モーニングLIVE

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モーニングLIVE
ジャンル 情報番組
出演者 境鶴丸
佐藤里佳
長坂哲夫
木幡美子 ほか
製作
制作 フジテレビジョン
放送
音声形式ステレオ放送
放送国・地域日本の旗 日本
1992年9月以前
放送期間1992年4月6日 - 1992年9月30日
放送時間月 - 金曜5:30 - 6:25
放送枠フジテレビ系列早朝の情報番組枠
放送分55分
1992年10月以降
放送期間1992年10月1日 - 1993年3月31日
放送時間月 - 金曜5:30 - 6:10
放送枠フジテレビ系列早朝の情報番組枠
放送分40分
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モーニングLIVE(もーにんぐらいぶ)は、フジテレビ系列1992年4月6日から1993年3月31日まで放送された平日早朝の情報番組である。それまであった『おはようスポーツ545』と『おめざめ天気予報』の2番組を統合し、報道局発のニュースも挿入する形でリニューアルを図った。

出演者[編集]

『モーニングLIVE』各キャスター一覧
期間 総合司会1 スポーツ一番! HELLO LONDON2 美子のスキークイン
月 - 水 木・金
1992年4月6日
-
1992年9月30日
境鶴丸
佐藤里佳
長坂哲夫
木幡美子
大矢明彦
松倉悦郎
柏村武昭(後期)
楠原映二 小野塚喜保
1992年10月1日 - 1993年3月31日 長坂哲夫
木幡美子
境鶴丸
佐藤里佳
  • 大矢・柏村・楠原・小野塚以外は(当時)フジテレビアナウンサー。
  • 長坂・木幡は『おめざめ天気予報』から続投。
  • 木幡は、1992年8月27日以降『FNNスピーク』を兼務。
  • 佐藤は『夕食ばんざい』を兼務。
  • 大矢は、フジテレビニッポン放送野球解説者
  • 1FNN World Uplink』を兼務(境・長坂はスポーツ担当として、佐藤・木幡はお天気担当として)。
  • 2 当番組終了後、単独番組へ昇格。

歴代の放送時間の変動[編集]

全期間、大半のネット局は5:50に飛び乗り(ポイントあり)

ネット局[編集]

スタッフ[編集]

最終回時点(1993年3月31日放送)

備考[編集]

  • 制作にフジテレビプロジェクト(現・FCC)と第3制作部(現・情報制作センター)主体に報道局、スポーツ局が参加していたが、コーナー間の連携はまるでなかった。
  • 前半は第2スタジオ、後半はタワービル低層部の屋上にあった衛星回線用のパラボラアンテナの下から放送するのが通例だった。当時は第2スタジオを終了直後の10時30分に始まる『ジョーダンじゃない!?』と共用していた関係で同番組の準備・セット替えの都合か、大雨や強風でも外から放送していた[2]。なお、「スポーツ一番!」は報道用の第7スタジオにあった『FNN World Uplink』のセットから放送していた。
  • 主な目玉コーナーは「朝刊ヘッドライン」だったが、なぜか読売新聞朝日新聞の記事は一切紹介されなかった。
  • メインキャスターのうち男性アナは『World Uplink』のスポーツ、女性アナはお天気を兼任していた。
  • メインキャスターの4名は「Weather」というグループで、インディーズデビューし、井上順の『昨日・今日・明日』をカヴァーした。天気予報のBGMとして曲を流していたが、ずいぶん後まで正体を伏せていた。
  • 上京した境・佐藤・木幡と同期(3名とも1989年入社、長坂は1期下の1990年入社)の系列局のアナウンサーや乙女塾出身のアイドルがよくゲストに来ていた。

脚注[編集]

  1. ^ 『ウゴウゴルーガ』は10月5日からの放送であったため、1日・2日の6:10 - 6:40は『キテレツ大百科』(再放送)で埋めていた
  2. ^ 1992年10月9日の放送では、後半パートが暴風雨の中屋上から生中継され、出演者・スタッフが力づくで傘を持ちながら放送していた。また、エンディングではゲストとして歌手・女優の三浦理恵子が生出演していたが、あまりの暴風雨で佐藤がプレゼント告知に一苦労する中で番組終了の時間となり、境が「行ってらっしゃ~い!」と強引に言って番組を終えた。なお、この模様は後に『FNS番組対抗NG名珍場面大賞』でも放送された。
フジテレビ 平日早朝の情報番組枠
前番組 番組名 次番組
おめざめ天気予報
ニュース&ウェザー(第2期)※1週間の繋ぎ枠。
モーニングLIVE
朝イチ!プロ野球News
※3か月間廃枠。