MAGNUM 16」 2008年3月9日
× ポール・スロウィンスキー 1R 1:50 KO(左ローキック) K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM
【EUROPE GP 1回戦】
2007年6月23日
ウイル・リーバ 3R終了 判定3-0 新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS」 2007年4月22日
× グーカン・サキ 2R終了時 TKO(タオル投入) K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA 2007年3月4日
フレディ・ケマイヨ 3分3R終了 判定2-0 K-1 REVENGE 2006
K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO
〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜
2006年7月30日
ガオグライ・ゲーンノラシン 3R終了 判定0-0 新日本キックボクシング協会「TITANS 3rd」 2006年4月28日
× 富平辰文 延長R終了 判定1-2 K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA
【JAPAN GP 1回戦】
2005年6月14日
× ジェロム・レ・バンナ 2R 1:03 KO(左ローキック) K-1 WORLD GP 2004 決勝戦
【リザーブファイト】
2004年12月4日
× レイ・セフォー 3分3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦
【1回戦】
2004年9月25日
ノブ・ハヤシ 3分3R終了 判定3-0 K-1 BEAST 2004 in SHIZUOKA 〜JAPAN GP 決勝トーナメント〜
【JAPAN GP 決勝】
2004年6月26日
富平辰文 3R 0:58 KO(2ノックダウン:右ストレート) K-1 BEAST 2004 in SHIZUOKA 〜JAPAN GP 決勝トーナメント〜
【JAPAN GP 準決勝】
2004年6月26日
内田ノボル 3分3R終了 判定2-0 K-1 BEAST 2004 in SHIZUOKA 〜JAPAN GP 決勝トーナメント〜
【JAPAN GP 1回戦】
2004年6月26日
バタービーン 3分3R終了 判定3-0 K-1 BEAST 2004 〜新潟初上陸〜 2004年3月14日
キモ 2R 2:06 KO(3ノックダウン:左フック) K-1 BURNING 2004 〜沖縄初上陸〜 2004年2月15日
柴田勝頼 2R 2:08 KO(膝蹴り) 新日本プロレス YOKOHAMA DEAD OUT
【K-1ルール】
2003年11月3日
× 藤本祐介 3分3R終了 判定0-3 K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 準決勝】
2003年9月21日
中迫剛 3分3R+延長R終了 判定3-0 K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 1回戦】
2003年9月21日
TSUYOSHI 3分3R終了 判定2-0 K-1 BEAST II 2003
【K-1 JAPAN GP 2003 出場決定戦】
2003年6月29日
トム・エリクソン 4R 1:14 KO(右フック) K-1 BEAST 2003 〜山形初上陸〜 2003年4月6日
× 武蔵 延長R終了 判定0-2 K-1 ANDY SPIRITS 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 1回戦】
2002年9月22日
タケル 1R 1:52 KO(3ノックダウン:パンチ連打) K-1 BURNING 2002 〜広島初上陸〜
【K-1 JAPAN GP 2002 出場決定戦】
2002年4月21日
× ジェロム・レ・バンナ 1R 1:42 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA 2002年3月3日
レネ・ローゼ 1R 1:25 KO(パンチ連打) K-1 RISING 2002 〜静岡初上陸〜 2002年1月27日
× マーク・ハント 1R 2:52 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2001 in MELBOURNE
【OCEANIA GP 1回戦】
2001年6月16日
× マイク・ベルナルド 4R 1:32 TKO(タオル投入) K-1 RISING 2001 〜四国初上陸〜 2001年1月30日
大石亨 3分5R終了 判定0-1 K-1 J・MAX 2000年11月1日
× ミルコ・クロコップ 3分3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA
【準決勝】
2000年10月9日
トーマス・クチャゼウスキー 1R 1:48 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA
【1回戦】
2000年10月9日
× 武蔵 3分3R終了 判定0-3 K-1 SPIRITS 2000
【JAPAN GP 2000 決勝】
2000年7月7日
滕軍 3分3R終了 判定3-0 K-1 SPIRITS 2000
【JAPAN GP 2000 準決勝】
2000年7月7日
鈴木政司 3R 2:17 TKO(レフェリーストップ) K-1 SPIRITS 2000
【JAPAN GP 2000 2回戦】
2000年7月7日
宮本正明 1R 2:19 KO(右脛骨折) K-1 SURVIVAL 2000
【JAPAN GP 2000 1回戦】
2000年5月28日
× ミルコ・クロコップ 4R 2:51 KO(左ストレート) K-1 BURNING 2000 2000年3月19日
ノブ・ハヤシ 3R 0:50 TKO(左まぶたのカット) K-1 RISING 2000 2000年1月25日
× アンディ・フグ 1R 1:51 KO
(3ノックダウン:右後ろ回し蹴り)
K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦
【1回戦】
1999年10月3日
× 武蔵 3分3R終了 判定0-3 K-1 SPIRITS '99
【K-1 JAPAN GP '99 準決勝】
1999年8月22日
滕軍 3分2R終了 判定2-0 K-1 SPIRITS '99
【K-1 JAPAN GP '99 2回戦】
1999年8月22日
滝川リョウ 1R 2:06 KO(2ノックダウン) K-1 SPIRITS '99
【K-1 JAPAN GP '99 1回戦】
1999年8月22日
クリス・バラード 1R TKO THE NIGHT OF GRADIATORS 〜KING OF THE RING〜(クロアチア) 1999年7月10日
サイモン・ドール 3R 1:55 TKO(戦意喪失) K-1 SURVIVAL '99 1999年6月6日
ジョン・ワイアット 3分5R終了 判定3-0 K-1 THE CHALLENGE '99 1999年3月22日

ボクシング

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
須藤信充 2R 1:36 KO(右フック) BOXFIGHT旗揚げ戦 〜Firstimpact〜 2010年8月25日

主な獲得タイトル

  • HEATキックルール ヘビー級王座
  • K-1 JAPAN GP 2000 準優勝
  • K-1 JAPAN GP 2004 優勝

ファイトスタイル

  • K-1参戦初期は、ボクシングスタイルに固執し「キックはいらない」というコメントをしていたが、伊原道場でトレーニングを積み、キックも繰り出すようになった。

人物

  • 夫人の影響で、大の阪神タイガースファンとしても知られる。
  • 夫人の名前もヒロミであるため、夫婦揃って天田ヒロミである。
  • 双子の父親。

エピソード

脚注

関連項目

外部リンク