ソユーズT-10-1
ソユーズT-10-1 | |||||
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ミッションの情報 | |||||
ミッション名 | ソユーズT-10-1 | ||||
乗員数 | 2 | ||||
コールサイン | Okean (大洋) | ||||
打上げ日時 |
1983年9月26日 19:37:49 UTC ガガーリン発射台 | ||||
着陸または着水日時 |
1983年9月26日 19:43:02 UTC バイコヌール宇宙基地 | ||||
ミッション期間 | 00:05:13 | ||||
周回数 | 軌道外 | ||||
年表 | |||||
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ソユーズT-10-1(西洋ではしばしばソユーズT-10aと呼ばれる)は、ソユーズT-9の乗組員が滞在していたサリュート7号を訪れることを目的としていたソユーズ宇宙船のミッションである。しかし、1983年9月26日の発射のカウントダウンが終わる前に事故が発生し、ロケットは発射台で炎に包まれた。ソユーズの打ち上げ脱出システムは、ロケットが爆発する2秒前に点火し、乗組員を救った。これは、乗組員を乗せて打ち上げ脱出システムが作動した世界でも初めての例となった[1]。
乗組員
- ウラジーミル・チトフ - 機長
- ゲンナジー・ストレカロフ - フライトエンジニア
ミッションパラメータ
- 質量:6850 kg
- 近点:N/A
- 遠点:N/A
- 軌道傾斜角:N/A
- 軌道周期:N/A
ミッションハイライト
予定された打上げ時刻の直前、燃料がソユーズ-Uロケットの底部に漏れ、T-90秒の時点で火災が発生した[2]。打上げコントロールチームは脱出システムを起動させたが、コントロールケーブルは既に焼け切れており、ソユーズ宇宙船の乗組員自身でも脱出システムを起動できなかった。20秒後、打上げコントロールチームはついに無線コマンドで脱出システムを起動することに成功したが、その頃にはロケットブースターは炎に囲まれていた。爆発ボルトが点火されることによりソユーズ宇宙船の降下モジュールとサービスモジュールとの間の結合が切り離され、脱出システムのモーターが点火されることで軌道モジュールと降下モジュールが結合した状態のまま上昇した。このモータの噴射により、5秒間の間に137から167 m/s2(14から17G)の加速度が生じた。脱出システムが起動した2秒後に、ブースターロケットが爆発し、発射台を破壊した(ちなみにこの発射台は、スプートニク1号やボストーク1号を打ち上げた由緒あるものである)。ソユーズ宇宙船を収納していた覆い(ペイロードシュラウド)の外側に付けられていた羽根型の4枚の空力安定板が開き、高度650mで降下モジュールは軌道モジュールから分離して、ペイロードシュラウドの固定から解放された。降下モジュールは底部の熱シールドを投棄して着陸用の固体燃料ロケットの使用が可能な状態にさせ、緊急パラシュートが放出され、発射台から4km先に着地した。2人の乗組員は、強い加速度で打撲を負ったが、生き残った[1]。
この打上げの失敗によって、サリュート7号に残されたままで寿命を迎えるソユーズT-9宇宙船の帰還カプセルを交換することができなくなった。このことは、ソユーズT-9で数カ月前にサリュート7号に到着し、滞在している宇宙飛行士が帰って来られなくなった等と、西側のメディアで大げさに報道された。
数年後、アメリカのテレビチャンネルヒストリーのインタビューに対し、ウラジーミル・チトフは脱出ロケットに点火した後の乗組員の最初の行動は、宇宙船のボイスレコーダーの解除だったと語った。
関連項目
- ソユーズ18a号:1975年のソユーズの打上げ事故
- 宇宙開発における事故
出典
- ^ a b “A brief history of space accidents”. Jane's Transport Business News (2003年2月3日). 2003年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年10月20日閲覧。
- ^ Sanchez, Merri J. (2000年3月). “A Human Factors Evaluation of a Methodology for Pressurized Crew Module Acceptability for Zero-Gravity Ingress of Spacecraft” (PDF). Houston, Texas: Lyndon B. Johnson Space Center. p. 8. 2007年10月20日閲覧。