丸々もとお

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丸々 もとお(まるまる もとお、1965年8月31日 - )は、夜景評論家、夜景プロデューサー、夜景コンサルタント、照明コンサルタント。

本名は丸田 基雄(まるた もとお)[1][2]日本夜景遺産事務局長。夜景鑑賞士検定事務局長。(社)LED光源普及開発機構理事。元ぴあダイヤモンド社KKベストセラーズリクルート編集者記者。元リクナビ副編集長。2002年から、父の経営する有限会社マルタアドバタイジング所属。血液型AB型。

自称世界初の夜景評論家であり、その肩書きは商標登録済み。夜景、夜景観光のパイオニアとして活躍。

夜景の魅力を観光学、景観学、色彩心理学等、学際的に評論する独自の夜景学を構築。1992年発売の「東京夜景」以来、夜景に関する著書は30冊を超える。全国に広がる、工場夜景ツアーの仕掛け人で、テレビ東京系「ソロモン流」では夜景の賢人として紹介された。

プロフィール[編集]

画家・デザイナーの父、丸田栄造と画家の母、丸田記久子の長男として生まれる。弟は夜景フォトグラファー・夜景写真家の丸田あつし。

小学校六年生の時、入隊したボーイスカウトの夏のキャンプ時に山梨の夜景に魅せられ、小・中・高・大学時代に全国の夜景収集を続けた。

立教大学社会学部観光学科出身で、専門は観光学。大学を卒業後、ぴあ株式会社に入社。編集記者として主にアート、イベント等の記事を担当するほか、美術系のムック企画を担当。その後、ダイヤモンド社、KKベストセラーズ、リクルートと転職。

27歳の時、日本初の夜景ガイド「東京夜景」(七賢出版)を上梓。その後、2002年の独立まで編集者と夜景評論家のWワーク生活が続いた。

編集者時代は、雑誌、写真集、書籍(ビジネス書、芸能写真集、盆栽本、芸能エッセイ、詩集等ジャンルは多岐に渡る)、企業との広告企画等を手がけ、リクルート時代ではリクナビの副編集長に。

2002年4月に独立。以降、読売新聞の連載「美色の夜」「東海道夜景五十三次」、サンケイエクスプレス連載や多数の雑誌連載のほか、企業の夜景販促プロモーション、ホテルの夜景宿泊プラン、夜景イベント、レストランや展望台のプロデュース、不動産コンサルティング、講演会、夜景観光町おこし等、活動の場を多岐に広げた。

昨今は地方都市における町おこし地域活性化を積極的に手がけ、神戸市横浜市長崎市川崎市、香港政府観光局等の夜景観光アドバイザーを歴任。夜景資源の発掘からリノベーション、PRに至るまで夜景による観光活性化を行っている。

産経新聞社とは共同で夜景鑑賞士検定(夜景検定)を立ち上げ、これまで約3000人にのぼる夜景鑑賞士を輩出[要出典]。体験型の工場夜景の仕掛け人で、日本初の工場夜景ツアーとなった「工場夜景ジャングルクルーズ」(KMCコーポレーション)は「かながわ観光大賞2010」の大賞を受賞。

監修を務めた川崎市の工場夜景バスツアーは、(社)日本観光協会主催「第二回産業まちづくり大賞」で銀賞を受賞した。

著作[編集]

他、多数。

映像・音楽・商品プロデュース作品[編集]

他、多数。

携帯コンテンツ&アプリプロデュース作品[編集]

他、多数

観光施設プロデュース[編集]

他、多数

夜景イベントプロデュース[編集]

  • 横浜ランドマークタワースカイマーメイドー(プロデュース)
  • 横浜ランドマークタワーヨコハマ幻想庭園ー(プロデュース)
  • ホテルニューオータニ・夜景イベント「TOKYO YAKEI ROOMS EXHIBITION」(プロデュース)
  • モンパルナスタワー「シェル・ド・パリ」夜景プロデュース&展覧会

他、多数

行政・自治体・観光施設コンサルティング[編集]

他、多数。

検定・啓蒙活動・講演会・写真展[編集]

他、多数。

テレビ・ラジオ出演[編集]

テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・インターネット出演は多数。

脚注[編集]

  1. ^ 2004年度総会レポート”. 立教観光クラブ. 2022年12月13日閲覧。
  2. ^ 一般社団法人夜景観光コンベンション・ビューロー 定款” (PDF). 夜景観光コンベンション・ビューロー. 2022年12月13日閲覧。

外部リンク[編集]