パトリオット (プロレスラー)
パトリオット | |
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プロフィール | |
リングネーム |
パトリオット ザ・パトリオット ザ・トルーパー |
本名 | デル・ウィルクス |
ニックネーム |
空爆戦士 愛国者仮面 星条旗仮面 |
身長 | 190cm |
体重 | 118kg |
誕生日 | 1961年12月21日(62歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 サウスカロライナ州コロンビア |
デビュー | 1988年 |
パトリオット(Patriot[1]、1961年12月21日 - )は、アメリカ合衆国の覆面レスラー。本名はデル・ウィルクス(Del Wilkes)。サウスカロライナ州コロンビア出身。
なお現在までに、同名のリングネームを名乗ったレスラーが3名[2]確認されている。通常「パトリオット」といえば、その多くの場合は1990年代に全日本プロレスを主戦場に活動していたデル・ウィルクスを指すため、本項ではウィルクス扮するパトリオットについて記述する(詳細は後述)。
来歴
1988年、末期のAWAにおいて素顔の警備員ギミックのベビーフェイス、ザ・トルーパー(The Trooper)のリングネームでデビュー。ラリー・ズビスコやマイク・ジョージらベテラン勢と対戦してキャリアを積み、1990年8月11日にはD・J・ピーターソンと組んでデストラクション・クルー(ウェイン・ブルーム&マイク・イーノス)を破りAWA世界タッグ王座を獲得。翌1991年にAWAが活動を停止したため、結果的に彼らが最後のAWA世界タッグ王者チームとなった[3]。1990年にはトルーパーとして全日本プロレスに初来日している。
その後、覆面レスラーのパトリオットに変身し、1992年5月に全日本プロレスに参戦。星条旗を基調としたド派手なマスクとコスチューム、ビルドアップされた長身で筋骨隆々の肉体、そしてそれから繰り出されるパワフルかつスピーディーで跳躍力あふれる迫力ファイトなどで、常連外国人選手となる。小橋健太とも「日米新世代ミサイルタッグ」を結成し、アジアタッグ王座挑戦や世界最強タッグ決定リーグ戦参戦が視野に入るほどの人気を得た。しかし、同年末の最強タッグには全日本側の都合により、このタッグチームでの参加は実現しなかった。そこで新パートナーとして、自身と同じ星条旗基調のコスチュームを身に付けた覆面レスラーのジ・イーグルと覆面愛国者コンビを結成し、リーグ戦に参加した。
リーグ戦では優勝を逃したが、イーグルとのコンビネーションが好評だったため、翌1993年6月2日に小橋健太&菊地毅の保持するアジアタッグ選手権に挑戦、勝利を収め第60代の王者チームとなる。9月9日にカンナム・エクスプレス(ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット)に敗れ王座から陥落するが、翌年のリーグ戦にもイーグルとのタッグで出場した。
1994年にWCWへ移籍。マーカス・バグウェルと「スターズ・アンド・ストライプス(Stars and Stripes)」を結成し、プリティ・ワンダフル(ポール・オーンドーフ&ポール・ローマ)からWCW世界タッグ王座を2度に渡って奪取した。
1995年、再び全日本プロレスを主戦場とする。7月に行われた三冠ヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦に、田上明、小橋健太、ジョニー・エースと共に参加。挑戦権を獲得することはできなかったが、小橋からスカイハイ・パワーボムでピンフォール勝ちし、シングル・プレーヤーとしての成長を見せた。8月30日には、ジョニー・エースとのコンビで田上明&川田利明の保持する世界タッグ王座に初挑戦するも敗退。同コンビで同年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場し、第4位となる。
1996年には、超世代軍を脱退した小橋健太と数年ぶりにタッグを再結成する。10月12日にスティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エースの「殺人狼」が保持する世界タッグ選手権に挑戦したが敗退。同年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にも同タッグで出場、1点差で優勝を逃し、第3位となる。
1997年5月には、このコンビに2人と同世代であるジョニー・エースを加えたトリオで新チーム「グローバル・エネルギッシュ・タフ(GET)」を結成した。結成最初のシリーズでは小橋とエースのコンビが世界タッグ王座を獲得したが、翌シリーズにパトリオットは負傷により欠場。欠場中にアメリカのWWF(現・WWE)への移籍を発表した[4]。
WWFでは当時ヒールに転向していたブレット・ハートとの「アメリカ対カナダ」の抗争アングルが組まれるが、負傷欠場を繰り返し解雇され、体調の回復が困難なことからレスラー活動を停止している。
その後、トム・ブランディにパトリオットのキャラクターを譲り渡し、彼がアメリカのインディー団体でパトリオットとして活動していた時期がある(後述)。
得意技
- パトリオット・ミサイル
- コーナー上から立っている相手に対し飛んでいき、トペ・スイシーダのように頭部からぶつかって相手を突き飛ばす技。トップロープからのショルダー・ブロック。同名のアメリカ軍の地対空ミサイルがモチーフ。
- フルネルソン・バスター
- パトリオット・バスター、フルネルソン・ドロップ、パトリオット・ドロップなどの名称でも呼ばれるが、全日本プロレスでは上記の技名で統一。相手の後方から羽交い締め(フルネルソン)を掛け、そのまま上方へ持ち上げる。上空で片手を離してハーフネルソンの状態にすると同時に相手の背中を下に向け、そのままマットへ倒れ込みながら相手を背中からマットへ叩き付ける。
- パトリオット・ミサイルと並ぶフィニッシュ・ホールドで、手強い相手にはこちらの方がフィニッシュ率が高かった。
- 後に大森隆男が受け継いで、繋ぎ技として使用。パトリオット以前の使い手としては、ドイツのローラン・ボックがいる。
- スカイハイ・パワーボム
- 高角度の両膝着地式ジャンピング・パワーボム。小橋建太からフォールを奪った実績のある、ここ一番の大技。
- パトリオット・ボム
- 振り子式パワーボム。立っている相手の正面に立ち、前屈みして相手の股間に自らの頭部を差し入れ、同時に相手の両足首を両腕で掴む。そのまま起き上がる事により、相手を自分の背面で逆さに吊るし上げる。次に前屈みになると同時に掴んでいる相手の足を素早く下方へ引き、遠心力を利用して相手を背面からスピーディーにマットへ叩き付ける。走ってくる相手へのカウンターでも使用される。
主な獲得タイトル
- AWA世界タッグ王座 - 第54代(w / D・J・ピーターソン) ※ザ・トルーパーとして
- アジアタッグ王座 - 第60代(w / ジ・イーグル)
- 世界最強タッグ決定リーグ戦 - 1995年第4位(w / ジョニー・エース)、1996年第3位(w / 小橋健太)
- WCW世界タッグ王座 - 2回獲得(w / マーカス・バグウェル)
同名レスラー
トム・ブランディ版
ジョニー・ガン、サルバトーレ・シンシアなどのリングネームで活躍したトム・ブランディは、2000年代前半にデル・ウィルクスからパトリオットのキャラクターを受け継ぎ、アメリカのインディー団体で「ザ・パトリオット」として活動していた[5]。
ボビー・ハート版
ボビー・ハートが1970年代に扮したパトリオットは、アメリカの漫画の主人公をモチーフにしたレスラーであった。主にアメリカのテネシー地区で活動し、全日本プロレスにも1974年1月に参戦しているが、短期間で消滅した。通称「流星仮面」。
最も古く「ザ・パトリオット」を名乗っているが、ウィルクスやブランディの扮するものとはマスク・コスチュームのデザインや形式が、星条旗をモチーフにしているという共通点があるものの、かなり異なっている[6]。
脚注
- ^ 英語の発音に忠実に「ペイトリオット」「ペトリオット」と呼ぶ場合もある。また、定冠詞の「ザ(The)」を頭に付けて呼ばれる場合もある。全日本プロレスでは「パトリオット」の表記で統一されていた。
- ^ 最初にパトリオットを名乗ったボビー・ハートと以後に登場した2名の関連性が不明で、コスチューム等もボビー・ハートのものだけ異なるため、「初代・2代・3代目」といった表現は本項では用いていない。
- ^ “AWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年3月31日閲覧。
- ^ WWFへの移籍直前に行われたインタビューでは、日本での活動も魅力的だったが、長期間海外に遠征する事で子供達との交流が出来ず、教育上良くないと思いWWFに移籍したと発言している
- ^ “Wrestler Profiles: Tom Brandi”. Online World of Wrestling. 2010年7月7日閲覧。
- ^ “Wrestler Profiles: Bobby Hart”. Online World of Wrestling. 2010年7月7日閲覧。