仙洞御所
仙洞御所(せんとうごしょ)とは、退位した天皇(上皇・法皇)の御所。仙洞とは本来仙人の住み処をいい「せんどう」とも読まれる[要出典]。そこから転じて退位した天皇(上皇・法皇)の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。
解説
仙人とは中国で古くから信じられた理想的な人間像で、俗世を離れて深山に隠遁することから、退位した天皇の住まいの美称として用いられるようになった。貴人の住まいを「御所」ということから「仙洞御所」と呼ばれた。
上皇・法皇は退位後、内裏から退去して仙洞御所に移るのを常とし、里内裏が多くそれにあてられた。仙洞御所はまた「院(いん)」とも呼ばれ、これも上皇・法皇の別称として使われた。仙洞御所には家政機関としての院庁(いんのちょう)が置かれたほか、白河上皇の時には近衛として「北面武士」のちに「西面武士」が設置された。
京都御苑の仙洞御所
現在、京都市にある京都御苑内には京都御所の南東に仙洞御所が位置している。これは1627年(寛永4年)に後水尾上皇のために造営されたもので、正式名称は桜町殿という。小堀遠州によって作事された庭園が広がっている。
仙洞御所の建築群は1854年(安政元年)の火災後再建されず、現在では庭園のみが残っている。
なお、仙洞御所東北に隣接する京都大宮御所は後水尾天皇の中宮であった東福門院の女院御所として造営されたものが元となっている。現在、京都大宮御所は天皇、皇后、皇太子及び皇太子妃の京都府への行幸啓(旅行)の際の宿泊や国賓の宿泊に使用されている。
仙洞御所(大宮御所ふくむ)の地は、かつて聚楽第の後身として豊臣家の本邸のあった地であり、当時は京都新城(旧聚楽第に対して)と呼ばれていた。豊臣秀頼は大坂城に常時居住していたが、京都新城には豊臣秀吉の正室・高台院(北政所)が入り、居住していた。阿古瀬淵は豊臣家邸宅庭園の遺構と伝える。
京都御苑以外の仙洞御所
平安京の北西部を占める妙心寺は、花園上皇の仙洞御所である萩原院を寺に改めたものである。
参考文献
- 『京都 御所の庭 - 京都御所・仙洞御所』小学館<週刊日本庭園をゆく7>、2005年。
- 根岸鎮衛『耳嚢』全3冊 長谷川強校注、岩波書店〈岩波文庫〉、1991年。 - 江戸時代の随筆。仙洞御所についての逸話を収録。