佐々木正洋 (1954年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。114.134.137.220 (会話) による 2016年3月3日 (木) 10:57個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎来歴・人物)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ささき まさひろ
佐々木 正洋
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 福岡県北九州市
生年月日 (1954-07-17) 1954年7月17日(69歳)
血液型 B型
最終学歴 福岡県立小倉高等学校
慶應義塾大学法学部
職歴 テレビ朝日アナウンス部
1977年 - 2012年
活動期間 1977年 -
ジャンル 報道・情報・スポーツ系
公式サイト 佐々木正洋プロフィール
出演番組・活動
出演経歴ワールドプロレスリング
邦子がタッチ
ワイド!スクランブル」(夕刊キャッチUP)
サンデースクランブル

佐々木 正洋ささき まさひろ1954年7月17日 - )とは、日本のフリーアナウンサー、タレント。元テレビ朝日アナウンサー左利き

来歴・人物

福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高等学校慶應義塾大学法学部卒業後の1977年、テレビ朝日(当時:全国朝日放送)にアナウンサーとして入社した。慶應義塾大学では落語研究会の部長として活躍。妻は元フジテレビアナウンサー古賀万紀子。元NHKアナウンサーの宮本隆治とは中学校から大学まで出身校が全て同じであり、佐々木は宮本の4期後輩である。また、「3年B組金八先生」乾友彦役でお馴染みの俳優森田順平は高校の同級生である。

ニュースワイドショースポーツ番組と一通り実況とレポートをこなすが、1990年新日本プロレスの東京ドーム大会の際、『ワールドプロレスリング』の選手控え室レポートにおいて、試合前のアントニオ猪木(当時、参議院議員)に対し、「もし負けるということがあると、これは『勝負は時の運』という言葉で済まないことになりますが」と質問したため、激怒した猪木に「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」と強烈な張り手を受けて、「出てけ! コラ!」と追い出された。今でこそ、猪木の張り手・ビンタは活を入れてもらうための儀式として素人が求めることも多いが、公の場でこれを受けた素人は佐々木が初めてである。翌日、病院で検査したところ重度のムチウチと診断され、入院する羽目になった。

1996年から2012年まで『ワイド!スクランブル』の新聞記事紹介コーナー『夕刊キャッチUP』を担当。タイトルコールのナレーションで「佐々木正洋の~」と冠されるようになる(休暇等で別のアナウンサーが担当する場合、名前はカットされた上でタイトルコールが読み上げられていた)。

2012年3月5日に、同月31日にテレビ朝日を退職したうえで、浅井企画所属のフリーアナウンサーへ転身することが発表された[1]。フリーアナウンサーへ転身後は、九州朝日放送(地元・福岡県にあるテレビ朝日系列局)の紀行番組『前川清の笑顔まんてんタビ好キ』などへ出演したかたわら、東海大学のアナウンサー講座で講師を務めている。

フリー転進後の活動

テレビ番組出演

CM出演

テレビ朝日時代の出演番組

同期入社

補足

  • 佐々木が入社した1977年は、1980年のモスクワオリンピック独占放送権を得た同社がオリンピックに向けた人材養成を見越して、アナウンサーが大量採用された年である。

脚註

  1. ^ テレ朝・佐々木アナ退社 欽ちゃん事務所へ デイリースポーツ 2012年3月5日閲覧

外部リンク