サルヴァトール・アダモ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。93.37.207.76 (会話) による 2016年1月6日 (水) 23:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

サルヴァトール・アダモ(Salvatore Adamo、1943年11月1日 - )はイタリアコーミゾシチリア)で生まれたベルギー作曲家歌手レジオンドヌール5等受勲者イタリア語読みでサルヴァトーレ・アダモ。単に「アダモ」と呼ばれることもある。

概要

幼少期の1947年、父親が家族を連れてベルギー鉱山に働きに行っていた。

パリを離れ、1963年に「サン・トワ・マミー」(原題:Sans toi ma mie)が最初のヒット曲になった。続いて「雪が降る」(原題:Tombe la neige)(1963年)、「Vous permettez Monsieur」(1964年)、「Les Filles du bord de mer」と「夢の中に君がいる」(原題:Mes mains sur tes hanches)(1965年)、「インシャラー」(原題:Inch Allah)(1967年)がヒットした。

ジャック・ブレルは「アダモは『愛の植木職人』」と言い、レイモン・デヴォは「アダモは歌であり、詩であり、心を揺らすもの」であると言った。

アダモの曲は、世界各地でヒットし(特に日本で)、様々な言語で自分の歌を歌った(イタリア語、スペイン語、ドイツ語、オランダ語、日本語、ポルトガル語、トルコ語)。

1980年代は心臓病で一時休養することになるが、1990年代の郷愁に満ちた流れで、特にアルバム「Zanzibar」で歌手のアルノーとの共演という最高の計画で復帰することになる。2004年、健康上の理由から多くのコンサート、特にヴィエイユサリュー祭のコンサートが中止された。

1993年からアダモはベルギーUNICEF大使を務めている。

2001年7月4日の勅令でベルギー国王アルベール2世はレジオンドヌール勲章5等に列した。

1965年1967年1969年1971年1977年にフランス音楽界の殿堂、オランピア劇場で公演を行なった。

日本公演

2006年

3月5日 大阪フェスティバルホール、7日 愛知県芸術劇場大ホール、11日,12日 Bunkamuraオーチャードホール、14日 北海道厚生年金会館

2010年

10月16日,17日 Bunkamuraオーチャードホール、19日 ニトリ文化ホール、22日 中京大学文化市民会館オーロラホール、24日 NHK大阪ホール

日本との関わり

  • 1967年に初来日以来、30回以上の来日公演を行っており、海外アーティストの中でも特に親日家として知られている。直近の来日は2010年
  • 1978年には森進一「甘ったれ」を作曲する。
  • 当然、日本にも数多くのファンが存在し、特にタレント・演出家のテリー伊藤は来日公演は欠かさず行っていると公言している。

ディスコグラフィ

CD復刻年は制作年とは一致しない。

出版物

  • 2001年 : アルバン・ミチェル Le souvenir du bonheur est encore du bonheur

関連項目

外部リンク