マルコ・ジャンパオロ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Marco Giampaolo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1967年8月2日(56歳) | |||||
出身地 |
スイス ティチーノ州ベッリンツォーナ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1990 | ジュリアノーヴァ | 109 | (0) | |||
1990-1992 | グッビオ | 43 | (0) | |||
1992-1993 | リカータ | 34 | (1) | |||
1993-1995 | シラクーザ | 49 | (2) | |||
1995-1996 | アンドリア | 36 | (1) | |||
1996-1997 | グアルド | 18 | (0) | |||
1986-1997 | 通算 | 289 | (4) | |||
監督歴 | ||||||
2000-2001 | ペスカーラ (アシスタント) | |||||
2001-2002 | ジュリアノーヴァ (アシスタント) | |||||
2002-2004 | トレヴィーゾ (アシスタント) | |||||
2004-2005 | アスコリ | |||||
2005-2006 | アスコリ (アシスタント) | |||||
2006-2007 | カリアリ | |||||
2008-2009 | シエナ | |||||
2010-2011 | カターニア | |||||
2011 | チェゼーナ | |||||
2013 | ブレシア | |||||
2014-2015 | クレモネーゼ | |||||
2015- | エンポリ | |||||
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マルコ・ジャンパオロ(Marco Giampaolo、1967年8月2日- )は、スイス・ベッリンツォーナ出身のイタリア人サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。
人物
スイスのベッリンツォーナ生まれたがイタリアのジュリアノーヴァで育った。セリエCのジュリアノーヴァ・カルチョ、ASグッビオ1910、リカータ・カルチョ、USシラクーザでプレイした後、1995年にASアンドリアBATでセリエBデビュー、1997年にグアルド・カルチョで怪我もあり現役を引退した。
引退後ペスカーラ・カルチョのスカウトとなった後、2000年にはアシスタントコーチに就任した。2001年にセリエC1のジュリアノーヴァ・カルチョのアシスタントコーチとなりチームはプレーオフにも出場したがチームフロントとの関係が悪化したため2002年4月に退団、セリエC1のトレヴィーゾFCのアシスタントコーチとなった。2002-03シーズン、チームはセリエBに昇格し翌シーズンもセリエBに残留した。
2004年、彼はアスコリ・カルチョに移りセリエB6位の成績を残した。この時点でも彼はアシスタントコーチであったがこれはコーチライセンスをこの時点で彼が取得していなかったためでありヘッドコーチに代わり実質的には彼が指揮を執っていた。昇格プレーオフでトリノFCに敗退するも、八百長疑惑で優勝したジェノアCFCがセリエC1降格処分になったこと、2位であったトリノFCが経営破綻し、昇格が取り消されたこともあり、セリエAに昇格。財政基盤が弱く、戦力も貧弱だったことから圧倒的な降格候補に挙げられたが、年間通して安定した成績を残し、降格を回避したことで名声を上げた。2006年からはカリアリ・カルチョで監督を務めるも、後述の確執で2度解任された。
その後、2008年からはACシエナの監督に就任し、2008-09シーズンは見事に残留を果たしたが、2009-10シーズンは開幕から低迷し続け2009年11月に解任(その後、シエナはセリエBに降格となった)。2010年にはカルチョ・カターニアの監督に就任。しかし、2011年1月18日にまたしても成績不振により解任された。2011年6月4日、ACチェゼーナの監督に就任。しかし、チームは開幕から低迷し10月30日に三度途中解任となった。
2015年6月15日、エンポリFCの監督に就任した。契約は1年間[1]。
カリアリ会長との確執
カリアリ・カルチョの監督在任中、2シーズンでジャンパオロは2度解任の憂き目にあっている。 元々、監督を頻繁に解任することで有名な、カリアリ・カルチョの会長のマッシモ・チェッリーノとの確執が原因で、1度目は2006-07シーズン途中、「ジャンパオロは人間的に信用できない。」という理由で解任されたものの、後任のフランコ・コロンバが結果を出せず、降格の危機が迫ったため復帰。残留に成功したため翌シーズンも指揮を執った。しかし、2007年11月、ジャンパオロの選手起用が気に食わないという理由で解任。これに怒ったジャンパオロは2008年1月、後任のネド・ソネッティが解任された際、復帰の要請を受けたもののこれを拒否。その際、ジャンパオロは「私は、給料よりも自分の尊厳を選ぶ。」と発言し、カリアリのチェッリーノ会長の監督に対する敬意の欠如を痛烈に批判した。
指導歴
- ペスカーラ・カルチョ 2000-01(コーチ)
- ジュリアノーヴァ・カルチョ 2001-02
- トレヴィーゾFC 2002-04
- アスコリ・カルチョ 2004-06
- カリアリ・カルチョ 2006, 2007
- ACシエナ 2008-2009
- カルチョ・カターニア 2010.6-2011.1
- ACチェゼーナ 2011
- ブレシア・カルチョ 2013
- クレモネーゼ 2014-2015
- エンポリFC 2015-
脚注
- ^ “UFFICIALE: Empoli, Giampaolo il nuovo tecnico. Contratto annuale”. TuttoMercatoWeb.com (2015年6月15日). 2015年11月5日閲覧。