フスト・ビジャール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。118.20.219.194 (会話) による 2012年3月31日 (土) 03:33個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

フスト・ビジャール
名前
本名 Justo Wilmar Villar
カタカナ フスト・ウィルマル・ビジャール
ラテン文字 Justo VILLAR
基本情報
国籍 パラグアイの旗 パラグアイ
生年月日 (1977-06-30) 1977年6月30日(46歳)
出身地 Cerrito
身長 180cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2000
2001-2004
2004-2008
2008-2011
2011-
パラグアイの旗 ソル・デ・アメリカ
パラグアイの旗 リベルタ
アルゼンチンの旗 ニューウェルズ
スペインの旗 バリャドリード
アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス
119 (0)
109 (0)
135 (0)
38 (0)
代表歴2
1999- パラグアイの旗 パラグアイ 73 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月8日現在。
2. 2010年6月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フスト・ウィルマル・ビジャール(Justo Wilmar Villar, 1977年6月30日 - )は、パラグアイ出身のサッカー選手エストゥディアンテス所属。パラグアイ代表主将である。ポジションはGK

経歴

クラブ

ソル・デ・アメリカからデビューし、パラグアイの伝説的GKであるエベル・ウーゴ・アルメイダの指導を受けた。2001年にクラブ・リベルタに移籍し、2002年には24年ぶりのリーグ優勝を果たし、2003年にはリーグ連覇した。2004年、アルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズに移籍し、Apertura2004でリーグ優勝し、アルゼンチンの報道陣から年間最優秀選手とみなされた。2004年にはパラグアイ最優秀選手にも選ばれた。

2008年夏、スペインレアル・バリャドリードに移籍した。シーズン序盤はセルヒオ・アセンホの控えだったが、12月7日のCAオサスナ戦でデビューし、3ヵ月半の間レギュラーとして出場した。シーズン終盤は再びアセンホがレギュラーを務めた[1]。アセンホがアトレティコ・マドリードに移籍して迎えた2009-10シーズンはヘタフェCFから復帰したハコボ・サンスの控えとして開幕を迎えたが、7節までに16失点したハコボの代わりに8節からゴールを守った。しかし、2010年3月28日に行われたシェレスCD戦で退場処分を受け、その後はハコボにポジションを再び譲りチームも最終節のFCバルセロナ戦で大敗して2部に降格した。

2011年より、エストゥディアンテスに所属する。

代表

1997年にFIFA U-20ワールドカップに出場した。パラグアイ代表として2001年、2004年、2007年の3回のコパ・リベルタドーレス、2002年と2006年の2回のFIFAワールドカップに出場した。2006 FIFAワールドカップは正GKとして大会を迎えたが、初戦のイングランド戦で開始8分に負傷し、その後の試合に出場できなかった。2010 FIFAワールドカップ南米予選には18試合のうち17試合に出場した。本大会でも正GKとして出場し、ゲームキャプテンを務めた。初戦のイタリア戦では1失点を喫したものの、その後は安定した守備で無失点に抑え、チームの首位通過に貢献した。決勝トーナメント1回戦の日本戦でも安定した守備でPK戦の末、勝利し、準々決勝のスペイン戦ではシャビ・アロンソのPKを止めるなど存在感をアピールし、スペインに敗北したもののパラグアイを初のベスト8に導いた。

エピソード

ビジャールはサインに背番号を入れない選手として有名である。また、その原因も不明である。

所属クラブ

タイトル

パラグアイの旗 クラブ・リベルタ
2002, 2003
アルゼンチンの旗 ニューウェルズ・オールドボーイズ
アペルトゥーラ2004
パラグアイの旗 個人タイトル
  • パラグアイ最優秀選手賞
2004

脚注

  1. ^ zerozero.pt. “Justo Villar Época 2008/2009”. 2009年8月31日閲覧。

外部リンク