ドメニコ・ディ・カルロ
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| 名前 | ||||||
| 本名 | Domenico Di Carlo | |||||
| 愛称 | Mimmo | |||||
| カタカナ | ドメニコ・ディ・カルロ | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1964年3月23日(49歳) | |||||
| 出身地 | カッシーノ | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 監督歴 | ||||||
| 2001-2004 2004-2007 2007-2008 2008-2010 2010-2011 2011-2012 |
ヴィチェンツァ・カルチョユース ACマントヴァ パルマFC ACキエーヴォ・ヴェローナ UCサンプドリア ACキエーヴォ・ヴェローナ |
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| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ドメニコ・"ミンモ"・ディ・カルロ(Domenico "Mimmo" Di Carlo,1964年3月23日- )は、イタリアの元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代は守備的MF。
目次 |
来歴 [編集]
出身地のレアル・カッシーノにてプロ選手としてのキャリアをスタート。下部リーグでのプレーを続け、1990年にセリエC1のヴィチェンツァ・カルチョに移籍し、中心選手となった。セリエC1からセリエAへの昇格に続き、フランチェスコ・グイドリン監督の下でコッパ・イタリア優勝(1996-97)、カップ・ウィナーズ・カップ準決勝進出を果たした。
現役引退後、サッカー指導者としての実績を積む。2004年から率いたACマントヴァでは、セリエC2からセリエC1への昇格、更にセリエB昇格を達成。2007年にセリエAのパルマFCの指揮官となるも、成績不振のため2008年3月に解任された。2008年11月、ジュゼッペ・イアキーニの後任としてACキエーヴォ・ヴェローナ監督に就任。最下位のチームを再建し残留に導くと、翌2009-2010シーズンはジャンピエロ・ピンツィら戦力を活用し、安定して勝ち点を積み重ねた。シーズン終了後に退団、UCサンプドリア指揮官に就任。しかし、UEFAチャンピオンズリーグはプレーオフで敗退。リーグ戦も低迷し、2011年3月に解任された[1]。2011年6月、再びACキエーヴォ・ヴェローナ監督に就任した[2]が、翌2012年10月に解任される。
所属クラブ [編集]
レアル・カッシーノ 1979-1981
トレヴィーゾFC 1981-1982,1984 -1986
コモ・カルチョ 1982-1984
テルナーナ・カルチョ 1986-1987
USチッタ・ディ・パレルモ 1987-1990
ヴィチェンツァ・カルチョ 1990-1999
USレッチェ 1999-2000
ASリヴォルノ・カルチョ 2000-2001
Südtirol-Alto Adige 2001
スリマ・ワンダラーズFC 2001-2002
指導歴 [編集]
ヴィチェンツァ・カルチョ(ユース) 2001-2004
ACマントヴァ 2004-2007
パルマFC 2007-2008.3
ACキエーヴォ・ヴェローナ 2008.11-2010
UCサンプドリア 2010-2011.3
ACキエーヴォ・ヴェローナ 2011.6-2012.10
脚注 [編集]
- ^ サンプドリアがディ・カルロを解任Goal.com、2011年3月8日
- ^ ディ・カルロ氏が再びキエーボへUEFA.com、2011年6月9日