フスト・ビジャール
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名前 | ||||||
本名 | Justo Wilmar Villar | |||||
カタカナ | フスト・ウィルマル・ビジャール | |||||
ラテン文字 | Justo VILLAR | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | パラグアイ | |||||
生年月日 | 1977年6月30日(46歳) | |||||
出身地 | Cerrito | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | エストゥディアンテス | |||||
ポジション | GK | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1996-2000 2001-2004 2004-2008 2008-2011 2011- |
ソル・デ・アメリカ リベルタ ニューウェルズ バリャドリード エストゥディアンテス |
119 (0) 109 (0) 135 (0) 38 (0) | ||||
代表歴2 | ||||||
1999- | パラグアイ | 73 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月8日現在。 2. 2010年6月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フスト・ウィルマル・ビジャール(Justo Wilmar Villar, 1977年6月30日 - )は、パラグアイ出身のサッカー選手。エストゥディアンテス所属。パラグアイ代表主将である。ポジションはGK。
経歴
- クラブ
ソル・デ・アメリカからデビューし、パラグアイの伝説的GKであるエベル・ウーゴ・アルメイダの指導を受けた。2001年にクラブ・リベルタに移籍し、2002年には24年ぶりのリーグ優勝を果たし、2003年にはリーグ連覇した。2004年、アルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズに移籍し、Apertura2004でリーグ優勝し、アルゼンチンの報道陣から年間最優秀選手とみなされた。2004年にはパラグアイ最優秀選手にも選ばれた。
2008年夏、スペインのレアル・バリャドリードに移籍した。シーズン序盤はセルヒオ・アセンホの控えだったが、12月7日のCAオサスナ戦でデビューし、3ヵ月半の間レギュラーとして出場した。シーズン終盤は再びアセンホがレギュラーを務めた[1]。アセンホがアトレティコ・マドリードに移籍して迎えた2009-10シーズンはヘタフェCFから復帰したハコボ・サンスの控えとして開幕を迎えたが、7節までに16失点したハコボの代わりに8節からゴールを守った。しかし、2010年3月28日に行われたシェレスCD戦で退場処分を受け、その後はハコボにポジションを再び譲りチームも最終節のFCバルセロナ戦で大敗して2部に降格した。
2011年より、エストゥディアンテスに所属する。
- 代表
1997年にFIFA U-20ワールドカップに出場した。パラグアイ代表として2001年、2004年、2007年の3回のコパ・リベルタドーレス、2002年と2006年の2回のFIFAワールドカップに出場した。2006 FIFAワールドカップは正GKとして大会を迎えたが、初戦のイングランド戦で開始8分に負傷し、その後の試合に出場できなかった。2010 FIFAワールドカップ南米予選には18試合のうち17試合に出場した。本大会でも正GKとして出場し、ゲームキャプテンを務めた。初戦のイタリア戦では1失点を喫したものの、その後は安定した守備で無失点に抑え、チームの首位通過に貢献した。決勝トーナメント1回戦の日本戦でも安定した守備でPK戦の末、勝利し、準々決勝のスペイン戦ではシャビ・アロンソのPKを止めるなど存在感をアピールし、スペインに敗北したもののパラグアイを初のベスト8に導いた。
- エピソード
ビジャールはサインに背番号を入れない選手として有名である。また、その原因も不明である。
所属クラブ
- 1996-2000 ソル・デ・アメリカ
- 2001-2004 クラブ・リベルタ
- 2004-2008 ニューウェルズ・オールドボーイズ
- 2008-2011 レアル・バリャドリード
- 2011- エストゥディアンテス
タイトル
- 2002, 2003
- ニューウェルズ・オールドボーイズ
- パラグアイ最優秀選手賞
- 2004
脚注
- ^ zerozero.pt. “Justo Villar Época 2008/2009”. 2009年8月31日閲覧。